四.死と再生
4-1
自転車のペダルを漕ぐのがひどく億劫に感じる。昨日の長距離運転に疲れたのか身体がだるく、少し熱っぽい感覚もあった。ただでさえ憂鬱な月曜日の午前中、僕の心は鉛のように重い。
僕はなるみもに対して、どういう気持ちを持てばいいのかわからなくなっていた。
彼女に会って、どんな顔をすればいいのだろうか。彼女に対して何かを伝えた方がいいのだろうか。それとも、何も言わない方がいいのだろうか。……わからない。
このまま僕が何もしなければ、呪いによるタイムリミットが訪れ、僕は死ぬ。その事実は揺るぎないし、彼女に想いを告げられぬままこの世を去るのなんて御免だ。
それをわかっていながら僕は、次の一歩を踏み出せずにいる。
住宅街の大通りに面するわが校の全身像を捉えた僕は、正門をぐるりと迂回して裏側の駐輪場へと向かう。自転車を降り、スタンドをガチャンと立てたところで、
「よ、よぉ。藤吉」
ふいな声掛けに後ろを振り向くと、ぎこちない所作で須王が僕に手を振っていた。
「須王……? こんなところで何してんの。お前、自転車通学じゃないだろ?」
「いやさ……藤吉に話があって、お前を待っていたんだよ」
妙な違和感が脳裏をかすめ、僕は眉間に皺を寄せる。
「僕に? いや、教室でいいんじゃ――」
「と、とにかく!」焦った声と共に、須王が僕の腕を乱暴に掴んだ。
「ここじゃ話せないことだから……なっ?」
顔をひきつらせながら須王が、ぐいぐいと僕の身体を引っ張ろうとする。明らかに普通じゃない様子の須王に僕は混乱を極めていた。
「ちょ、ちょっと。かばん、自転車のかごに入れっぱなし――」
「そんなもん、置いとけばいいから!」
須王が威嚇するような大声をあげ、僕は思わず身をすくませる。
すぐにハッとした顔を見せた須王だったが、彼は僕の腕を力任せに握りこんだままだ。握りこんだまま――今にも泣き出しそうな顔で僕に懇願する。
「頼む……。すぐ、終わるから」
須王はジッと僕の目を見つめたまま、決して逸らそうとしない。やがて僕が、「……わかったよ」とこぼすと、ようやく須王が腕を離してくれた。
須王は僕に黙ったまま背を向け、ゾンビのような足取りで歩き出す。やりようもない僕は大きな嘆息を漏らした後、黙って彼の後ろをついていった。
僕は須王に、グラウンド端に設置された屋外トイレに連れていかれた。少し臭うためか生徒が利用することはほとんどなく、例によってその場所には誰もいなかった。
先に中に入った須王がピタリと足を止め、僕に背を向けたまま押し黙っている。話とやらを切り出さない彼に苛々した僕は、詰めるような口調で言葉を促した。
「一体何なんだよ。話って」
須王がようやく振り返り、僕に顔を見せる。
およそ生きた人間とは思えないほど、虚ろな表情をしていた。
「藤吉さ、スマホ……今、持ってないよな?」
「えっ……。うん。持ってないよ」
「だよな。お前、スマホをいつもポケットじゃなくてかばんに入れてるもんな」
意図の読めない須王の発言が、僕の不安感に拍車をかける。彼はおずおずと窺うような声を重ねて、「お前……パスコードのロックナンバー、やっぱりなるみもの誕生日なの?」
「はっ? なんで今そんな話?」
僕が棚上げするような返事を返すと、覇気のない顔つきから一転した須王が、焦燥で顔を歪ませながら僕に急接近する。そのまま彼は両手を伸ばし僕の肩を強くにぎりこんだ。
「……どうなんだよ。答えろよッ!」
普段の須王からは考えられないような迫力に僕はたじろぎ、情けない声を返した。
「そ、そうだよ。パスコード、なるみもの誕生日だよ」杓子定規に回答すると、「はっ、ハハッ――」須王は力なく笑い、ずるずるとその場でうなだれてしまった。
何がなんだかわからない。僕はただひたすら困惑していた。
「……お前さっきからおかしいぞ? そもそも話ってなんだよ?」
シンプルに疑問を口にすると、須王がユラリと顔をあげた。そして、
「ゴメン……ゴメン、藤吉」
何故だか彼は、謝罪をはじめたんだ。
胸騒ぎが広がり、ジンワリと全身から汗が滲み出る。僕は真っ暗闇の洞穴に放りこまれたような心地を覚えていた。焦ったように口を開き、頭に浮かんだ疑問をそのまま羅列させた。
「ゴメンって何のことだよ? お前、謝るようなこと、何かしたのか?」
「……この前の昼休み、お前にスマホ借りた時、俺、お前のスマホに盗聴アプリ入れた。妹に電話したいって、嘘まで吐いて」
――はっ……?
僕は言葉を失ってしまった。
彼の告白の意味を、瞬時に理解することができなかった。
うなだれたままの須王が、ボロボロと震えた声をこぼしだす。
「ゴメン、ゴメン……。俺の妹、犬塚と柳田にハメられたんだ。アイツら、妹に気があるような素振りで近づいてさ。倉庫みたいな、誰もいないとこ連れていかれて、……服、無理やり脱がされて――」
「……えっ?」
「恥ずかしい写真、いっぱい撮られたんだ。言うこと聞かないと、妹の写真をネットに晒すって。俺、脅されて……それで、盗聴アプリ……お前の、スマホに――」
須王は心底口惜しそうに下唇を噛んでいた。僕はというと、彼の言葉をうまく呑み込めずにポカンと口を半開きにするばかり。……だけど――
「昨日、お前がなるみもと二人でデートしたの。アイツら知ってるんだ。お前がなるみもとツーショット撮ったのも、アイツら……知ってるんだ」
その言葉で、全てを察した。
須王が僕に、ゴメンと繰り返している理由を。
須王が僕に、かばんを取らせなかった理由を。
同時に、全身から体温が抜け落ちる。
「……アイツら今頃、お前のかばん漁ってる。パスコードのロックナンバー、なるみもの誕生日かもって、俺、アイツらに――」
須王の声がフェードアウトした。全身が弾けるように動きだし、僕は男子トイレから飛び出していた。そのまま本能に従うまま足を動かし、駐輪場に駆け戻る。
自転車のかごの中、先ほどまでしまっていたはずの僕の鞄が乱暴に開け放たれていた。
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