0-3


 書類棚が雑多に置き並べられているだだっ広い一室に通された。

「ここは恋愛課の資料室なんだけどね。普段の業務で使うこともあまりないから、執務室と違って静かでいいんだ」課長はそう言うなり、何故か設えられている二台の布張りソファの片側へとピョンと飛び乗る。私は二秒ほど逡巡したのち、テーブルを挟んだ向かい側へと腰をかけた。

「シレネくんはコーヒーを呑むかな? それとも、紅茶の方が――」

「私が恋愛課に配属になったこと、課の神々に伝えていないんですか?」

 何かを言いかけたラブ課長だったが、私の発声により抑止された。

 相手にペースを掴ませる前に本題に斬りこむ――私の『常套手段』だ。

 腰をあげようとしたラブ課長が一瞬だけ硬直したが、特段怯む様子もなく、絶やぬ笑顔をそのまま座り直して、

「……死神課は、他の課の神々から誤解されることの多い部署だし、ましてやシレネくんは、良い意味でも悪い意味でも天界では有名人だからね。みんなと同じように和気あいあいと歓迎会を――ってワケにはいかなくてね」

 ラブ課長は私から目を逸らしたが、私は視線を外してやらない。「まぁ、組織ってやつは何かと面倒なんだ。ゴメンネ」どこぞで聞いたような台詞を漏らしながら、ラブ課長がペロリと舌を出した。

「理由は察しましたが、それにしてもこのままでは業務にならない気が。私を課の連中に紹介してもらわないことには、連携もとれないですし」

「ああ、それについては心配ないよ」ラブ課長がいつの間にか手に持っていた(※本当にいつの間にか)マグカップを口につけながら「シレネくんはボクの直下として、単独で動いてもらうつもりだから」秘密を共有する児童のように声を弾ませる。

 腫物の存在である私を組織の中に放りこんで混乱を招くよりは、手元に置いて動かした方が都合が良いという算段らしい。チームプレイが不得手で、死神課の時もほとんど一人で仕事をこなしていた私にとって渡りに船の話ではあったが――

「一つ、懸念が」私は、一段低いトーンの声を漏らして、

「私は前世で……そして神としてい生きる今でも、恋愛と無縁の人生を歩んできました。恋愛の『れ』の字もわからない私が、恋愛課で一丁前の仕事をこなせる自信がありません」

 正直に告白した。

 そもそも恋愛課への異動は私が希望したワケではない。もし手違いの類であるなら、いっそ違う課にたらい回されてくれという懇願さえあった。しかし、

 のれんに腕押すような声で、ラブ課長が一抹の希望をあっさりと打ち砕く。

「うん。ボクはシレネくんが恋愛の『れ』の字もわからないことを承知で、キミを欲しいと言ったんだよ」

「何故、私を」

「キミが、『どんな仕事でも手段を選ばず、絶対に完遂させる』強みを持っていると死神課の課長から聞いてね」

 ラブ課長が好々爺のように目を細めたかと思うと、持っていたマグカップをテーブルの上に置いた。再び私を見つめて、

「シレネくんはどうして、恋愛をしてこなかったのかな?」

「えっ」突飛な質問に、私は思わず声を詰まらせてしまう。そのまま口元に手をあてがい、

「どうして……と言われましても。私には、今も前世でも仕事しかありませんでしたから。恋愛をしようとか、発想すらありませんでした」

 頭に浮かんだ答えを杓子定規に述べると、ラブ課長が「うんうん」と大仰に頷いた。

「つまりキミはまだ、『恋愛を知らない』ということだね?」

 ラブ課長の発言意図が掴めない私は露骨に眉をひそめる。しかしラブ課長は私の態度を一つも意に介さず、ソファの背もたれに全身を預けながら、

「人生観、恋愛観、趣味嗜好――インターネットやソーシャルネットワーキングの台頭により、今の地上界は人々の考え方が多様化している。昔は許されなかったこと、白い目で見られていたような生き方でも、受け入れられる土壌が広がっている。それ自体は素晴らしいことだ。……だけどね、様々な生き方が許容され始めたことによって、シレネくんのように『恋愛なんて必要ない』というスタンスの人たちも増えてきた」

 ラブ課長は寂しそうに遠くを見ていた。私はというと、課長の主張をなんとなくでしか掴めていない。やりようもなく私が沈黙していると、再びラブ課長が私に目を向けた。

「ボクは恋愛を素晴らしいものだと考えている。だから恋愛課の配属を希望して、多忙な恋愛課の仕事を一生懸命にこなして、課長になることができた。みんなに、『恋愛のすばらしさ』を教えるのがボクの使命だと感じている。……けど、自分の考え方を人に押し付けるのは違うとも思っているんだ。ボクはね、『恋愛なんて不必要だ』っていう思想自体を否定はしないし、その人が深く考えてその結論に行きついたのなら、それでいいとも思っているんだよ」

 喋り通しで疲れてきたのか、ラブ課長は一呼吸を挟んで再びマグカップを手に取った。白い湯気がラブ課長の丸眼鏡を濡らし――私は、いつの間にか(※本当にいつの間にか)会話のペースをラブ課長に掴まれていた事実に気づく。私は慌てたように口を挟んで、

「よくわかりませんが……今の話を聞く限りだと、考え方が多様化してしまった地上界において、『恋愛が不要』という生き方も許容するべきであって、であれば、地上界の恋愛を促進させるのが仕事である『恋愛課』もまた不要……という結論になってしまい――」

「おせっかい、さ」

 眼鏡のレンズをシャツの端で拭きやりながら、ラブ課長が自嘲気味に漏らす。

「『知らないこと』を『要らない』と結論づけてしまうのは、ちょっともったいないんじゃないかなぁ……って思っちゃうんだよね。その人にとって『恋愛』は本当に必要なのか。その人にとって『恋愛』は人生を豊かにしてくれるものなのか――それを判断するにはやはり、『恋愛』をちゃんと『知って』からでも、遅くないんじゃないかなぁって」

 鼻頭に丸眼鏡をあてがったラブ課長が真顔を作った。すべてを見透かすような深い眼光で私の瞳を射抜いている。私も負けじとラブ課長の顔を見据えていた。

「課長は、恋愛を知らない私に、恋愛課の業務を通じて恋愛を知って欲しいと考えているのですか。だから私の異動配属を希望されたのですか」

「それもあるけど、真の目的はそうじゃない」ラブ課長が、相変わらず私をみつめたまま、

「もし、恋愛を知らないシレネくんが恋愛課の業務を通じて『恋愛はすばらしいものだ』と感じることができたら、元々『恋愛』が好きで恋愛課の配属を希望した他の神々とは違う視点を持った貴重な戦力になると思ったんだ。『どんな仕事でも手段を選ばず、絶対に完遂させる』という強みを持つキミは、『恋愛課のエース』にさえなれるんじゃないかとボクは踏んだんだよ」

 そこまで言うとラブ課長は再びくしゃりと顔を潰して、赤子のような笑顔を見せた。

「……成程」一見すると支離滅裂だった課長の発言が全て繋がり、私は一旦の納得を得る。しかしそれは、『話の筋が通っている』という文脈での解釈であり、課長の考え方に同調したワケではない。「お言葉ですが」私は切り返すように前置いて、

「恋愛を賛美する課長の考え方を拒否するつもりは毛頭ありませんが、私は、自分自身が恋愛に陶酔している姿をどうしてもイメージできません。恋愛課に従事したところで、私の思想に変化が生じるとは思えないのですが」

「だから、まずは『知ってみよう』って言っているんだよ。……それとも――」

 ラブ課長がイタズラっぽく首を傾ける。やけに幼い所作だった。

「キミは、『恋愛に興味を持てない』ことを理由に、仕事を投げ出すつもりかい? 『どんな仕事でも手段を選ばず、絶対に完遂させる』強みを持つキミが?」

 思わず窮し、「それは……」言葉を詰まらせてしまう。

 この時点で私は、殆ど敗北を認めていた。

 眼前の好々爺は、イニシシアチブを巧妙に掴み、人の心を掌握する術に長けている。私などが太刀打ちできる相手ではないのだろう。

「……わかりました」ゆっくりと大きく息を吐き出し、私はいわゆる腹をくくった。

「このシレネ。わが身を焦がす気概で恋愛課に貢献させていただきます。例え五体が引き裂かれようとも与えられた仕事をまっとうし、恋愛というものの正体を自分なりに掴んでみようと思います」

「ありがとう。……いや、死神課と違って、恋愛課では身に危険が及ぶような業務はないんだけどね」課長は少し戸惑ったように、でも満足気にウンウンと頷いていた。

「じゃあ早速、キミに持ってもらう最初の案件なんだけど――」ラブ課長が仕切り直す様に口を開いた所で、バタンッ――と大仰な音が空間に轟く。

 私とラブ課長はほぼ同時、音がした方へと顔を向けた。私の視界に入ったのは縦積みにされた大量のダンボール箱と、それを両手に抱える一人の人物。真っ白なワンピースを纏い、真っ白な羽根を生やした若い女が、積み上がったダンボール箱の脇からひょっこり顔を覗かせる。

 幼い少女のような顔つきをした彼女が、ブロンドヘアをたゆませながらブルーの瞳をジトリ湿らせて、

「――もーっ! 課長! アタシにこんなにいっぱい荷物持たせて! 一人でスタスタ先、行かないでくださいよーっ!」

 不満げな怒声が空間に轟く。ラブ課長は「ああっ。ゴメンゴメン」と宣いながらも、絶やぬ笑顔を崩さぬ調子からは反省の色が全く見えない。

「エーデル、キミがボクの後ろをついて来ているのを、ウッカリ忘れていたよ」

「ウッカリ忘れないでくださいよーっ!? ひどいですよーっ! もーっ!?」

 大量のダンボール箱をドカッと床に置いた彼女が上体を起こし、両手を腰にあてがう。プリプリと見るからにおかんむりのご様子だ。しかしラブ課長は彼女の不満など一切意に介さず、

「ちょうどよかった。エーデル、ちょっとこっちに来なさい」

 猫でも呼ぶが如く課長が手招くと、キョトンとした表情を見せたエーデルとやらがテコテコと私たちに近づく。彼女は私の顔を見るなり、今度は不思議そうに目を丸くし始めた。

「あれ? そちらの方は……?」どうやらエーデルとやらは私の存在に気づいていなかったらしい。彼女は腕を組んで、ウンウンと唸りながら、

「なんだかその顔、見たことがあるような、ないような、あるような、ないような――」

「彼女は、本日付けで死神課から恋愛課に異動になったシレネくんだ」

 ハッとした表情になった彼女が全身を引きながら、ワナワナと私の顔を指さした。

「――あーっ! こ、この人、『死神シレネ』じゃないですかーっ!? 目が合っただけで半殺しにされた神もいるという噂のーっ!?」

 私は四半世紀前のヤンキーか。

「なんでーっ!? なんで死神が恋愛課の配属になるんですかーっ!?」

「エーデル、ちょっと落ち着き」

「アタシたち、殺されちゃうんですかーっ!? 無慈悲にも虫ケラのようにーっ!」

「いや、エーデル、ボクの話を」

「アタシまだ、前世含めてカレシできたことないんですよーっ! この若さでまた死んでしまうなんてーっ! この世の終わりじゃーっ!?」

「――落ち着けッ!」

 いつの間にか(※本当にいつの間にか)エーデルとやらの背後ろに移動したラブ課長が小柄な五体を跳躍させ、彼女の頭を綺麗に引っぱたいた。


 一通りの茶番も収束を見せた所で――布張りのソファへと強制的に座らせらたエーデルとやらはしおらしく身を縮こませており、向かいに座るラブ課長と彼女が、テーブル越しに私と対面する恰好となった。

「……あの、さきほどは取り乱してしまい、とてもごめんなさいでした」

 目を伏せたまま、彼女が萎れた声で陳謝をこぼす。

「少々賑やかな事態になってしまったが、改めて紹介するよ。シレネくん。彼女の名前はエーデル。天界歴二年目の新米天使だ」

「新米……『天使』?」

 私が疑問符を素直に返すと、「ああ」ラブ課長はそういえばという調子で、

「恋愛課の風習でね、天界の課に初配属になる新人は、神ではなくまず天使として下積みを積んでもらうんだ。恋の神に従事してサポートするのが天使の役目さ。そして今回、シレネくんにはこのエーデルを付けようと思ってね」

 恋愛の『れ』の字もわからない私としては補佐役がつくのはありがたい話だ。しかしエーデルもこの話が初耳だったらしく、「えっ!?」驚愕と共にガバリと立ち上がる。

「あ、アタシ『死神シレネ』付きになるんですかーっ!? ムリムリ、無理ですよーっ! この人、人間たちの恋を成就させるどころか、間違って殺しちゃいそうじゃないですかーっ!?」

 ブンブンと胸の前で両手を大仰に振りながら、エーデルが「ムリムリ」と壊れたオモチャのように叫び喚いている。

 ……まぁ、当然の反応だろうな。『死神シレネ』という悪名が天界に浸透してしまっている以上、好き好んで私の傍にいたい輩はいるまい。私が半ばあきらめたように視線を虚空に移ろわせていると、「エーデル。よく聞きなさい」ラブ課長が静かに唇をはがして、

「人を、噂や見かけだけで判断するのは、『恋愛課』に従事する神々のやることではない。誰もが鼻で笑ってしまうような恋でも応援し、最後まで見守り続けるのがボクたち『恋の神』の仕事だ。キミが立派な『恋の神』になりたいのなら、噂話や偏見に惑わされず、その人の本質を自分の目でしっかり見据えて、その人の良さを見つけてあげることができなきゃダメだ」

 動きをピタリ止め、地面に目を落としたエーデルはラブ課長の言葉に耳を傾けていた。幾ばくかの沈黙が私たちの間を抜けたところで、「……はい」彼女が慎み深い声を漏らす。エーデルはラブ課長の言葉を真摯に受け止めたようだ。

 ラブ課長が娘を愛でる父親のように目を細める。

「心配ないよ。シレネくんは死神課でエースと称されるほどの実績を持ち、熱心に仕事に取り組むことができる人物だ。シレネくんをサポートすることは、エーデルにとってもきっといい経験になる」

 口元をギュッと結んで押し黙っていたエーデルだったが、やがて顔をあげ、ふぅっと緩慢に頬を綻ばせた。

「……わかり、ましたっ!」力強い発声と共にエーデルが私を見る。

「シレネ様。失礼な態度をとってしまい、とてもごめんなさいでした。アタシ、恋の天使としてシレネ様を全力でサポートさせていただくので……これから、よろしくお願いしますっ!」

 エーデルはにっこりと爛漫な笑顔を見せ、子供のようなお辞儀を披露した。その様そうをラブ課長がウンウンと満足そうに眺めている。

「別に、お前の言動に対して私は一つも不快は覚えていない」

 私もまた立ち上がりテーブルを迂回してエーデルに近づくと、面をあげた彼女のホッとした表情が視界に映る。

「私の方こそよろしく頼む。恋愛の『れ』の字もわからない私が恋の神をやるんだ。恋愛課の先輩として是非、助力して欲しい」

 頼られたことが嬉しかったのか、得意げな表情に直ったエーデルがガッツポーズを披露した。

「はいっ! 地上界に溢れるすべての恋愛マンガを読んだと言っても過言ではない私に、なんでも聞いてくださいっ!」……いや、実体験はないのかよ。

「早速なんだが――」

 私が改めるようにそうこぼすと、エーデルは前のめりの姿勢で私の声に耳を傾けて。

「恋の神って具体的に、何をどうする仕事なんだ?」

 そのまま彼女が頭から背後ろにずっこけた事案に関しては、すまんとしか言いようがない。

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