昨日まで死神、今日から恋のカミサマ?(※改稿ver)

音乃色助

序.死神の流儀

0-1


 その男が次に言う台詞は、大体察しがつく。

「お、お前……、どこから入ってきた!?」

 焦りの混じったがなり声が閉鎖空間に響き、しかし私は返事をしてやらない。答える必要がないからだ。想像だにしないイレギュラーに遭遇した時、人が無音に耐えられなくなる事実も私は知っている。その男も例に漏れず、困惑と恐怖をごまかすように声をまくし立てていた。

「何者だ。な、何が目的で現れた!?」

 この質問には答えてやろうかな。

 男が挙動不審に後ずさる様を目でなぞりながら、私は静かに唇をはがして、

「私は死神だ。お前の命を取りにきた」

 端的にそう言ってやると、男がポカンと大口を開けた。

 幾ばくの静寂が流れた後、「……ハハッ」嘲笑と共に男が口元をひきつらせる。

「お前、何言っているんだ? 頭、おかし――」

「DPホールディングス株式会社。資本金100億以上、従業員数5万人を超える大手運送会社。国内宅配便シェアトップ5に入る実績は伊達でなく、その社名を聞いたことのない人間の方が少ないだろう」

 男の発声を自身の声で遮った。私はあえてそうした。

 男が平静を取り戻す隙を潰したのだ。そうした方が手っ取り早いのは過去の経験から知っていた。やはりというか、唐突な私の能弁に呆気をとられたのか男はピタリと押し黙ってしまった。私は言葉をつづける。

「しかし悪名という観点でも噂が絶えないのもまた事実だ。六年前、及び二年前に従業員の過労死認定により有罪判決を受けているにも関わらず、今年の二月、今度は上司のパワーハラスメントが原因で自殺者を出すという事件を起こし、世間からバッシングを受けた。労働環境を改善しますと声高に宣言してはいるものの、実体は伴っていないようだな、社長さん」

 私が一度言葉を切ると、「なっ……」男が声を詰まらせる。狼狽が浮かんでいた男の表情に、怒りの色が混じった。

「……何を言い出すかと思えばそんなこと、素性の知れないお前に言われる筋合いはない。それに、先にお前が述べた事件についてわが社はしかるべき処置を取った。社内制裁として執行役員の処分を行い、事件に関係した社員に関しても厳正な処置を――」

「だが、社長のお前はのうのうとしているではないか」

 私は、手に持っていた鎌の刃先を男の首元に向けた。ベラベラと口が止まらなかった男の全身が硬直し、一呼吸の沈黙が流れる。

「社長というのは、社員を守るのが仕事なのではないか? お前は事の重大さを理解しているのか? 死ぬ必要のなかった人間が死んでいるんだぞ? お前が毎晩高い酒をあおっている間、このビルの電灯は消えることがないんだぞ?」

 男がワナワナと震えはじめる。浅黒く、皺が刻み込まれた額からは脂汗が滲んでいた。やがて、「……うるさい」男が唸るような声を低く、

「お前に、お前らに何がわかるんだ。従業員の酷使なんてどこの会社でもやっているし、今にはじまったことでもない。やれネットニュースだ、SNSだ――メディア連中がPV数を稼げるという理由だけで急に取り沙汰しはじめただけだろう。それを見たエセモラリストが大袈裟に騒ぎ立てているだけだろう。第一、物流が止まって一番困るのはネット通販に依存しきっているお前ら消費者ではないか。我々はニーズに答えているだけだ」

 男はハァハァと肩で息をしていた。私はそれを醒めた目つきで見ている。

「成程な」ふぅっと一呼吸を挟み、「では、利便のためなら人が死んでも仕方がないと?」

 そう問うと、男はばつの悪そうに視線を落とした。

「そんなことは言っていない、だが――」

 男が再び私に目を向ける。打って変わり、懇願するように弱々しい表情だった。

「……私に、どうしろというんだ。労働環境の改善なんて口で言うのは簡単だが、一朝一夕で片のつく問題ではない。労働時間を無理に規制したところで、ノルマを達成できない現場が言う事を聞くワケもなく、目標予算を減らせば他社にすぐシェアを奪われてしまう」

「どうしろ、か」私は、鎌を握っていた右手を手前に戻し、腰の横あたりで構え直す。

 一つ、右手で孤を描けば、男の胴を真二つにできる間合いで。

「『あの世で心を入れ替えろ』かな」

 静まった空気が流れたのち、「はっ?」男が間の抜けた声を漏らした。

「最初に言っただろう。私はお前の命を取りにきた。それはもう決まっていることだ。現世でお前がすべきことなど、もう何もない」

「なっ……何故、私が殺されなければならないんだっ!?」

 いよいよ男が憤慨する。自身に纏わる死の恐怖を必死に振るい払うように。

「たかだか二,三人……従業員に死者をだしただけで、何故、私なんだ!? この世には私よりも、死ぬべき大罪を犯している人間が腐るほどいるだろう!?」

「神の選別に、お前が口を挟む余地などないな」

 事もなげに呟き私は男に近づく。男は後ずさり、私から距離を取ろうとする。が、

 ドンッ。男の背中が壁に接着した。退路を断たれた男の口から拙い呼吸音が漏れ出る。

「……おいっ! 誰か! 警備員! 変な恰好した女が私の部屋に――」男はその後も何か喚いていたようだったが、私はそれを聞き流していた。

 三,二,一――心の中で、狂いなき秒針を鳴らすことだけに集中していた。

「私の言葉、決して忘れるなよ」

 そう言い捨て、握りこんだ鎌を素早く横になぐと、刃先が男の胸部を貫通する。

 男はピタリと口を止め、そのまま力なくグラリ、灰色のカーペットに倒れ込んだ。

 静寂が閉鎖空間に響く。

 私は鎌を持っていた右腕を下ろし、闇夜に覆われた外の世界へと目を向ける。窓ごしに映る都会の街は人工的な光が五月蠅く、情緒の欠片も感じられない。

 ……元より私は、景色を見て感動したことなど一度もなかったかもな。

 乾いた息を漏らして、私もまた深淵へと消える。


 ※


 廃ビルの屋上の縁に腰をかけ地上を見下ろす。私はボーッとしていた。

 今から課に戻っても上司はとっくに退勤しているだろう。我が死神課はクリーンな部署として天界でも有名だ。報告は明日でいいか――と心中でごちていた矢先。

「シレネ。その様子じゃあ仕事はもう終わったみたいだな」

 背後ろから声がしたので、私はユラリと振り返った。

 今時分、こんな人気のない場所で『人間』が私に話しかけるとは思えない。というか私の名前を知っている時点でその人物は――

「課長……はい。DPホールディングスの社長の案件は先ほど対応が完了しました。書類をまとめて、明日の午前中に提出します」

 立ち上がり、私が杓子定規なお辞儀をペコリ披露すると「いつも言っているけど、そんなにかしこまらなくていいから」見慣れたつるっぱげを撫でている課長が、苦笑いを浮かべた。

「さすが死神課のエース。仕事が早いな。今月でもう四件目か?」

「いえ、六件目ですね」

「……お前、たまには休めって」

 苦笑いを重ねる課長に対して、私は頭によぎった疑問をそのまま口にする。

「それよりも課長が現場――というか地上に来るなんて珍しいですね。何かご用向きですか」

「ああ、うん。というか、お前に話があって」

「……私に話、ですか?」

 課長は何故だか気まずそうに目を伏せている。わざわざこんな時間に地上に降りて来ずとも、明日になれば天界で顔を合わせるというのに。一体なんだろうか――

 想像を巡らすも、思い当たる節は何もない。大きなミスをやらかした記憶もないし――というか私は、この仕事でミスを犯したことなど一度もない。私が訝し気に眉を寄せていると、

「単刀直入に言う。お前に部署異動令が下った。急だが明日から別の課の配属になる」

「えっ」思わず、呆けた声が私の口からこぼれた。

 そのまま、脊髄反射で疑問符を切り返した。

「理由を教えていただけないでしょうか」

「……まぁ、そうだよな」課長が諦めたように嘆息して、

「前々から、その課から人を寄越せという打診はあったんだ。なんとか煙に巻いてはいたんだがな。いよいよ現場が回らなくなってきたらしく、こっちも逃げきれん状況になった」

 課ごとの人員配分が適切ではないという問題は私も耳にしていた。だから、業務が比較的安定している死神課から人が抜かれる事案については納得できる。しかし、

「何故、私なのですか?」

 私がまっすぐに課長の顔を見据えてそう問うと、課長がばつの悪そうに視線を落とす。

「直々にご指名があったんだよ。『死神課のエース』シレネをぜひうちの課に、ってな」

「……私を?」

 私は思わず目を丸くした。耳を疑いたくなるような話だったから。

 取り急ぎの疑念は脇に置き、真顔に直った私は薄い目で課長を睨んだ。

「それで、課長は二つ返事で了承したのですか? 私の異動配属を」

「……シレネ」

 詰めるような口調になってしまったのだろうか。課長は窮した様子で顔を強張らせていた。

「さっきも言ったがお前は死神課のエースだ。誰よりも多く仕事をこなし、ミスもない。正直、うちの課が安泰なのはお前のおかげでもある」

「だったら、どうして」

「だから、だよ」

 茶を濁すような課長の返答に、私が首を傾げるのは必然だ。

 課長はやけに真剣な眼差しで、赤子を諭すようなトーンで言葉を紡いだ。

「若手のお前が常にトップの成績を取りつづけることで、古参の連中が腐りはじめちまってるんだよ。どうせ自分達が仕事をしなくても、代わりにシレネがやってくれるって」

 課長の話を聞きながら、私は記憶の糸を手繰り寄せていた。……そういえば、私が配属したてのころの方が死神課は活動的だった気がする。ターゲットを探すための情報共有もメンバー間で盛んに行われていたが、今はみな、互いに連携する素振りすら見せない。最近だと私は一人地上に降り立ち、自らの足で獲物を見つけるのが常だった。

 課長がやるせないように目を細めて、

「死神課はシレネに依存しちまってるんだ。個人に頼らないと業績を保てないような状況は課としては健全じゃない。お前にだって定年はあるし、今回の件がなくったって、お前が自分の意志で部署異動を希望する可能性もある。荒療治だが、死神課の連中にとってもいい機会なんだよ。……悪いな。組織ってやつはどうにも面倒でさ」

 課長が私の肩に手をおいた。「俺も、本音ではお前を手放したくないんだがなぁ」歯噛みするようにこぼしたその言葉は、嘘を吐いているようには聞こえない。

 少しだけ逡巡したのち、私は心の中で白旗を上げた。

「……わかりました」

 胃の中にたまった空気をふぅっと吐き出すと、全身がたゆんでいくような感覚があった。

 四年間――私が死神課に従事していた歳月だ。

 強い執着があるわけでもないが、自分に向いている自負はあった。むしろ、死神以外の仕事をしている自分がうまくイメージできない。そういう意味で不安は勿論あったが――どちらかというと、私は呪縛から解放されたような心地になっていた。

 ようやく私も、前世の罪を清算することができたのかな。

 私の胸中など知らぬ課長が、「そういえば」と思い出したような声をあげて、

「お前の配属先の課がどこか、まだ言っていなかったな」

「……そうですね。どの課でしょうか」私もまた呆けた声を返す。全身からはすっかりと毒気が抜け落ちてしまっており、ありていに言うと私は油断していた。……油断していたから、

次の課長の一言に、鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚えてしまう。

「お前の配属先は、『恋愛課』だよ」


 視覚が、遠く彼方へ飛ばされてしまったような。

 聴覚が、五体から切り離されたような。


「――はっ……?」


「お前は明日から、恋の神になるんだ」

「……今、なんて?」

「お前は明日から、恋の神になるんだ」

「……今、なんて?」

「お前は明日から、恋の神になるんだ」

「……今、な――」

「俺はRPGゲームの村人Aか」

 私は混乱している。混迷している。昏睡している。……いや昏睡はしていない。

 突如突き付けられた宣告は、あらゆる想定を手繰り寄せても検知できなかった現実だった。そして、

「あの、お断りさせていただきます」

 脳死状態になった私の口が、勝手に動く。

「……シレネ。これは上からの通達で決定した事案なんだ。いわば辞令だ。覆すことはできん」

「お言葉ですが、恋愛の『れ』の字もわからない私が恋の神など務まるとはとても思えません」

「……すまん」

「さっき課長、私のこと手放したくないと仰ったじゃないですか。なんとかならないんですか」

「……すまん」

「ハゲ課長」

「この頭は自らの意志で剃っているのだ。ハゲではない。そして……すまん」

 気づいたら、課長はつるっぱげを晒しながら私に土下座していた。

 ……何を言っても、無駄、か――

 私はヨロヨロと後ずさり、ガクリとその場で膝をつく。

 天を仰いで神に恨み節でも吐こうとしたものの――自分がその神ではないかと、八方塞がれた事実に気づく。

「……ははっ」

 夜月に向かってとりあえず、私は笑うしかなかった。

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