僕がいなくなっても
神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)
第1話
「解剖できたら、どんなにいいか」
騒がしい飲み屋の片隅。すっかり紅くなり、目の焦点も合っていない。
「物騒ですよ。ここは、大学の外なんですから」
「僕は、解剖学者だ。解剖が仕事だよ。それに、
熱弁を振るう
こんなことになるくらいならば、黙って先輩方の主催する新歓焼肉パーティーに参加していれば良かったのだ。法医学教室の新歓コンパであるのに、「焼肉」であるのがいけなかった。学部時代に初めて人間のご遺体を解剖したのは、二回生の時分だ。すっかりその迫力を忘れてしまっていた。
また、焼肉もそうだが人と接するのが苦手で断ったところもある。新歓コンパとは、美味い焼肉を食い、美味い酒を飲む以外にも、これからもうまくやっていこうという意図があるのは重々承知している。しかしながら、自分は生身の人間とつきあうのが億劫だから、法医学教室を選んだ訳でもある。
「やはり、痩せている子はいい。解剖せずとも、外からその美しい筋肉やなんかが見えるだろう」
「あまり痩せすぎもどうかと思いますがね」
隣県から運ばれてきた女子大生の話をしているのだろう。
「いや、あの子はちょうどよかったよ。綺麗な内臓をしていた。女の子だし若かったから必要最低限の解剖しかできなかったけどね、本当なら学部生がやるくらいに彼女の全てを知りたかったんだよ」
溜息とも返事ともつかないような息を吐き出す。
「そりゃあ、同世代の女の子が献体されたら、男子学生は大喜びでしょうけども」
「女子学生だったら、泣いてしまうかもしれないね」
頷き、同意する。
「これが友達だったら、家族だったら、もしくは自分だったら、って思ってしまうんでしょうかね」
口に放り込んだばかりの、つまみの味が薄れる。前橋教授がビールを飲み乾す。グラスを置く。テーブルに肘をつき、顔の前で手を組む。数えきれないほどの解剖をしてきた手。
「菅沼くんが、学部生だったらどう思う?」
唾を呑みこむ。乾ききった口をやっとの思いで、開く。
「可哀想」
前橋教授が目を細める。にわかに手を解き、頭を撫でてくる。
「でも、ちゃんと解剖してやらなくては失礼だよね。勉学のためか、死因究明かのためにせよ」
生きた人間から触られるだなんて、随分、久しぶりだ。
「菅沼くんは、いい頭蓋骨を持っているね」
顔をしかめる。慌てて手を払いのける。
「冗談ですよね?」
「大丈夫。万が一、菅沼くんが亡くなったら、僕が綺麗に解剖をしてあげるから」
酔っているからなのか、本気なのかわからない。満面の笑みを浮かべている。
「あっと、そうだ。是非、献体の登録を。そうじゃなきゃ、今日の女の子みたいに悔しい思いをしてしまうからね。菅沼くんはゼミ生だから、優先的にやってあげるよ」
この教授は、人のことをそういう目でばかり見ているのか。侮れない。
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