書店巡り
昔から本が好きで、学生の頃は休み時間になると図書室によく居座ったものだ。地元の大学を出たあとは、自分の好きな小説を扱っている大手出版社に就職したかったけれど、高い競争率に負けてしまった。それでも本に関わる仕事がしたかった私は大手だけでなく、あらかじめ就職活動を始める前からリストアップしていた他の中小企業にもめげずに挑んでいった。結果、今の会社に採用されて、それまで生活してきた地元を離れることになった。父はかなり寂しそうにしていたが、母は結婚相手をしっかり見つけてこいと私に言ってきた。本ばかりに目がいってしまう私が結婚できる日が来るかは分からないけど、目の前の仕事にはしっかりと向き合っていこうと思う。
* * *
今、私は東京の神保町にる。休みの日になると、ときどき古書店街として有名なこの地に訪れては目当ての本を探したり、偶然興味を持った本を購入したりしている。この日のために仕事を頑張ってきたという達成感と神保町が醸し出す独特の雰囲気が私を優しく包み込む。それだけで私の休日は充実したものと変貌する。ところが、そんな至福のひと時にも悩みがある。せっかく書店巡りと称していろいろな本屋さんをハシゴするのだけど、お目当ての本がなかったり、興味のそそる本がなかったりして何も買わずに帰ることがあるのだ。周囲にこのことを相談すると、
「ネットで買えばいいじゃん」
と言われる。それに対しての私の返答は、
「書店に来てこそ意味がある‼︎」
だ。ネット通販は便利だから時折私も使うけど、やはり書店に実際に訪れてみることで意外な本との出会いもあるというもの。けれど、その出会いもそう頻繁にあるわけではないので寂しい気持ちで帰ることが多い。
(どうにかならないかな〜)
いつものように神田すずらん通りを歩いていると、アート関係の古書を数多く扱っている古書店が視界に入った。これも何かの出会いがあるかもしれないと思った私はのんびりとした足取りで入っていった。縦長の小さなお店のなかにはたくさんの本が所狭しと並べられている。加えて細かくジャンルごとに分けられているので、とても探しやすく、それゆえに私好みの雰囲気となっている。
(いつか、このお店みたいな書棚に囲まれた物件に住みたいなぁ)
しばらくして、浮世絵あたりの書棚を眺めていると、
「こんにちは」
「へっ?」
本屋で声を掛けられるなんて初めてのことだ。
(怪しい誘いなら、黙って逃げよう)
「えっと…、何か?」
「突然すみません。私、薬売りを生業としている者でございます。お客様にオススメのお薬がございまして、お声がけさせていただきました」
(書店での押し売り⁉︎……最悪)
黒スーツで薬売りを名乗る男から離れようと、私はすぐに踵を返した。
「えっ?」
さっきまで床から天井まで続く大きな書棚と山のような本たちに挟まれた通路にいたはずなのに、目の前には地平線の彼方まで続く草原と星空が拡がっていた。
(どうゆうこと……?)
「他の方々のご迷惑になってはいけないので、場所を変えさせてもらいました。お客様のご用件がお済みになりましたら、もとの場所へ戻させていただきますので、ご心配なく」
だだっ広い草原のなかで、男はどこから用意したのか分からないバーカウンターの上で黒いアタッシュケースを私の前で開き始めた。
(え、ちょっと…、何?どういうことなの?)
私が戸惑っていることを気にしない様子で、黒スーツの彼は遮光性の小さな瓶を私の前に置いた。
「こちらは【
「へ、へぇ〜」
(なに、そのファンタジー要素満載のアイテム?)
「こちら、20錠ほど入った瓶がおひとつ2,500円となります」
(…それなりのお値段なんですね)
「いかがなさいますか?」
戸惑いながらも、私は大いに迷った。迷った結果……、
「ふ、ふたつ…ください」
「ありがとうございます」
(あぁ〜、買っちゃったよ〜。欲望に負けてしまった。よく分からない状況下で…)
その後、薬の代金を男に渡したところで私の意識は遠のいた。
「へっ?」
気がつくと、私はあの神保町の書店に戻っていた。夢だったのかと思ったけれど、帰宅してからバッグに男から買った薬が入っているのを見つけた。
* * *
* *
*
あれから何度か神保町に行ってみたけれど、あの黒スーツの薬売りに会うことは一度もなかった。彼は一体何者なんだろうか。今もどこかに突然現れては、怪しい薬を売り歩いているのだろうか?
(……貰った薬はあと37錠。大切にしていこう)
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