犬神様と呪い
感染者の家であり働き口だったカンパニー。
現在そのガラス張りの建築物は数日前とは大きく様相を変え、無惨な姿を晒していた。
ガラスは粉々に砕け、壁にはヒビが入り、絶え間なく物資を運搬していたトラックも横転し、今は沈黙を貫くばかりだ。
ワクチンを手にいれるため焦ったように働いていたカンパニーの人間たちも、今は生命線である家の修復に追われていた。
「よっせ、よっせ」
犬耳の少女が大きな瓦礫を抱え、よっちらおっちらと歩いている。
彼女の後ろでは同じ顔をした少女たちが蟻の様に集まって巨大な鉄骨を持ち上げていた。
犬神孤狼と人工神エト、重機のない環境で修復は絶望的かと思われたが彼女たちの怪力により修復は順調に進んでいた、今のところは。
以前の通りとはいかないが、少なくとも施設としての体裁は取り繕えそうだ。
だというのに、作業を続けるカンパニーの人々の顔は優れない。
その理由は物資の損失だった。
建物は最悪壊れてもよかった、無人のビルが連なるこの都市では住居には困らない。
だが、物資はカンパニーにとって命そのものだ。
それは、日々の糧であり、ワクチンを所持する都市との取り引き材料でもあった。
それが瓦礫にまみれ、押しつぶされ、水に濡れた。
無視することのできない損失だった。
今まで通りに物資をやり繰りすることは難しい。
もう満足にワクチンが行き渡ること二度とはない、だれもがそれを感じていた。
だが、口にだすことはない。
一度それを発すればこの共同体は崩壊する、そんな恐怖がそこにはあった。
カンパニーの解体、それを目の前にして誰もが目を逸らした。
感染者に行く宛などないのだ。
「…………皆随分と、元気がないのぉ」
そんな中孤狼は呑気にそう呟いた。
どこか他人事のような一言だった。
「当たり前だろ、お前状況分かってる?」
「分かっとるわ!失敬な」
ぼやく孤狼の肩に猫又の禄太が飛び乗る。
孤狼は鬱陶しそうに身をゆすったが、禄太は器用にしがみつき、挙句の果てにその頭の上で丸くなった。
瓦礫で両腕が塞がれている孤狼は彼を引き剥がすこともできず頬を膨らませる。
「まぁ…………どう転ぶかは人の統治者の手腕じゃのう」
頬に溜めた空気を吹き出しつつ孤狼は頭上を仰ぎ見る。
頭上ではカンパニーの社長、南がメガホンを片手に指示を出していた。
いつも現場を禄太に任せている彼らしからぬ行動だ。
もう歩くことも出来ない末期の感染者だというのに、その声は不思議なほど力強い。
「はぁ……あいつ、ついこの間までは僕に社長を譲るーとか言って死にたがってたやつだぜ、どうにかできるのかな」
禄太は2本の尻尾を器用にくねらせる。
そこには禄太なりの信頼と疑惑があった。
カンパニーの社長と副社長、長い年月を共に過ごしてきただけの積み重ねがそこにはあるのだろう。
それを孤狼は知らない。
それでも、孤狼なりに分かることもある。
「あやつは迷っておった。だからこそ儂に罪を告白したのじゃ。あの時は儂の言葉はあまり響かんようじゃったが…………今回の件を経て、何か変わっておるかもしれぬな」
「確かにね」
彼の中の何かが変わった、それは皆感じていた。
死を感じるばかりだったあの老人のどこから湧き出てきたのか確かな決意がそこにあった。
絶望的な状況の中でもカンパニーの共同体が瓦解しないのは、彼の存在によるところが大きい。
ここの誰もがカンパニーに拾われ、救われてきた。
その長たる彼が前を向いているのだから、まだ終わりではない。
じっと南を見ていると彼と目が合った。
孤狼はその目をジッと見つめ返す、その中に秘めた意志を見極めるように。
人類滅亡へと舵を切った神を前にして彼がどう変わったのか、興味があった。
神の現状を彼はどう受け止めたのだろうか。
「禄太、2人を呼んでくれ」
2人、それが誰を指すのかは明白だった。
孤狼は禄太と目を合わすと頷く。
「おいエト、どれでもよいから来い。カンパニーの代表がお呼びだぞ」
「はーい」
人に作られた神は呼ばれるのが分かっていたとばかりに一斉に微笑んだ。
そのうちの1体が孤狼から瓦礫をむしり取ると運び去っていった。
全く何体いるのだか、便利な存在だ。
動かなかったエレベーターは先の被害を受けて傾いていた。
不確かなそれに足をかけ、上階へのぼる。
カンパニーの乱雑だった社長室は、襲撃を受けさらに混沌としていた。
床に散らばる書類やワクチン、それを避けてどうにか椅子と机が置いてある。
ちょうど2脚、最初から2人を呼ぶことは決まっていたのだろう。
2人が腰をかけると、社長自らが2人の前に湯気の立つお茶を出した。
お茶と共に出された菓子に孤狼の尻尾が揺れる。
禄太は南の膝の上にちゃっかり居座ったようだ。
「まずはお礼を言わねばならないでしょう。私たちを守ってくれたことに対して」
「なに、当然のことじゃ」
「うん!僕らは人間の味方だよ」
「それでも、それは神の総意ではなかったのでしょうから」
神の総意か……孤狼はなんとも言えず鼻を鳴らす。
主神の意思とは神の総意なのか、難しい話だ。
確かにかつては主神のもとに集い人間たちを見守ってきた。
だがそれは人類の守護という目的が合致していたからに過ぎない。
今、神々はバラバラになってしまっている。
もう、あの頃のようにはなれない。
孤狼は主神が今、どこにいるのかも分からないのだ。
「難しいところじゃの〜」
「僕寝てたからよく分からないよ」
寝てた……!
孤狼はギョッとしてエトを凝視した。
まさか自分の他にも寝過ごしている寝坊助がいるとは思わなかったのだ。
なんとなく親近感を覚える孤狼だった。
「なんにせよ神は我々を許していない。そんなこと……この荒廃した都市をみれば分かる、この世界は神が思い描いた結果でしょうから」
「そうだね。世界をこんな風にしたのはきっと先輩たちだ」
「少し、浸り過ぎていたのかもしれません。神々に守られていたかつての幻想に」
きっと、思い出がそうさせたのだろう。
孤狼は鳥神を知っている。
喧しいけど、煩わしい訳じゃない、愉快な神だった。
そんな神がいた地で生まれたのだから忘れられなかったのだろう、かつての神を。
だけどそれは過去だ。
「変えましょう。私達とあなた達で」
強い目だった。
もう迷いはないらしい。
「こいつを連れて第13都市に向かってください」
禄太が抱えられて2人の前に差し出される。
禄太はなんだか得意げな顔をしていた。
「第13都市?」
「人類種存続機構、その本部がそこにあります。そしてそこにDr.もいる」
「Dr.というと、ワクチンを作ったやつかの」
人類種存続機構、人類の今の形成を作った集団。
ワクチンの出所はその本部、考えてみれば分からない話ではない。
ワクチンとは絶対の価値であり命の保障だ、それを生産できるということはそれだけで地位になりえる。
そしてそのワクチンからは神の匂いがする。
「ワクチンを作ったのは彼です。彼……あるいは彼女でしょうか?あれは一度も人前に出たことなどありません。あれが何なのか私には判別がつけようがない」
「…………ふむ」
どうやらそのDr.とやらには直接会ったことはないようだ。
それは神か、人間なのか。
孤狼自身の目で確かめるしかないだろう。
南は床に散らばった銀の筒を手に取る。
全ての要、『除草剤』だ。
「神は人と断絶し滅びを望んだ。ならば我々も抗いましょう新たな人と神の時代を築いて」
「……悪くない話じゃの」
まぁ、ワシはそんなに役に立たなそうじゃが…………そう思っても口には出さない孤狼であった。
実際過去に疫病が蔓延した時代も、活躍したのは兎神と蛇神だった。
孤狼のやったことといえば薬草を探して野山を駆け回ったぐらいだ。
しかし災厄の元凶たる種子に対して自然を司るエトは何か役に立つかもしれない。
同じ植物由来なのだからやってみる価値があるだろう。
「私は引退しその後継として禄太を人類種存続機構に紹介する、そういう流れにしましょう。Dr.本人には会えずとも、近い位置の人物には接触できるでしょう」
「オッケー、その伝手を使ってどうにかそのDr.とやらに会ってみるよ〜」
「うまくいくといいのぅ」
ここで感染者たちを細々と守っても世界が変わらないのも事実だ。
人類種存続機構……人の作ったその団体と合流して人を守るのが吉か。
ふんすと鼻を鳴らして孤狼は決意を露わにする。
「ああ、ひとつ気をつけてください」
「なんじゃ」
「あそこでは常に清潔無菌が求められます。体は洗った方がいいでしょう」
「なぬ、儂は清潔じゃぞ」
なお、そう言って耳を掻いた孤狼からノミが飛び跳ねた。
彼女がお風呂嫌いのワンちゃんであるのはいうまでもない。
数時間後、夕はお風呂で孤狼と格闘することとなった。
……………………………
…………………
……
「…………フカフカしてる、先輩」
「ぬお〜……」
洗われ、普段の五割り増し艶を増した尻尾をエトに撫でられる孤狼。
神として威厳がなさすぎであるが、それは今更かもしれない。
軽トラックに乗り第13都市に向かう、その道中。
夕が運転をし、道を知る禄太がナビゲート、機械に疎い神2匹は荷台に乗せられていた。
せっかく2人っきりになったのだからと、孤狼はエトに向き直る。
聞きたいことが山ほどあった。
「のぅ、聞かせてくれんか人工神とは何じゃ?お主は何故白楊の力を持っておる」
「ん〜?」
尻尾を撫でていたエトの手が止まる。
孤狼の知らない13匹目の神。
敵ではないことはもう分かっている。
彼女は人間の味方だ。
でも、その正体は孤狼にとって不明瞭なものだった。
「そのままの意味だよ、僕は人によって作られた神だ。まぁ作らせたのは神だけどね」
「白楊か」
「うん、パパは子供が欲しかったんだと思う……」
あの日、小さな墓を寂しげに見つめていた友を思い出す。
きっと彼にとって失ったものは、大き過ぎたのだ。
違うと分かっていても、その贋作を作ってしまうほどに。
「白楊は……今どこにおる」
「死んだよ」
ピクリと揺れる犬耳。
あっけらかんと放たれたその事実に孤狼は顔を顰めた。
予期していたことではあった、あの友人はもういないのかもしれないと、薄々勘付いてはいた。
「パパは死んだ、この世界に呪いを振り撒いて」
あの日から笑わなくなった友人、その友人の権能を思わせる植物由来の汚染。
ヒントはいくらでもあった。
その答えを保留にしていたのは……ただ彼の喪失を信じたくはなかったから。
眠っている間に変わってしまった世界をまだ受け入れられていないだけ。
「あの汚染はパパから生まれた。言わば僕の姉妹みたいなものなんだ」
「あぁ、儂は以前あれが“パパ”と呼ぶのを聞いた」
神の神性を破れるのは同じ神性だけ、だからあれらの汚染は孤狼の身体さえ蝕んだのだろう。
「呪い……白楊はそれほどまでに人を憎んだのじゃろうか?」
孤狼の知る白楊は人を愛していた。
仲間である神に矛を向けることも厭わずに、守ろうとした。
物静かで優しい神だった。
「愛していたよ。でも人は神の尊厳を盗み兵器を開発した。それは強化人間という僕と同じ遺伝子を持った出来損ないの神だった。人は犯してはならない神の領域まで踏み込んだんだよ。でも人がその領域まで踏み込める隙を作ったのはパパだった。僕という成功体がなれば強化人間は生まれなかったからね。人は愚かだったけど、人を愚かにさせたのはパパなんだ。だからこそパパは人を憎みきれず己を嫌悪した」
「全ては詠都を取り戻したかったあやつの過ちか」
白楊は前を向くことができなかった。
孤狼のように失った人々の思い出と共に前に進むことなどできなかった。
彼はあの日から俯き、地面ばかり見つめていた。
そこに埋まった愛した人とその子供ばかり求めていた。
「だからこそ主神は罰を下した。過ちの根絶をパパに命じた」
「主神様が……」
「そうしてパパは愛した遺伝子を根絶するため殺し回った。愛する人を取り戻すはずが、結果として愛する人を殺すことになった。その歪みがパパを狂わせ、世界を呪わせた」
主神様も酷なことをする。
だが鹿神が過ちを犯すのは二度目だった。
一度目は猿神と殺し合い、二度目は人と神を創造した。
全て人を愛したゆえに始まった過ちだ。
だけど主神様は白楊に人を愛することを禁じなかった、自身も愛していたからだろう。
罰を重くする必要があった、今度こそ再び過ちが繰り返されぬように。
その重さが白楊を潰した。
「呪いの爆心地に僕はいた。だけど汚染は僕を蝕まなかった。パパの神性が僕を守り、神にした。だから僕と言う存在は罪悪感なんだ、白楊という神のね。彼は世界を呪いながら自死することに負い目を感じたからこそ、僕という後継者を残したんだ」
吹き出した呪いの中に残った最後の善性、それがエトという神なのだろう。
「…………そう、か」
ずっと探し続けてきた。
なぜ世界がこんなことになったのか、人を蝕むその汚染の正体を。
その答えを手にしたと言うのに孤狼はただ虚しかった。
友に寄り添えなかった、友を失った、そんな答えが欲しかったわけじゃないのだ。
「お主は……恨みはしないのか?全てを押し付け消えた父親を」
「どうして?僕は愛しているよ、僕を産んでくれた全てを。だって生きるって素晴らしいことだから」
きっと目の前の神は強いのだろう、父親と違って。
それは味方としては頼もしいことだ、だけれど父親と全く似ていないその性格は孤狼を寂しくさせた。
車に揺られながら、孤狼は世界を呪って死んでいった友を想う。
「……………………?」
だがその回想は途中で立ち消えることになった、大いなる疑問と共に。
世界を呪った白楊のことは分かった、彼のその心情も理解できなくはない。
では…………なぜ主神は人間を滅ぼし新しい人間を創造することにしたのだろう?
人間に失望する場面は確かにあっただろう。
でも白楊に罰を課した時点では人間を滅ぼそうとしていなかったはずだ。
白楊に人を愛することを禁じなかったのも、やり直しの機会を与えたのも、人と神の世界を続けるつもりがあったからではないのか?
そこまでは孤狼の知る優しい主神様なのだ、そこまでは。
それが、なぜ人を滅ぼし、逆らう神を殺そうとする?
白楊が世界を呪って死んだから?
それは神の問題だ、彼の自死は彼の問題であり、人間が新しく過ちを犯した訳じゃない。
何かが変だ。
主神はどこで変わった?
「何か…………儂の知らない秘密がある?」
まだ全ての答えが明らかになった訳ではないようだ。
自分の知らぬ闇に向かって孤狼は毛を逆立て唸り声を上げた。
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