4 灰になる

 その夜、僕はなかなか眠れなかった。

 格納室には他にも何体かのクローンたちが横たわっていたが、昼間、アンデット化した個体と対峙した班の者は誰もが寝付けないようだった。


 明日は我が身かもしれない、という思いと、明日も誰かの処分をしなければならないかもしれない……という漠然とした不安が押し寄せてくる。

 心配したところでその時が来たなら、また同じように粛々と事を進めるだけだ。だというのに、なぜがもう二度と同じ姿を見たくないという気持ちが、虚ろな胸の内から湧き起こっていた。


 しばらくして、格納室の扉が静かに開いた。深夜を回ってからやっと、機能を停止したクローンを焼却炉まで運んだ966番たちが戻ってきたのだ。

 一体の足音が僕の方に近づいて来る。

 クローンたちが横たわる小区画はある程度決まっていたけれど、僕の両隣は空いていたからからか、それとも足音に顔を上げた僕に気づいてか、966番が隣に来た。

 そのままごろりと横になる。

 966番からは微かに、血と灰の匂いがした。


「ずいぶん……時間がかかったんだね」


 僕の呟きに、966番は直ぐに答えなかった。

 疲れて返事をする気にならなかったのかもしれない。

 そう思い、僕はもう一度訊き返すことも無く背を向け瞼を閉じようとした時、966番がぽつりとこぼすように言葉を返した。


「きっと、もうすぐ僕は灰になる」


 遠く、排気管を流れる風の音だけが響く静寂の中で、966番の声は譫言うわごとのようにも聞こえた。

 僕は続く言葉を待っていたが、何も言わない966番の方へとゆっくり振り向く。

 966番は壁の、鈍い明かりをじっと見つめていた。


「誰もが、いつかは灰になるよ……」

「遠い先の話じゃない」


 そう呟いて、966番は汚れた肩の辺りを見せた。

 返り血を浴びたのかと思ったシャツの下には、醜い噛み傷が残っていた。昼間、429番の機能を停止させようとした時に喰らったのだろう。


「明日か、明後日か……」

「異常を感じ始めているのか?」

「この体も、世界も、生まれた時から異常だ」


 皮肉に顔を歪ませて嗤う。

 僕は上半身を起こして壁を背にした。

 誰か悪夢を見ているのか呻き声がする。それを僕はぼんやりとした意識で感知しながら、ぽつりと答えた。


「966を処分することになったら、僕が運んであげるよ」

「それは嬉しいな」

「焼却炉は遠い?」

「足元も見えないくらい、暗くて、遠かったな……」


 光源となるような照明器具も持たずに果てしない下層を目指すのは、普段僕らが作業するルートを行き来するのとは比べものにならないだろう。

 僕は「そうか……」と短く答えた。

 後、何度、こんな夜を過ごすのだろう。

 濁った空気の中で、重い荷を運び組み合わせ、計器が正常に動いているか、ボルトは閉まっているかと見て回る日が続くのだろう。

 966番が、夢見るようにぽつりとこぼした。


「明るいところで死にたいな」


 機能を停止させたい……ではなく、彼は「死にたい」と言った。

 僕らクローンには本来、そのような感情や欲望は備わっていないはずだ。それでも、彼がそう願う言葉を、僕は聞き逃すことができなかった。


「だったら……太陽の光で、灰になってみようよ」

「……えっ?」


 驚いた顔で966番が僕を見上げた。


「どうせ灰になるのなら、明るい光で焼かれてみよう」

「けど……」

「太陽がどこにあるかは知らないけれど、上層のずっと高いところにあるんだろ? 特別区域までは行けなくても、熱線が届く穴ぐらいは見つけられるかもしれない」

「僕たちの首には通信機が埋め込まれている。直ぐに見つかるぞ」

「走って逃げればいいよ」


 そう言って僕は笑った。

 笑うという行為ができる自分に驚きながら、心のどこかで、僕も異常を起こし始めているのかもしれないと思う。

 人間の命令に従っても、拒絶しても、僕らには廃棄処分という未来しかない。どうせなら、思い切り面白そうなことに時間を使ってみよう。


「僕たちに魂は無いという。もしかすると、太陽の光を浴びたならこの虚ろな入れ物にも、魂の欠片が宿るかもしれない」


 薄暗い格納室の明かりを見つめながら呟く僕に、966番は鼻を鳴らす。


「やっぱり思った通り、973は面白い奴だ」


 そう言って966番は、今までにないほど楽しそうな笑みを向けた。





 翌朝。仕事の組み合わせを言い渡される前に、僕はよろめく966番を肩に背負いながら、到着した監視官に申し出た。


「966番の様子がおかしいようです。昨日、アンデット化した429番に噛まれたみたいで、体の異常を訴えています」


 そう言って、966番の肩の傷痕を見せた。多少大げさにはしていても、ここまでの言葉に嘘はない。

 僕の報告に昨日の惨事を知っているクローンたちは、顔を青くさせて遠ざかった。いつまた醜い姿に変容して、周囲の者たちを襲いかねないと思ったのだろう。

 監視官も昨日と同じ者たちだったようで、顔を見合わせてから簡易検査もせず「処分しろ」と短く答えた。

 僕は頷いて、966番を背負いながら一人、階段を下りていく。

 その様子を遠巻きに見る者はいても、追いかけて来る者たちはいなかった。


 背中に彼等の視線を感じながら、一階層――十階分ほどは下りただろうか。下から見上げても、クローンや監視官の姿が見えない所まで来て、僕は立ち止まった。

 するりと966番が僕の背から下りる。


「うまくいったな」

「簡単じゃないか」


 顔を見合わせる。そして、大声で笑いたい気持ちを抑えて、暗い横穴の通路に足を向け走り出した。

 この辺りなら仕事で何度も行き来していたから、まだ構造を把握している。長く薄暗い横穴を一時間ばかり走れば、大きな縦穴に抜ける。入り組んだパイプや階段が複雑に交差する縦穴は、慎重に周囲の監視の目さえ避けながら行けば、見つからずに高い所まで上れるはずだ。


「夜になる前に、太陽光が見える所まで行かないとな」

「ランチは抜きだ。腹が減って動けなくなる前に上るぞ!」


 966番が楽しそうに声を上げる。

 普段は重い荷物を背負いながら上る階段を、身一つで駆け上がっていく。

 十階層、二十階層と行くその途中で、結露した水の溜まり場を発見した。運が味方しているとしか思えない偶然に喉を潤し、また階段を上り始める。

 五十階層……六十、七十と来た時、さすがに走るだけの力は無くなりだしていたが、それでも上る足を止めなかった。

 徐々に周囲のパイプは真新しさを増して、空気の濁りが薄れていく。縦穴の上部に光が増していく。

 ふと、966番が呟くように言った。


「人間は、何階層辺りから暮らしているんだろうな」

「さぁ……でも、おそらく百階層よりは上だろう。陽の光もあたる、明るい場所だよ」

「そんな所に、突然僕らが現れたりでもしたら――」


 不意に気配を感じ、言葉を切って柱の陰に身を寄せ、隠れた。



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