三十六 試合の後に

 灰色の青年は未だに余裕そうな表情を崩さない。要所要所で表情を僅かに変えることこそあれど、春斗は焦ったような様子を見せることはない。


 初めて邂逅したあの瞬間からこの青年は強者であると確信していた。


 確かに背丈は低いし、見た目こそ細くていかにも非力そうではある。しかしその実つけいる隙がほとんどなく、こうして魔法を多数展開させながらも春斗からは魔法使いの気配を感じさせなかった。


 それの、どれほど恐ろしいことか。


(常在戦場とか、完全な魔力制御とか、言うは易しってやつの典型だよねー。はは、本当に涼しい顔でやってのけるヤツ、初めて見た)


 そんなことを考えてしまったのが運の尽きだったのだろう。春斗は棍を低く構えるや否やウラの視界から姿を消した。


 ついでに気配も消えた。


「やばっ――」


 咄嗟に春斗の気配を探るが、速さが生死を分けると言っても過言ではない接近戦において、それは致命的なミスだった。


「試合だからって油断したか?」


 とん、と軽い感覚が首に当たった。


 灰色の目がウラの青い目を無感情に映している。

 春乃の嫌いな、灰色の目が――

 魔導具を使ってまで姿見を変えたかの少女は、この男を見て何を思ったのだろうか。

 そんな意味のない思考が薄く揺らいで、ウラは小さく息を吐いた。


 少なくとも一対一での戦いは負けである。完敗だ。余計な思考をしなかったと仮定しても、勝てる見込みはほぼないと言っていいだろう。


 涼しい顔のまま、息を一つも切らさずに急所を捉えた灰色の影を見た。


「あはは、こうさーん。降参って言わなくても普通に負けなんですけど!いやあ、強いねえ、君」


 ウラはにぱっと笑うと、両手をひらひらと挙げて降参のポーズを作って見せた。それと同時にスティーブンの結界が解ける。


 春斗は怪訝そうな顔をしてから棍を引く。警戒を解かないあたり、ある意味で「手慣れている」のだろう。


 降参と言って油断させてから攻撃する、という対人間の卑怯な諍いにもある程度慣れているらしい。


「対集団戦というか、乱戦の方が得意なんだな。優劣はつけられないと思うが」


 春斗が棍を手のひらサイズに小さくしてから口にした。思わず驚いたように春斗の顔を凝視すれば、青年は眉間にしわを寄せて首をかしげていた。


 分からないわけがないだろう、という顔だ。


 春斗が言及したとおり、確かにウラは対集団戦、それも少人数で多数の魔物を相手にするような戦闘を得意とする。


「たまたまお前の不得手が俺の得手だったってだけなんじゃないのか」


 故にこの戦いで優劣はつかない、と春斗はわかりにくく主張する。

 生憎とギャラリーは勝敗の結果に大盛り上がりで、春斗の言葉は聞こえていなさそうではあるが。


「よく分かるね。怖い怖ーい」

「笑顔でんなこと言われてもな」


 灰色の青年は相変わらずの調子でため息をついた。刻まれっぱなしの眉間のしわが彼の性格を物語っているようで、少々面白い。


「そういう君は『対人間』の方が得意そうだね、魔法使いサマ?」


 ぴくりと春斗の眉が一瞬跳ねる。


 だが、残念なことに春斗の反応はそれだけだった。どうだかな、という曖昧な返答を淡泊に返されては深掘りする気も起きない。


 スティーブンとルイスの怒鳴り声が響いて、観衆の声が徐々に小さくなっていく。怒鳴り声の発生源は主にルイスだったが、スティーブンもあまりの騒がしさにめったに出さないような声量で声を出していた。


 めずらしー、とからかうように口にすれば、呆れたような青年のため息が耳についた。


「あ、対戦申込金はギルドを通して払っておくね。付き合わせちゃった詫びと言ってはなんだけど、色々教えてあげようかー?」

「対戦申込金……金がかかるのか」

「おっけおっけ、そこからだね。いや、ハルノから世間知らずだって聞いたけどここまでとは」


 しげしげと灰色の青年を観察するように見ながら口にすれば、春斗はわかりやすく顔をしかめて、悪かったな、とすねたように口にした。その言葉がどうにも幼く思えて、ウラは意外だな、と口をつぐむ。


 淡々としていて常に冷静な様は、どちらかと言えば老人のそれを連想させる。若い見た目の割にどこか大木のような穏やかさを思わせるのは、そういうところが理由だろう。


 だから、この反応はウラにとって意外だった。面白い人だなあ、と今度は純粋な笑みを浮かべて、他意はないと言ってみる。


「ああ、本当に他意はないんだ。むしろあたしは好ましいとさえ思う」

「それはどうも」

「そういうところは、なんて言うか、大人だね。もしかして結構おじいちゃん?」

「見た目より年を食ってるのは事実だな。実年齢は正直覚えていないが」


 僅かに春斗の声のトーンがあがっている。おじいちゃんと言われて喜ぶのはどうなのだろうかと一瞬思ったが、彼は若く見られることがコンプレックスなのかもしれない。


 こういうことってあんまり触れない方がいいよね、とウラはついつい指摘したくなる悪戯心をそっとしまい込んで笑った。


「それ、あんまり言わない方がいいよ。王国はともかく、他の国じゃ亜人は嫌われることも少なくないからさー」

「そうか。気に留めておく」


 ありがとう、と短く春斗が口にする。喧噪は徐々に収まっており、そこまで声を張らなくても互いの声が聞こえるくらいの騒がしさに落ち着いていた。


 ウラは服についた土埃を軽く払いながら、いい酒場があるんだー、と軽い調子で春斗を誘う。離すにしてもここでは目立ちすぎるし、やや騒がしすぎる。


 それに、春乃の話を聞く限り、春斗も春乃と同類のはずだ、とウラは灰色の青年を見る。


「酒場に行くのはいいが、俺は手持ちがないぞ」

「それぐらいおごるよ。迷惑料ってことで、気にしないで?」

「……いや、後払いで返す。ギルド経由で返せるか?」

「気にしないでってば。本当はああいう対戦って、正式に書面を交わすとか色々手続きがあるんだけど、それを無視して押し通しちゃった詫びってことにしておいて。まあ、オーケーだしたスティーブンもあれなんだけど」


 事態の収拾に声を張り続け、疲労困憊といった様子のスティーブンに視線を投げつつ言えば、春斗も、ああ、と頷いた。それから一拍遅れて、そういうことなら、と渋々といった様子でウラの誘いを了承する言葉が返る。


「じゃ、決まりだね。さっそく抜け出しちゃおうか。あ、春乃と……あの、青い子」

「ヴィヴェカだ」

「そう、ヴィヴェカは置いてね。いない方が話しやすいことだってあるでしょー?」


 そんなウラの言葉に春斗は目を瞬かせて、一瞬だけ春乃とヴィヴェカの方へ目を向ける。二人はルイスとスティーブンと何か話し込んでいるらしく、こちらには気がついていないようだった。


「分かった。お言葉に甘えさせていただこう」

「あはは、かたいねー」


 春斗が頷いたのをそう笑って、ウラはこっちだと春斗を馴染みの酒場へ案内すべく人混みを抜けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る