五 かけら
恐る恐る目を開ける。目蓋を貫通するほどの光は収まってはいたが、変わらず視界は真っ白なままだった。
頭痛と耳鳴りは治まっている。短絡的に考えるのであれば、最後に聞こえた声の主が一連の体調不良の原因ではありそうだが、さて。
「ご、ごめんなさい……」
「は?」
「ひっ」
消え入りそうな声を聞き返そうとしただけだったのだが、咄嗟に出たのは威圧するような一音であった。最悪である。
声の主は萎縮してしまったらしく、短い悲鳴を最後に何も聞こえなくなってしまった。
ぐるりと辺りを見回すが、真っ白な空間以外に特筆できるものはない。白しかない空間であればこそ、灰色の春斗の存在が異端であると主張しているようで気持ちが悪かった。
「……いや」
誰も居ない、と結論づけかけたところで灰色の目がゆるりと動く。視線が向けられた先には何も居ないように見えたが、じろりとにらみつけられた先に何か居ることを確信していた。
奥羽春斗は魔法使いである。
魔法使いとは、神秘世界に生きる何者かの手を借りて奇跡を行使するもののことだ。
「精霊、いや、神――よりは、こちら側か?」
抑止されてはいるものの、全く感じ取れないわけではない。
自分以外の神秘の痕跡を嗅ぎ取った春斗は、熊もどきを殺すのに使った棒を取り出し、思い切り気配の濃い方向へ振り下ろした。
「ひっ……! いきなり攻撃は勘弁してください!」
ゆらりと大気が揺らぐ。
蜃気楼のような揺らぎから現れたのは、半人半獣の人外であった。
「なら何で姿を隠した。やましいことがねえなら隠れる必要も無いだろう」
「い、いやそれは怖くってですね」
真白の長い髪と金色の目。上半身は人間であったが、腰から下は馬のような四つ足の獣の姿をとっている。
ケンタウロス族にしてはまとう空気が人臭い、と春斗は怪訝そうに眉を寄せた。彼らは神話をよりどころとする幻想の生命であったはずだ。あり方としては精霊に近しい。
「は、はじめまして……我らは旅するものどもを守護する、ポラール、と申します」
「名前……いや、種としての識別名か」
「それが近い、かと。いえ、我らといいつつそんなに数は、いないのですが」
ポラールと名乗ったそれは怯えを見せつつも春斗の言葉を肯定した。
種としての名前で個体の名を名乗らないあたりは何とも精霊らしい。とはいえ、と春斗は内心で息を吐く。自分の持つ知識がこの場で正しいとも限らない。
「そうか。俺は春斗という」
「は、はい。存じ上げております」
「なら、単刀直入に聞こう。お前は何をするために俺をここに招いた」
こわい、という声が聞こえた気がしたが春斗は聞かなかったことにした。あれほど雑な方法で呼び寄せておきながら何とも臆病なケンタウロスである。
ケンタウロスと言えば酒好きで色を好む暴れ者として知られる種であるが、彼はどうやら違うらしい。
さすがに臆病すぎる気がしないでもないが、個性というやつだろう。
「え、えっとですね。まず前提からお話しすると、我は旅するものどもを守護する、星の具現、です」
「精霊、と解釈すればいいか」
「えっと……はい、ハルト様の知る『精霊』の解釈で問題ありません。厳密には、違うようですが。今、そこは問題でもないですし」
おおよその認識は共通するものらしいと知り、内心春斗は安心していた。
春斗の知る魔法が問題なく使用できたことから、大きな差異はないと推測はできた。だがそれを推測のままで終わらせるのと、その根拠を得られるのとでは大きな差がある。
ポラールは頷いた春斗の様子に安心したのか、こわばっていた表情をやっと和らげて口を開く。動きに合わせてさらさらと流れる髪が無駄に美しく、やっぱり神の類いなのではないかと疑ってしまった。
「まずですね、今の状態ですが、ハルト様の精神だけをつなげてお話している状態になります」
「つなげて……呼ばれたのではなく、お前の方から来た訳か」
「守護するものの中には心のみを呼ぶ手法を好むものもいますが、それはちょっと色々不安で」
我らはやりたくないですね、と目をそらしながらポラールが言った。それは大変に有り難い不安である。
肉体から引き剥がされた精神がどうなるかとか、精神が引き剥がされた肉体がどうなるかとか、なまじ神秘に通じてしまっているが故にいろいろと想像してしまいぞっとする。
「ですので、今ハルト様は熱心に祈ってるかなとか、ぼーっと休んでいるかなとか、そんな感じに見えているかと」
「気絶したようには見えてないってわけか。ああ、状況だけを聞くと瞑想状態に近いのか」
はい、と頷かれる。それは大変に好都合だ。最初こそ無神経かつ考えなしの精霊が関わってきたと思ったが、存外気遣ってくれていたらしい。
やはり初見の印象で判断するのはよくないな、と苦い笑みを浮かべた。
「それで、ここに呼んだ理由ですが、状況をちゃんと説明できていなかったので、その説明をと思いまして」
ハルノ様に干渉して、教会に来てもらえるように誘導したんです、と続けられる。
「まずですが、ハルト様がこちらに来た際の記憶が曖昧なのは我らの責任です」
「……ふむ」
「ひっ。いや、あの、普通の人間だと思って呼んだら、我らと近い位置に生きてたもので、その、防護が間に合わなくて……慌てて守護をと思ったのですが、使う権能を間違えて」
話が不穏になってきたな、と春斗は無表情にポラールを見る。後ろめたそうに口ごもった後、意を決したように春斗を見据えると、ポラールはなかなか衝撃的なことを口走った。
「現在、ハルト様は『かけている』状態なんです!」
「――それはあれか、中身が?」
「えっと、はい。肉体の中身、すなわち精神が」
道理で記憶に欠落があるわけである。ついでに中身が欠けたとなるとこの人格も本来のものであるか怪しい。自覚無く異常である可能性が出てきたものだから、春斗は思わず盛大にため息をついた。
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