三 異邦の『魔法』
夜が明ける様は本当に美しかった。
マジック・アワーなどと呼ばれるのも理解できる、と春斗はゆっくりと上る朝日を眺めていた。
もぞもぞと動く気配がして、二人が寝ている方を見る。まだ眠いらしく、目をこすりながら身体を起こしたのは春乃だった。
「おーはよー……」
「おはよう」
ゆっくりと影が浮き上がる。春乃は大きくあくびをして、寝ずの番おつかれさまー、とかすれた声で言った。
隣に置かれた鞄に手を伸ばし、革袋をつかむと、そのまま勢いよく口に水を流し込んでいた。口を開けっぱなしにでもしていたのだろう。
「すごい、全然眠そうじゃない」
「慣れだ、慣れ」
「慣れるほど寝ずの番ってするもの?」
「人によるんじゃないか」
目をそらしながら答える。
実際はそんな人間そうそう居ないとは思うのだが、少なくとも春斗は慣れるほどする必要があった。
ふうん、と疑うような響きを含ませて春乃が頷いた。
「カナメはもう一、二時間は寝てると思う。朝弱いんだ、あの子」
春乃が言うとおり、カナメは横になったまま規則正しい寝息を立てている。さっぱり起きる様子はない。
別に急ぐわけでもない、と春斗は頷いた。
春乃は安心したように笑ってから、急に神妙な顔をしてじいっと春斗の顔をのぞき込む。
なんだ、と目を瞬かせれば、春乃は眉間にしわを寄せていった。
「春斗ってさ、実はここの人間だったりしない?」
「何でそうなる。俺は知らないが、ここに『東京』なんて首都はないからそうだと判断したんじゃないのか」
「それはそうなんだけど」
春乃は小さくうなってから、だってあり得ないじゃん、とふてくされた子供のように言った。
あり得ないか、と今度は春斗が眉を寄せる番だった。思わずオウム返しにそうつぶやけば、そうだよ、と春乃が肯定する。
「あの重力を無視した動き、質量保存の法則をガン無視した武器。あんなの元の世界ではあり得ないかなって」
「……熊もどきの脳天割ったときの話であってるか?」
「熊もどき!あはは、面白いね!あれを『熊もどき』……わー、世の冒険者が泣きそう」
春乃は一瞬遠い目をしたが、すぐに首を振って話を元に戻す。そうそれ、と頷いてから、どういうことなの、と聞いてきた。
そんなこと言われてもなあ、と春斗は口を閉じる。説明が難しいのだ。
いや、あるいは、と今更なことに思い至る。
「剣と魔法の世界、だったか」
「ここのこと?そうだね」
今更だった。何ならもっと最初から春乃が教えてくれていたことである。
ほんの少しの気恥ずかしさを抱きながら、春斗はゆっくりと言葉を整理して口にした。
「あれも『魔法』だ」
「……へ?」
「元の世界にも――日本やらアメリカがある世界にも魔術や魔法と呼ばれる類いは確かに存在している。俺が使っていたのはそういう法だ。たいしたものじゃあないがな」
緩く春乃の髪が揺れた。風が吹いたらしいと一拍遅れて気がついた。
なにそれ、と色のない声が落ちる。春乃は目を見開いてから、じゃあ、と続けた。色のない声をこぼしたことなど無かったかのように明るい声音だった。
「わ、私も春斗と同じ魔法つかえたりするかな」
かすかな期待に揺れる目があった。それがどうにも気まずくて、春斗はそうっと目をそらした。それがすべてだった。
残念そうに春乃が目を伏せる。
「やっぱりだめか」
「――才能に依存するんだ」
「わー、嫌いな言葉」
「奇遇だな、俺もだよ」
吐き捨てて、春斗は春乃の前に右手を差し出した。ゆらり、と大気が揺れたかと思えば、赤い炎が出現した。高熱で周囲の景色がゆらゆらと揺れている。
「『自分以外のナニカに頼る才能』だとさ。皮肉なことこの上ない」
「魔法の才能が?」
「ああ」
右手を握ると、炎はあっけなく消失した。
憧れるほどいいものではない、と口を開きかけて、閉じる。羨望と嫉妬に揺れる灰色の目に気がついてしまったからだ。
姿見だけはそっくりな彼女は、しかしどうにも春斗自身とは反対の性質を帯びているのではないかと思えた。
それがどういう意味なのかはさっぱり分からないけれど。
「存外万能でもない。魔法は確かに奇跡を起こすためのものだったが、それ故に不便だ」
「そういうものか。魔法とか元の世界だと触れたこともなかったし、何とも信じがたくはあるけど」
納得いかない様子ではあったが、春乃は一応は頷いてくれた。
「万能じゃないか……奇跡なのに万能じゃないって、言葉遊びみたいだ」
「なら、こっちの世界の魔法はどうなんだ」
きょとん、と春乃が目を瞬かせた。そうだなー、と春乃が考え込む。話を春斗の使う魔法からこの世界の魔法にそらすことには成功したらしい。
春乃は少し考えてから、でもそっちと同じかも、と言った。
「こっちの世界って、科学が発達してないんだよね」
舗装もされていない道を見ながら春乃が言う。確かに、この広い草原といかにも田舎町と言った街の影から推察するに、コンクリートジャングルを形成できるほどの技術はなさそうであった。
「その代わりにゆっくり発達したのが魔法。世界……っていうか、こっちでは『神様』か。神様が定めた理に魔力というエネルギーを用いて介入し、求める結果を得る手段が『魔法』って呼ばれてる」
「……へえ」
「理解できてないね」
「いやなんとなくは分かる。なんとなくは」
「それを理解できてないって言うんだよ」
じとっとした視線に咄嗟に顔をそらした。その様が面白かったらしい、春乃は一拍おいてからくすくすと笑い出した。
変なの、と軽い声。柔らかな色を帯びたそれに、春斗はやっと安心した。
「うるさーい……おはよー」
「いやとっくに朝なんですけど。おはよー」
「おはよう」
むくり、とカナメが身体を起こす。日は徐々に空の南天を目指して昇っていた。
眩しい、と目をこすってから大きくのびをする。カナメはちらりと春斗の方を見てから、見張り番どうも、と軽い調子で言った。
「そしたらとっとと戻るかあ。王都までどれくらいかかるかな」
そんなぼんやりしたつぶやきを聞いて、王都か、とキャンプの周囲に散乱した荷物がないか確認しながら思う。
(まだほとんど状況は把握できてないな)
ここがどんな場所なのか、どういうルールで成り立っているのか、なぜ異世界などという訳の分からない話が出てくるのか、すべてがさっぱり分からないままだった。
とはいえ、と息を吐く。
(なるようになるだろう)
最悪、隠れながら常識を拾い集めればいい。経験のおかげで、そういったことは比較的慣れていた。
暖かな日の光が伸ばした影がゆっくりと短くなっていく頃、ようやく三人はキャンプ地を出発した。
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