3_ひとりの朝
「祐樹!」
手を伸ばすが、その先には天井があるだけ。しばし困惑。だが、すぐに気づく。
「夢、か」
安堵すると共に虚無感が押し寄せてくる。
「はぁ」
ため息を吐くと、伸ばしていた手が崩れるように落ちてくる。それと共にこれまで気にもならなかった感覚が戻ってくる。
息苦しい。鼻が詰まっているみたいだ。目の横から耳に掛けて、じっとりと不快な熱が感じられる。
気持ち悪くて拭うと、手が濡れる。
どうやら泣いていたらしい。
寝間着のTシャツを伸ばして鼻をかむ。体を起こして、ティッシュを取りに行くのも面倒だ。
「はぁ」
今度は朝っぱらからうるさい蝉の鳴き声が気になってくる。落ちてしまいそうになる思考を断ち切るため二度寝しようと思ったが、蝉が耳障りで苛ついてくる。
「ああ、もう!」
なんだか世界が私を拒絶しているように思えてきて、タオルケットを蹴り飛ばして、がばっと体を起こす。
少し体を動かすと血が巡り始めて、頭が段々クリアになってくる。
ホームネットワークに繋げて、洗面所へ向かう。
ざっとログを確認するが、特におかしなものはない。不審な挙動を検知したらアラームが鳴るように設定してあるから当然と言えば当然だが。
以前は眠っている時もネットワークに繋げていたが、夢の影響からか予期せぬコマンドを飛ばしてしまい、銀行のシステムを落としてしまってからはネットワークを遮断するようにしている。
「よいしょっと」
ドアを開ける。動くときについ掛け声をしてしまうのは昔からの癖だ。
気合を入れないと動けないというと、祐樹にはババ臭いとからかわれた。パパはそのうち気合を入れても動けなくなると、遠い目をしながら言っていた。
哀愁漂うパパの様子に祐樹も言葉を失っていた。
「ああ……」
不意に記憶がよみがえり、悲しみでふらつく。廊下の壁に手をついて、波が過ぎ去っていくのを待つ。
あんな夢を見たせいか、自分が弱くなっているのを感じる。
「はぁ」
あの日。パパが私たちを逃がそうとしてくれた日。そして、パパと祐樹が居なくなった日から、もう八年たつ。
だというのに、あの日のことを月に一度は夢に見てしまう。数年前までは週に一度は見ていたから、大分ましになっている。
嫌な夢を見ることが少なくなったのは、嬉しい。だが、同時にパパや祐樹の記憶が薄れて、私にとって大事でなくなっているように思えて、怖くなる。
二人のことを大事に思っている人間は恐らく私だけ。私までもが二人を見失ってしまったら、パパと祐樹の生きた意味が無くなってしまう。
「そうだよ。だから、幸せにならなくちゃ」
言い聞かせるように呟く。そんな自分の声が薄っぺらくて、自嘲するように笑う。
「よし」
目頭がじわっと熱くなったのを吹き飛ばすために喝を入れて、無理やり足を進める。まずは顔を洗おう。
洗面所の照明をつけると、鏡に自分の姿が映る。
耳裏のスロットを隠すために肩まで伸ばした髪。寝起きでぼさぼさだ。たぬきみたいに垂れた目のせいでぼんやりしているように見える。泣いたせいで目が赤くなっていて、いつにもまして間抜けな感じだ。
「ああ、だめだめ」
頭を振って、余計な考えを振り払う。意識していなかったら考えがどんどん悪い方向に向かっていく。
一念発起して蛇口をひねり、顔を洗う。
火照った肌に水が気持ち良い。今日はこのまま家にいても一人でずるずる落ちてしまう。思い切って外出しよう。
「よし」
そうと決めたら準備をしよう。洗面台の鏡を開いて、裏の棚からバンドを取り出して髪をまとめる。そのまま化粧水のパックを顔に貼り付ける。
泣いたせいで目が腫れている。外に出るからには、変に目立つのは嫌だ。
パックをもう一枚取り出して、重ね掛けすることで、目の周りを念入りに冷やす。
「ふふ」
棚を閉じると、白塗りの化け物みたいな自分の顔が鏡に映って、少しおかしい。
「よし」
アップテンポな曲を適当に脳内で再生して、少しでも気分を上げようとする。重低音の振動が無いのが少し物足りないが、騒音の心配をしなくても良いのでこれはこれで便利だ。
リビングへ移動して、ソファにもたれかかる。
「ああ、そうだ」
電気をつけよう。薄暗いところにいると気分が滅入ってしまう。まずは環境を整えるところからだ。
ホームネットワークに信号を送って照明をオンにする。
「うっ」
突然変化した光量に対応しきれなくて、目をすがめる。カーテンも開けようと思ったが、思い直す。強烈な自然光を浴びたら目がつぶれてしまう。
現在時刻は9時を少し過ぎたくらい。平日だし、まだどこもお店は開いていない。だが、こんな時間に女があてもなくさまよい歩いていたら悪目立ちするだろう。適当に時間をつぶしてから出かけよう。
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