管理者コード「幸福たれ」

明日葉いお

1_HelloWorld

「おはよう。待たせたかな」


 パパの高い張りのある声を聞いて、胸が高鳴る。私達だけに向けられる特別な声。他の人と話すときはもっと低くてしゃがれている。でも、低い声も心地良くて落ち着くから、それはそれで良い。


「うん。すんごく待った!遅いよ!」


 脳内で展開していたソリティアを閉じて、ベッドから跳ね起きる。部屋の入り口にいたのはパパ。白髪頭に、同じく真っ白な無精ひげが渋くて素敵。その鋭い視線を研究員の人は怖がっているみたいだけど、私たちに向けられる目は柔らかい。目が合うだけで胸が温かくなるパパのまなざしが私は大好きだ。


「はは。ごめんごめん。ちょっと祐樹と話したい事があったんだ」


 入口にもう一度目をやると、廊下の壁にもたれかかっている祐樹の後ろ姿が見切れていた。


「むぅ……」


 それを見て、つい膨れてしまう。パパが祐樹を優先したみたいでちょっと悔しい。

 同い年の祐樹とは3年前まで同室で仲がよかった。でも、14歳の誕生日の時に祐樹が女と同じ部屋に居られるかってごねてから少し険悪だ。

 祐樹とは兄弟みたいなものだし、私は裸を見られたって全然気にしないのに、それを言ったら真っ赤な顔で逆切れされた。パパみたいな落ち着きを持ってほしいものだ。


「……早くしろよ」


 祐樹がぼそりと言って、忙しなく左右を窺う。そんなに気にしたって、研究員と警備員しかいないのに、仕方のない奴だ。


「祐樹、もう少し落ち着きなさい」


パパが手提げをサイドテーブルに置きながら、祐樹を窘める。


「チッ」


 舌打ちをする祐樹につい声を荒げそうになるが、苦笑いをするパパを見て言葉を飲み込む。

 祐樹のパパに対する態度はあんまりだけど、ちょっと寂しそうに笑うパパの表情、すごく良い。十枚ほど連射して、ついメモリに残してしまう。


「さて、朝の健康チェックだ。失礼するよ」


 パパの手が私の髪を優しくよける。じんわりした熱と共に、ちょっとすっぱいミントみたいな匂いが漂ってくる。祐樹は加齢臭だって言って顔をしかめるけど、私はなんだか落ち着くこの匂いが大好きだ。


 カチッ。


 緩んでしまいそうになる頬を意志の力で抑えていると、耳の裏にあるスロットの一つにSDカードが差される音がする。それと共に起動ファイルが自動再生される。


HelloWorld.exe


 いつもの健康チェックとはプログラムが違うので声を上げそうになる。だが、いつになく真剣なパパの視線に言葉を失う。他の研究員に向けられるような鋭い目。不安なのか、少しだけ下がった眉と合わせてドキッとしてしまう。

 それを撮影しようとするが、起動されたファイルに邪魔されてしまう。最高の表情を逃して怒りが湧く。だが、脳内に浮かび上がる文字列がその怒りを瞬時に吹き飛ばす。


管理者コードの解除を行いますか? [y/n]


 管理者コード。私たちを縛り付ける見えない楔。


 私と祐樹は両親がいない。別々の日に赤ちゃんポストに置き去りにされて、同じ養護施設で育った。しかし、その養護施設で火災が発生。煙を吸い込んで意識をなくし、気付いたら祐樹とここにいた。

 ここはどこかの研究施設。やっていることは、生体電流と電子デバイスのインターフェース適合。要は指を動かすみたいに、頭の中で考えるだけで機械を動かせるようにしようっていう研究だ。

 私は相性が良かったらしい。頭蓋骨にSSDと小型プロセッサが埋め込まれて、脳と直接つながっている。

 そこで演算処理を行って、耳の裏と手首にあるSDカードとUSBのスロット、もしくは体の至る所に埋め込まれた通信機を介し、様々なネットワーク機器を思うがままに操ることができる。

 使いようによってはいくらでも悪用することができる。その気になれば、国家の機密情報を抜き取ったり、核ミサイルのボタンを押させることもできる。

 適切な判断能力を持たない私達の行動を制限するための制御装置。これが管理者コードの建前だ。


 しかし、実態はそんな高尚なものでは無い。

 自分たちの意のままに私たちを使うため。そして脱走させないため。私たちを道具として運用するための枷。それが管理者コードの正体。

 私たちは電子機器を自在に操る力を手に入れたが、同時に自由を失った。

 行動だけでなく、記憶、ひいては感情までも管理者コードによって支配されている。


 だが、パパはその管理者コードを解除しようとしている。


 それ自体は嬉しい。

 同情か、良心の呵責に耐えきれなくなっただけか、確かなことは分からない。

 だけど、パパが私のことを大事に思ってくれている。

 それだけは本当のことだから。


 同時に心配にもなる。

 こんなことをしてしまえば、パパは組織に残ることはできない。きっと消されてしまう。

 パパが研究にどれだけ心血を注いできたか、私は知っている。私はパパの一番の研究成果だから。パパが自分の作品として愛情を注いでくれたから。毎日体調をモニターして、風邪を引いた時は徹夜で看病してくれたし、手術の前後には私の気が済むまで何時間も手を握ってくれた。

 パパはパパの持つリソースをありったけ私に、つまりは研究に割いてくれた。

 そうして作り上げた作品を、ひいては組織での地位を捨てようとしているのだ。


 パパは私達をどんな形であれ一番に愛してくれた。だから私もパパのことが大好きだ。大好きだから、管理者コードの解除を躊躇ってしまう。解除するということは、パパの大事にしてきたものを壊してしまうことだから。


管理者コードの解除を行いますか? [y/n]

管理者コードの解除を行いますか? [y/n]


 タイムアウトが起こったのか、文字列が再度表示されて、思考の沼から引きずり出される。内部に向けていた意識を目の前のパパに戻す。

 強い意志を感じる鋭い瞳。不安のためか僅かに下がった眉。そして、励ますように引きつった口角。ちぐはぐな顔つきは今にも泣きだしそうだ。目から入ってくる情報以上に訴えかけるのは触覚。耳に掛けられたパパの手から伝わる熱は温かくて優しい。かすかに震える手が愛おしい。


 手が震える程不安でたまらないのに、パパは行動を起こした。そのことに気づいて、パパの手を取ることに躊躇した自分に怒りが湧いてくる。

 パパは私たちを助けると決めて行動を起こした。これまで築き上げてきたものがすべて崩れ去る。そんなことはパパ自身が一番よく分かっている。全て覚悟のうえで動いたのだ。

 ここで私がパパのためを想ってしり込みするのは、その覚悟を踏みにじる行為。

 パパの愛情が人に向けられたものか、大切な作品に向けられたものか、そんなことはどうでもいい。


 本当に大事なことは、存外単純だ。


 どんな形であれ、パパが私を大事にしてくれているということ。そして、どんな動機であろうと、私を解放しようとしてくれているということ。


 パパから向けられた温かな想いに触れて、私も心を決める。


管理者コードの解除を行いますか? [y/n] y


「実はあんまり調子が良くないんだ。目がシパシパして……。昨日遅くまで起きていたせいかな?」


 イエスを選択すると、スクリプトで与えられた音声が私の口から再生される。それと同時に新たな文字列が表示される。


生体認証を行ってください


 構文を聞くと共に、パパの顔がキリッと引き締まる。目つきの鋭さはそのままに、眉と唇が力強く結ばれる。

 パパの決意を感じて、私の覚悟もより確かなものになる。


 もう戻れない。


「それは大変だ。どれ、目を見せてごらん」


 私の耳に掛けられていたパパの手が移動して、私の前髪を抑える。

 パパが私の目をじっと覗き込むと同時に、瞳にパパの親指の指紋が自然に映り込む。


指紋照合・・・ 適合

管理者権限を一時的に付与

監視プログラム解除中・・・・・・ 完了

ダミープログラム起動

ネットワークのスキャン・・・・ 完了

ダミープログラム正常に動作

管理者権限の委譲を行いますか [y/n] y

mayumiを管理者に設定しました


「もう、そんな真剣に見つめられちゃ照れちゃうよ……」


 管理者権限が私自身に移されると共に、設定されたスクリプトが音声として再生される。これで、私は管理者コードで縛られることはなくなった。正直言って、実感は全然わかないが。


「おお、すまん。真由美のことが心配でつい、な。だが、充血もしておらんし、バイタルモニターも正常値だから問題なかろう」


 パパが満足げに頷いて、手提げを渡してくる。


「今日も一階の電波室でセキュリティ解除の試験をするよ。前回はプログラムに無駄が多かったからね」


「うへぇ。また?あれ、処理が重すぎるせいでとんでもない熱が発生するから嫌なんだけど……」


 警備に怪しまれないよう、解除プログラムに同梱された会話スクリプトを再生する。その裏で手提げの中の機器を手首のスロットとUSBで接続し、手提げに入っている発信機と補助用の演算機の状態を確認する。

 大丈夫だ。バッテリー残量も問題ない。


『祐樹、聞こえる?』


『ああ。分かってるな?』


『うん』


 祐樹とシームレスに脳内で通信が始まったことに驚く。これまでは、祐樹との通信を開始するには、私が出した要求を研究者が管理者アカウントから許可を出す必要があった。それが無かったということは、本当に管理者コードが解除されているということだ。

 自分が自由になったんだという実感がふつふつと湧いてくる。嬉しさと共に、今ならなんだってできるような、万能感を感じる。


『本当に大丈夫か?失敗は許されないぞ』


 通信にそんな浮足立った感情が漏れてしまったのか、祐樹が責めるような口調で確かめてくる。余裕のないその声を聞いて気を引き締める。

 祐樹の言う通り、失敗は許されない。今はダミープログラムがうまく機能しているが、管理者コードの無効化をいつ検知されてもおかしくない。


『分かってるって』


 解除プログラムに同梱された脱出の手順書をさらう。


 まずは、私たちについている二人の警備をはがす。これは無線機をジャックして、警備主任の声を模擬した音声で誘導すれば良い。

 次に通路を移動してエレベーターに乗り込む。この時、変に焦って駆け足になったり、きょろきょろしたりして他の警備員から注目を集めないようにしなければならない。

 エレベーターに乗り込むときに、モニター室の監視カメラ映像を数日前のものに切り替える。この時も警備がついておらず、3人だけで移動した。服装も同じだから、違和感なく映像の切り替えが出来るはずだ。

 エレベーターの目的地は屋上。エレベーターのシステムをジャックして、屋上のロックを解除すると共に、階数のモニターを偽装する。屋上に入る権限を持っているのは所長と警備主任だけだ。エレベーターランプが屋上に点灯しているだけで、脱走が感づかれるかもしれない。

 屋上に出たら、そこに置いてあるヘリコプターに乗り込んで脱出する。

 外の景色を見たことはないが、この研究施設は本州から離れた孤島にあるそうだ。脱出手段は所長用のヘリコプターと港にあるボートしかない。

 ヘリに乗り込んでしまえば、もう成功したも同然だ。島からの通信を完全に遮断させて待ち伏せを防ぐ。本州に降り立ってしまえば人に紛れることができる。そうなればこちらを探し出すのはほぼ不可能だろう。


『大丈夫そうだな』


 一緒に手順書をなぞっていた祐樹が緊張を前面に押し出して呟く。がちがちに強張ったその声を聞いて、少しおかしくなる。


『そんな緊張してたら警備に感づかれちゃうよ。落ち着いて、ね』


『……分かってるよ』


 拗ねたような祐樹の声を聞いて、肩から余計な力が抜けていく。自覚していなかったが、私も緊張していたみたいだ。

 ……当たり前か。

 これから多くの警備を欺いて、研究所を抜け出そうとしているのだ。

 ばれれば終わりだ。次は無い。がちがちに管理者コードを固められてしまい、脱走のチャンスはなくなってしまうだろう。

 そして、私達以上にリスクを負っているのはパパ。

 私と祐樹は大事な実験体。手荒なことはされないだろうが、パパはそうじゃない。私たちを逃がそうとした責を、見せしめの意味も含めて負わされるだろう。

 まさしく一世一代の大勝負。かけ金はパパの命と私たちの自由。緊張しないはずが無い。


『ふふ』


『なに笑ってんだよ』


 背負っているものを自覚すると共に、気分が高揚して祐樹との通信で漏れてしまう。


『私ね、今何だか生きてるって感じがする。パパが愛してくれて、祐樹が隣にいてくれる。そんな毎日が続くと思ってた。実験に付き合わされたり、変な手術で体をいじられたりするけど、パパと祐樹がいるならそれだけで良いと思ってた』


『ふっ。そうだな。俺も、お前が居ればそれだけで良いと思ってたよ』


『そっか。嬉しい。けどね、パパが管理者コードを解除してくれて、研究所から逃がそうとしてくれて、これまでの生活がすごく窮屈なものに思えてきたんだ』


『……分かるよ。俺たちは、俺たちの生き方に満足していたふりをしていたのかもな。どうせ何も変わらないっていう諦めを都合の良いように解釈してさ』


『そうだね。どうしようもないからって、ただ諦めてただけかも。でも、パパは諦めなかった』


『ふん。そうだな。いけ好かないジジイだが、俺たちに未来を見せてくれた』


 パパに対して厳しい祐樹。でも、その口調は柔らかくて、本当は祐樹もパパのことが大好きなんだと伝わってきて、こっちまでほおが緩みそうになってしまう。


『見せてくれただけじゃ終わらせない。私と祐樹、それからパパ。この三人で何にも縛られずに生きる、そんな未来。掴み取って見せる、私たちの手で!』


『ああ!』


 そう宣言すると、祐樹が力強く頷く。私の背中に祐樹が寄り添ってくれているようで、すごく頼もしい。


「ねえ、パパ。今日はどんな天気?」


 会話スクリプトに記された割り込み構文を再生する。これは、私たちの準備が整ったことをパパに伝える構文だ。


「今日の天気かい?気持ちよく晴れてるよ。良い一日になるように、世界が祝福しているみたいだ」


 励ますようなパパの声を聞いて、深く頷く。今日がはじまりの日。本当の意味で私たちがこの世界に生まれ落ちる日だ。


 その決意を胸に、ノイズのように飛び交う電波の海に身を投げる。ハッキングの対象は、私たちについている警備員の無線機だ。

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