第44話 調達

 半年ぶりの再開を果たした私たちはゆっくりと互いの距離を縮めた。


 知りたいことが多すぎる。だが、何から聞けばいい。

 一体、何を話せばいい。

 はやる気持ちを抑えるため、一旦、心を落ち着かせようとペットボトルを取り出す。


「どうぞ、疲れましたよね。僕の了解なんていりません」


 その台詞に思わず鼻で笑ってしまった。「別に了解なんて求めたわけじゃないわ」


「ですよね」と彼は笑った。


 呼吸を整えて喉の渇きを癒すと、彼は静かに口を開く。


「これ、なんだと思いますか?」

「なにって――」


 秋山君は前方に向かって大きく手を広げた。

 目の前に、植物の群生が広がっている。その広さは小学校の校庭ぐらいはありそうだ。目にも鮮やかな白い花が地面を覆う。その花びらは可憐というのとは少し違った。そのどれもが軟体生物のように、葉先がうにうにと伸びており、まるで生きているようで気味が悪かった。

 この植物は資料で見たことがあった。


「これ、うちで使ってるウコンです」

「ウコン……こんな場所で生産してるの?」

「ええ、花が綺麗ですよね」と彼は得意気に頷く。


 名も知れぬ山の奥にこんな場所が。


「確か、うちの主力品に配合されるものは海外からの輸入が大部分だと思っていたけど。こんな場所で生産しているなんて」

「いえ、うちの主力にはまだ量が足りません。それに、新しく調達された原料は品質試験や製造工程への導入が厳格に適用されるので、生産ラインに乗るまでには乗り超えるべきハードルが幾つも存在しています。小雪さんも知っているかと思いますが、産地を確保しても、すぐに生産されることはありません。ただし、本生産とは違い試験的であれば別です」


 試験段階と聞いて、すぐにわかった。


「ユニバキッチンでの新商品開発、といったところかしら」


 ええ、と彼の目が妖しく光る。


「あそこなら設備も不要ですし、新たに調合したメニューが消費者に受け入れられるか試すことも出来ます。それに、味の決め手になる特別なスパイスですと宣伝することもできる。さらに、本格的に生産されたら、すでに試験データも集まっている、というわけで一石二鳥ですよ。いや、三鳥ですね」

「計画的には、うまくできているわけね」

「そうですね。もう一つ、市場調査がされた場所があります」

「北関東工場の社員食堂ね」

「はい」

「社員を使った、市場調査みたいなものね」

「はい、目的はユニバキッチンと全く同じです」

「こんな場所から調達していたのね……」


 四方を囲む木々の隙間から生温い風が流れ込み、目の前に広がる白い花を妖しく

揺らす。


「しかも、これ、自生しているんです」

「自生? 栽培ではないの?」

「はい、そしてなぜか次から次へと生えてくる。いや、まあなぜかというわけではありませんが、きっと想定内のことだったんでしょう」


 阿場多新社長はオーナーの親族ではない。大手コンサルからヘッドハンティングされた人物だ。当然、生産や品質の素人。だが、阿場多新社長の陣頭指揮のもと次々と新たな産地が開拓された。その場所は手付かずの山奥や廃村、都市放棄農園ばかり。とても求める植物が自生しているとは思えなかったようだ。


 しかし――社長自ら目星をつけた候補地では、当社の求めるスパイスが自生している場所が次々と発見された。神がかった眼力だと彼は言う。


「阿場多社長はことさら原料調達の問題に熱心でした。それも異常なほどに。一部門に任せず、新規事業として自ら別会社まで立ち上げるほどです。うちの原料の大部分は海外からの輸入です。つまり、裏を返せば各国の情勢によって常に供給不安にさらされているといっても過言ではありません。表向きは調達ルートの多様化へのリスクヘッジ、そう思われていますが、実態は――」


「マーケティング?」

「ええ、マーケティングです」


 そういって秋山君は複雑な笑みを見せた。


 なぜだろう。

 核心や本質に迫る時、いつだって横文字というのは全てをぼかしてしまう。

 真実が曖昧にされていく。


 ――スパイスやハーブといったものは面白い原料でね。食品だけでなく医療の原薬にもなったりする。将来的には予防接種の原薬メーカーにも卸していく方針だよ。


 この気持ち悪さ、息苦しさはなんだ。


「何で秋山君がそれに携わっているの。あなただって、この分野の専門外の人間でしょ」


 この問いに彼は答えず、遠くを見つめた。


「新規原料の調達の可能性を全国に求めた結果、想定外のことが起きたんです」

「想定外?」

「いや、違いますね。阿場多新社長にとってはきっとこれも想定内だったんでしょうね」

「まさかとは思うけど、基準値を超えた農薬が混じっていたとか、そういう類のものを使用していたとかなの。そうなると不祥事どころでは済まないわよ」


 静かに、抑制を利かせた詰問に、彼は静かに首を振る。


「そうではないんです」

「なら、何が問題だったの」

「今なら、今の僕だからこそわかるんですが――あれ、農薬とかそういう次元の話ではなく、違う起源なんです」

「違う起源? 何、それ。ウコンじゃないってこと?」

「いや、ウコンですよ。品質試験に回して確認してます」

「じゃあ、なに。ウコンの亜種ってこと。そもそも食用に用いられなかった亜種を使っていたとかなの」

「いえ、何という表現が正しいんでしょうか。ウコンはウコンなんです。スパイスで使用される一般的にイメージされる、この植物であることは間違いないんです」


 彼は目を閉じて、ゆっくりと大きく息を吸い込み、吐く。


 その瞬間、私は直感した。

 今から、最悪なことを聞かされる。

 それは、一時、一回といった類のものではなく、悪意を伴い強固に構築された逃れられない負のシステムであることを。



「一言で言えば、この世界の植物ではない、ということです」



 温い風が生き物のように蠢く白い花を揺らした。



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