第2話 化猫配達
その日は、珍しく何の騒音も聞こえない……とても静かな夜だった……。
近くに学生が集まって騒いでいることもなければ、何のために掘り返してまた埋めてるのか分からない道路工事もやってなくて、酔っ払ったサラリーマンが立ちションしながらご機嫌に下手な歌を歌っていたりもしない。
聞こえてくるのは、風が木々を揺らし葉が擦れ合う音に、どこか遠くから聞こえてくる犬の遠吠え、そして、少ない上に電球が切れかかっていてろくに役に立っていないであろう街頭が明滅する音だけ。
「いや、これが、この場所の本来の姿なんだろうな……」
廃ビルの向かい側には、シャッターの降りたタバコ屋と、誰が使うのか分からない公衆電話に、売り切れが補充されない自動販売機があるくらい。
廃ビルの裏は川になっていて、その向こうには何を作っているのか分からない工場と、名前も知らない山があるだけ。
一応、この近くには俺が生前住んでいたボロアパートがあって、駅はそれとは真逆にあるから、そこに住んでいるやつなら通勤や通学で通ることもあるが、築うん十年の二階建て安アパートに住む住人の人数なんてたかが知れている。
ここは本来、これくらい静かなのが当たり前な場所なんだ。
「それを毎日、毎日! この街の近隣住民と来たらもう……! はぁ……いいや、寝よう」
せっかくの静かな夜だ……無駄に叫んで睡眠時間を削るより、さっさと寝た方が有意義だろう。
俺は乱雑にバラ撒かれた段ボールの上に敷いた、アウトドア用の断熱シートの上に敷いた、ゴザの上に敷いた布団の上に寝そべると、掛け布団をかけて目を閉じる。
誰も使わなくなった廃ビルの一室が、暮らしやすい和室などになっている筈もなく、床も壁も天井も当然のようにコンクリート剥き出しの状態だが、アウトドア用品、侮りがたし……。
この青いスポンジっぽいものが銀色の膜で挟まれている感じの断熱シートは、その断熱効果もさることながら、固すぎず、柔らかすぎない、程よい弾力性を持っている。
これを土の上に立てたテントの中に敷いて、その上からゴザをかけてやれば、それだけでテントの中があっという間に畳部屋に早変わり。
流石にコンクリートの上だと、土の地面と違って固さの方が勝ってしまうが、そこは万能防寒グッズ、段ボール様で要調整だ。
俺は寝るならベッドじゃなくて、畳の上に布団を敷いて寝たい派だからな、今のこの寝床はそこそこに気に入っている。
「あとは、寝るとき用のオレンジ色の豆電球があると嬉しいんだが……」
「呼ばれて飛び出てニャニャニャニャ~ん♪」
「うぉっ! ビックリしたぁー」
そう言って俺が、生前は、子供の時からずっと、寝るときにオレンジ色の豆電球をつけた状態で寝ていたなと、真っ暗な天井を見上げながら思い出していたら、その天井から逆さまにニュッと少女の顔が生えてきたので、身体をビクリと跳ねさせながら大声を上げてしまう。
「にっしっし、礼二くんはいつも大袈裟に驚いてくれて楽しいにゃー」
「いやいや、こんな登場されたら、誰だって驚くだろ、ネココ」
俺を驚かせたことを心底楽しそうに笑いつつ、天井からフワフワと漂いながら降りてきた、十代前半の少女に見えるこいつは、通称、化猫配達ネココ。
化猫配達という二つ名は、こいつが幽霊であり、同じ幽霊を相手に、色々な場所に荷物を届ける仕事をしているというその職業に加えて、本人が猫好きなのか何なのか知らないが、猫の着ぐるみパジャマだったり、猫耳パーカーだったり、猫耳カチューシャだったり、とにかくいつも猫っぽい格好をしていることからの由来。
名前の役割をしているネココというのも、当然、本名ではなく、その見た目や二つ名から出てきた偽名だか源氏名だかニックネームだろうが、本人がそう呼んでくれと言っているからそうしている。
「で、今日の商品はなんだ? まさか、タイミング良く豆電球を持ってきてくれた訳じゃないんだろ?」
「豆電球? 礼二くん、もしかしたら礼二くんは知らないかもだけど、電球って、電気がないと光らないんだよ?」
「知っとるわ! こちとら三十代後半の大人やぞ!」
「あー、はいはい、そんな三十代後半のオジサンにぴったりの、少年漫画の新刊を持ってきて上げたんだから、怒らない怒らない」
「くそっ、オジサンと言われても否定できない年齢であることを鑑みても色々と言いたいことはあるが、その新刊に免じて許してやる」
「にぇへへー、まいどー」
化猫配達なんて言われてはいるが、彼女の仕事は注文した品を届けるだけではない。
というか、その商品の仕入れ方法が、どこかのゴミ山を漁って集める、なので、商品を注文したとしても実際に届くのか、届いたとしてもいつ頃届くのかは、完全に彼女の気分と運次第だ。
時間指定での配達を受け付けていないどころではない残念サービス内容だが、この世の中には、俺みたいな、特定の場所から離れられないが、既に幽霊だから時間だけは無限にある、という地縛霊がそれなりにいるらしく、こんなサービスでも彼女はそれなりに繁盛しているらしい。
まぁ、繁盛、とは言っても、地縛霊に金を稼ぐ手段なんてあるわけもないし、金銭取引は一切発生していないので、この仕事は完全に彼女の趣味、もとい、慈善事業だ……感謝こそすれ、文句を言うやつはいないだろう。
かく言う俺も、今もらった週刊漫画の新刊だけでなく、今こうして座っている布団や断熱シートを含めた、この部屋を俺の自室たらしめている全ての家具や日用品が彼女から提供された物という、もはや彼女無しでは生きられない身体になってしまっている……まぁ、生きてはいないんだが。
「そうだ、この前、近所の学生か何かがうちの庭で花火大会を始めやがって、うるさいんで注意したら、ゴミと一緒に、まだ使ってない花火を置いて逃げやがったんだが、いるか?」
「え? 花火!? 欲しい!」
「そうか、んじゃ、そこの戸棚に閉まってあるから持ってけ」
「わーい! ……全部持ってっちゃっていいの?」
「ああ、いいよいいよ、全部持ってけ、三十代後半のおっさんが一人で花火なんかしたって虚しいだけだろ」
「ふーん……三十代後半のおっさんが、少年漫画を読むのは虚しくないの?」
「バカやろう、おめぇ、男はいくつになっても心は少年のままなんだよ!」
「さっきと言ってることが無茶苦茶だにゃん、礼二くん」
俺とネココは、こうして、他愛もない話をしたり、物々交換をしたりして過ごす。
初めて彼女に会った時、この仕事の報酬はなんだと聞いたら、こうして会った人とお喋りすることだと言っていて、その時はそんなものが報酬になるのかと疑問を思ったものだが……幽霊経験が長くなってきた今なら分かる。
飲まず食わずでも、これ以上落とす命もなければ、机の角に小指をぶつけて幻痛を感じることはあっても、怪我をすることは決してない。
ある意味では不老不死とも言えるような、そんな生活をしている自分達にとって、暇な時間は最大の苦痛であり、誰かと共に過ごす時間は最大の娯楽だ。
だから、きっと仕方ないのだろう……。
俺は、彼女が帰ったあと、壁にかかった時計を見上げながら、そう思う。
「また今日も、寝るのは丑三つ時を過ぎてからか……」
得るものもあるが、失うものもある。
それが、商売や取引と言うものなんだろう。
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