月にペパロニを

 月が綺麗だ、と皆が言った。

 数多の偉い人たちもそうでもない人たちも月を美しいと褒め称え幾星霜が過ぎた。昼の月を見て夕暮れの月を見て夜の月を見る。あらゆる時代あらゆる国の人々が中天にかかる様々な形の月に風流を感じ、詩にしてみたり団子をつまんでみたりして楽しんできた。

 それだというのに私は一度も月を見たことがない。いや、見ることができないのだ。

 これには事情がある。何を隠そう私は狼男なのである。狼男というのは満月を見ると狼男になってしまう男のことである。私が満月を見るとウー、とかグワー、とか言って上半身が毛むくじゃらになり頭に耳が生え口が伸び牙が生えてくる。そして恐るべきことに頭の中まで獣のようになり無差別に肉を貪り食ってしまう。私は鋭い目をぎらぎらと光らせ何倍にもなった嗅覚を働かして獲物を見定める。香水の香りが鼻を引くつかせる。獲物を見つけた。暗闇にまぎれてスポットライトに照らされた一人の女優に丹花を届けに行く。街灯に照らされて白く輝くうなじ目掛け私は牙を突き立てる。一度狼男になってしまえば誰も私を止めることは出来ない。次の陽が昇ってくるまでは闇夜の惨劇が続くこととなる。

 もちろん、私が狼男に変身したことは一度たりともない。これはあくまで私の想像であり、先ほども言ったように私は人生で一度も月を見たことはない。私と月光とが化合して狼男となるのに月を見ずしてどう変化できようか。

 ではどうして私は自身が狼男であることを知っているのか疑問に持たれるだろう。私も皆さんにそれを証明したいのはやまやまなのだがそれは不可能だ。私が満月を見て狼男になるのを実際に見せれば分かってもらえると思う。だがそれを見せたときにはあなたは私のディナーになっているだろう。あなたがおいしい人類か否かに関わらず。

 ここが法治国家である以上どんな理由にせよ人を食べてしまえば殺人になり逮捕されるだろうし、そんなリスクを犯してまで証明しようなどとは思わない。重要なのは私が自分のことを狼男であると信じていることである。

 だからこうして今まで月を見ることなく人生を過ごしてきた。もし見ていたら今頃『恐怖! 夜の殺人鬼、人喰い狼男』と題して朝の紙面を飾り、牢屋の中にいる事だろう。こうしていられるのはひとえに私が一度も狼男になることなく過ごしてきたからである。

 私が問題にしたいのは私が狼男である点ではなく、私が一度も月を見たことがないことである。映像や写真の月でもダメなので(これも推測でしかないが)、私はこれまで絵画や詩、小説の中の月だけで自分の心を慰めてきた。

 失恋したあの夜、心の中で沸き起こった月を見たいという思いをぐっ、と抑えて壁に張った彼女の写真と月の描かれた掛け軸を眺めて枕を濡らした。朝、今日は満月だとニュースで聞けばその日は必ず目玉焼きを食べて思いをはせた。そんな私だがいよいよ我慢の限界だった。月が見たいという欲求が常に私を取り巻き、月への仰望の思いが絶えず私の心を掴んでいた。私は昼夜を分かたず考えた。どうにかして私が狼男になることなく月を見る方法を。

 そして、一つの考えにたどり着いた。私はピザが好きだ。ピザは月のように真ん丸でチーズによって黄金色に輝いているのに私はそれを見たことで狼男になったことはこれまでにない。ピザを食べていたと思ったら人を食べていました、なんて記憶は一つもないのである。

 ピザはあんなに丸いくおいしいのに月ではない。ここから私が出した結論は月にトッピングをして月をピザにしてしまえば月を見ても狼男にはならないのではないかということである。

 ピザになった月を見て私の野性は月をピザと解釈するはずだが、理性はピザを月と解釈して満足感を得られるはずである。もちろん、全て私の推測に過ぎないけれども私はその結論に確信的な思いを感じ、さっそく近所のスーパーへと駆け出した。

 ピザの生地は月本体でいいとして、トッピングは何が必要だろうか。チーズは必要不可欠だ。それにケチャップとハム、エビとイカもあるといい。せっかく月なのだから兎肉ものせよう。

「すいません、店員さん」

「はい、なんでしょう」

「この店のありったけのチーズとケチャップをそれからこの店で一番大きなハム、エビ、イカ、ウサギを用意してください」

「はい、畏まりました。少々お待ちください」

 と店員が言って私の前から消えて優に三十分が過ぎたころ、大量のカートを押して店員が戻ってきた。

「お待たせしました。こちらがチーズとケチャップとハムとエビとイカになります。ウサギはお取り扱いがございません」

 月の表面積は大体三八〇〇万平方キロメートルである。トッピングは地球から見える分だけでいいのでその半分の約一九〇〇万平方キロメートルとしてもこれでは足りないだろう。

「これっぽっちのチーズとケチャップでは全然足りない。それになんだこのちっぽけなハムとエビとイカは。こんなものではほとんどないのと一緒ではないか。それにウサギがない? なんだこの店は」

「大変申し訳ございません」

「お前では話にならない。もっと上のものを呼んで来い」

 店員はそそくさと撤退して代わりに店長が出てきた。

「店長です」

「あなたが店長か」

 出てきた店長にかくかくしかじかと事情を説明したところうちの店ではどうしようもありません、と言われた。

「ならばもっと上のものを呼んでくれ」

「畏まりました」

 そこからのことを簡単にまとめると次にエリアマネージャーがその次に本部社員、課長、部長、社長と出てきたがそれでも解決せずに市役所役員、市長、県庁職員、県知事、官僚、事務次官、大臣政務官、副大臣ときて最終的に総理大臣がやってきた。

「総理大臣です」

「あんたが総理大臣か。あんたには普段から言ってやりたいことが山ほどあるがそれはどうでもよい。今言いたいのはこういうことだ」

 そうして今日何度目になるか分からない説明をした。

「事情は分かりました。では法改正してチーズとケチャップを集めましょう。それと超巨大な豚とエビとイカが作れると国立研究所からの報告があったのでそれで何とかしましょう」

「ウサギは?」

「ウサギは……、鶏肉みたいな味がするそうなので鶏で手を打ちませんか」

 月だから兎にしたのに味が同じだからという理由で鶏肉に変更されるというのは屈辱的であるがその程度は妥協するしかあるまい。

「ではそれで手を打ちましょう。あとはロケットが必要なんだけれど」

「ロケットですか。日本での打ち上げは難しいですね。軒並み爆発します」

「何? じゃあ誰なら上手く打ち上げられるんだ」

「さあ、NASAとかじゃないですか」

「ならば、そのNASAを呼んで来い」

 総理大臣が電話するとロケットで誰かが飛んできた。

「NASAです」

「おまえがNASAか。こういうわけだからロケットを打ち上げてもらいたい」

 NASAの協力を得たことで本格的な国際協力による月面ピザ化計画が始動された。地上では巨大な豚、エビ、イカ、鶏の培養や加工ができないのでいったんロケットで打ち上げてから衛星軌道上での培養と加工が進行された。チーズとケチャップは徹底的に回収され、一般人がチーズとケチャップを口にすることはなくなった。

 そして、長い歳月を経てついにピザが完成した。

 その間に総理大臣は代替わりし店長と市長は亡くなり、事務次官は認知症、エリアマネージャーと官僚は糖尿病、ほかの人々は定年退職をして、いまだに働いているのは店員だけになっていた。

 ピザが完成したのは中秋の名月の日で一年のうちで最もきれいに月がひいてはピザが見れるタイミングであった。私が初めて月を見ることを祝して日本で大規模なピザ(月)見会が開催された。私はもちろん、現総理大臣に前総理大臣、NASAをはじめとした多くの人物が参加した。

 私はその日うっかりセレモニーの前に月(ピザ)を見ることが無いよう一日中アイマスクをして過ごした。案内役に手を引かれながらあいさつ回りをこなし、そして、いよいよ私が月を見るセレモニーの時間になった。

 私はアイマスクをしたまま壇上に上がり、演説をした。感謝の言葉にこれまでの苦節の道のり、幾つかの個人的な思い出とそこから得た教訓の話など。

 演説が終わるとカウントダウンが始まった。積年の思いが詰まったカウントダウンである。十から始まりゼロになった時私はアイマスクを外して人生で初めての月を見る。そして、私は言うのだ、月が綺麗だ、となんて月は美しいのだろう、と。私は近くにいる人々と肩を抱き合い感涙にむせび、月のもたらす感傷に浸りながらピザを食すのだ。カウントダウンが進む。五、四、三、と。

 とまあ、このようにして私は長い時間と大きな手間をかけて月(ピザ)を見たのであるが、そのことで出した結論というのはつまるところピザよりも人間の方が美味しかったということである。

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