ショートショート集

上尾寒手

シイタケ

 流行というのはどうにも難しいもので、流行りにのっている人からすれば至極当たり前のことだけれども、他所から見れば何とも理解し難いことに思えるものです。

 僕も初めは一体何がいいのだろうと思っていたのですが。

 まあまあ、もう少し耐えて話を聞いて下さい。もちろん君が聞きたいのは私の流行に対する私見ではないことは重々承知しているけれどもね。

 ところで、あちらの方はどうでしたか。まさか君が一年も外国に留学するなんて、僕には住み慣れた土地を離れて暮らすなんてことはとても想像出来ません。行けば素晴らしさが分かる、そう言われると何とも。

 それで本題に戻りますが、いつ頃からかは分からないのですが、若い人の間で、いや、僕だって若いけれど、髪をきのこみたいに丸くするのが流行っていたんです。

 その人達に特段興味を持ったことは無かったのでまじまじ見つめてみたりたりしたことは無かったのですが。ある日、下校中にコンビニの所の横断歩道で、そう、あの坂を下った所の横断歩道です。

 そこで僕が信号が変わるのを待っていたとき、僕のすぐ前に例のきのこみたいな髪型の男性、ひと昔前のチンピラみたいな縞のシャツに黒いズボンを履いた男が立っていたんです。

 見る気はさらさら無かったのです。ただ、視界に入るものですからつい気になってしまって。君だってそういうことはあるでしょう。

 するとどうです、よくよく見ればシイタケみたいじゃあありませんか。

 そうです。あのシイタケです。菌類で茶色の笠を持ち、煮つけにすると美味しいあれです。え、君は嫌いなんですか。美味しいでしょう、笠が丸々入ってるようなのは特に。いや、そんなことはどうだってよろしい。

 ともかく、信じられないでしょうがそれが本物のシイタケなのです。彼はシイタケを被っていたのです。本当なんです。僕も初めは大変驚きました。何せ目の前にシイタケを被った男が立っているのですから。この男は気でも違っているのか、と怖くなって僕は急いでその場を離れました。

 その男から逃げて足早に駅の方に向かいました。すると恐ろしいことに気付きました。僕が今まできのこみたいな髪型だと思っていたものは全てシイタケだったんです。街中の若者がみんな揃ってシイタケを被っているのです。

 夢でも見ているのかと今度は自分の正気を疑いました。

 僕は家に帰ってからインターネットで調べてみました。その結果どうやら僕は正気の様でした。若者の間では男女を問わずシイタケを頭に被るのが流行っているらしかったのです。

 シイタケを頭に被る、その行為をまったくもって理解できませんでした。だけど、その行為に僕はとても興味がありました。どうしてそんなことをするのか、年齢も同じくらい、下手をすれば同じ大学に通っているような人たちが何故シイタケを被り、そして、僕は被らないのか。

 そのために顔の広い友人を頼って流行りに聡い人と飲みに行かせてもらったんです。全部その友人に任せたんですが、あんな店に行ったのは初めてですよ。こことは大違いで。薄暗いのはいいとして、カウンターやらテーブルやらを青色に照らしたり、よく分からない置物を並べたり、おまけにメニューときたら横文字ばっかり。酒もカクテルしかなくてあれじゃあ酔うにも酔えませんよ。それに自分から頼んだとは言え、シイタケを被った人と対面するとぎょっ、としますね。驚きを禁じえませんでした。彼、高橋……よし、き君だったかな。白のティーシャツにジーパンを着ていて良くも悪くもよく見かけるような感じでした。シャツの襟が茶色くシミになっているのが気になりましたが。

 自己紹介もほどほどに三人で飲み始めました。当たり障りのないことを話して、いい感じになってきたくらいに僕は本題に入りました。

「あまり詳しくないから分からないんですが、その被っているのはシイタケですよね」

「ああ」

「そういうのはどこで買ってるんですか」

「ん、普通にシイタケ屋で」

「どこにあるんです」

「別にどこにだって、すぐそこにだってあるし」

「へえ、それは知りませんでした。あの、種類とかってあるんですか」

「そりゃいろいろあっけど」

「高橋君のはどういうのなんですか」

「俺のは普通に煮てあるやつ」

 いえ、僕の聞き間違いではありません。確認しましたから。彼は煮たシイタケを被っていました。何でもそれが一番人気だそうで、シイタケから汁が垂れていた方がおしゃれなんだそうです。彼のシャツの襟がシミになっていたのはシイタケの汁でした。いまだにおしゃれは分かりません。

 そして、失礼かとは思ったのですがどうしてもしたかった質問をしてみました。

「その、何というかこういうことを聞くのはどうかと思うんですが、その、どうしてシイタケを被っているんですか」

「何でって、流行ってるからだけど」

 彼は至極当然といった顔でした。僕はこの答えにショックを受けました。僕がこんなにシイタケについて考えていたというのに、流行ってる、その一言で片づけられてしまったのです。流行っているからシイタケを被る? 意味が分からない。

 どうしても納得がいかなかったので僕は次の日、シイタケ屋に行ってきました。『edodes』という店でやはりそういうのを被りそうな人で溢れかえっていました。中は大小様々なシイタケが並んでいて、帽子屋の様な印象を受けました。僕みたいなのには長居しづらかったので店員に一番人気の物を見繕ってもらってさっさと帰ってきてしまいました。

 とてもシイタケが入っているとは思えないおしゃれな箱でもしかしたら違う物を買ってきてしまったのではないかと少し不安になりましたが、中に入っていたのは間違いなくシイタケで、それも煮てあるものを、ついに僕は手にしました。

 表面はざらざらしていて、でも煮てあるからぶよぶよもしていて、少し力を入れるだけで汁が垂れてきます。その時は正直被りたくないという思いの方が強かったのですが、買った手前被らないということもしづらく、思い切って被りました。

 頭をシイタケに包まれるのは肉付きのいい手を隙間なく頭に当てられて揉まれているような感じで、それに汁がどんどん垂れてくるため汗を掻いたみたいに髪が張り付いて服の襟もすぐぐしょぐしょになりました。

 気持ち悪い、率直にそう思いました。それと同時に僕の中に無視し難い感情も生まれました。何というかプラスの、気持ちのいい感情でした。さっきのはあくまで感触的な気持ち悪さで、この気持ちの良さはもっと心の底から沸き起こる様な胸の辺りがぞわっ、とするような。

 この時、僕は初めて彼らに親しみを感じました。今まで一度だって感じたことはありません。それなのに、シイタケを被る、たったそれだけのことで僕は彼らと同じになったのです。名も知らない、趣味も合わないだろ数多くの人たちもまたシイタケの肉に包まれ、汁に髪を濡らしているかと思うと穏やかな気持ちになれました。これほどまでに僕と社会とが一体となったことがあったでしょうか。一人ではとても出来ないが、みんながやっている、流行っている。そう、流行っているんです。だから、シイタケを被るんです。みんながやっているから、この当然のことに僕はこの瞬間まで気付くことが出来ませんでした。

 熱くなってしまって申し訳ない。

 とにかくこういう訳で僕はシイタケを被っています。

 そしてこれは僕からのプレゼントです。ぜひ君にもシイタケを被ってもらいたいと思って用意しました。

 要らない? まあ、そんなことを言わずに騙されたと思って、一度だけどうです。

 そんなことよりとは何ですか人がせっかく買ってきたのに。え、君も僕にお土産があるんですか。

 今、海外で流行っているものですか。へえ、ホワイトソースを付けたマッシュルームを指にはめるのが流行っているんですか。

 嫌ですよ、何が面白くて指にマッシュルームなんかはめるんですか。

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