Fight28:過酷な連戦

 『クエスト・タワー』の4階に待ち受けていたのは、鍛え抜かれた浅黒い肌にドレッドヘアを伸ばしたラテン系の男だ。ナンバー『7』のブラジル人、カポエイラ使いのムリーロ・バレイラスという男だ。


「ヨクココマデ来レタナ。ダガソロソロ限界ダロ? 俺ハ運ガイイ。『トロフィー』ハ俺ガ頂クゼ!!」


 拙い訛りのある英語で宣言したバレイラスは腰を低くして独特の構えを取ると、まるでその場で踊るように左右にステップを取り始めた。恐らくこれがカポエイラの動きなのだろう。マーカスは一切油断する気はなかった。


 距離を詰めると上段からジャブを連打する。だがバレイラスは低い姿勢でそれを躱す。マーカスが今度はミドルキックを放つと、何と奴は自分から仰向けに倒れ込んでマーカスの蹴りを躱した。


 そのまま倒れるかと思いきや、奴は片手を背中に回して地面に着けると、それだけを支えにして自らの両脚をブレイクダンスのように振り回した。


「……!?」


 これにはマーカスも度肝を抜かれて追撃の手が止まってしまう。すると奴の脚が軌道を変えて襲いかかり、マーカスの腹の辺りに前蹴りが命中する。


「……!」


 変幻自在の蹴りに幻惑されたマーカスは、回避動作が間に合わずその前蹴りを腹に食らって、思わず身体を前に折り曲げる。すると再びバレイラスの脚が翻り、前のめりになったマーカスの顎に奴の蹴りがヒットした。


「が……!」


 顎を蹴り上げられたマーカスは仰け反るようにして吹き飛び、そのまま背中から倒れ込んでしまう。彼が初めて打撃でダウンを食らった瞬間であった。


 バレイラスは脚を旋回させながら、軽快な動作で立ち上がった。奴は片手を地面に着けて軸にした状態で、あれだけ多彩な技を繰り出してきたのだ。恐るべき身体能力と変幻自在さであった。



「クハハ、イイザマダナ! コリャ『トロフィー』ハ頂キダゼ!」


「ぐ、ぬ……!」


 バレイラスが嘲笑しながら更に追撃を加えてくるのを、マーカスは転がるように回避しつつ強引に立ち上がった。万全の状態であればダウンするような事はなかったはずだが、今はそうはいかない。これまでの連戦のダメージや疲労の蓄積は馬鹿にならない。 


(長期戦は不利だな……)


 マーカスはそう判断した。体力も限界に近づいている。まだ相手が控えている事を考えると、ここで体力を使い切る訳にはいかない。


「シハッ!」


 バレイラスが後ろ回し蹴りのような攻撃を仕掛けてきた。カポエイラ独特の動きで軌道が解りにくいが、何とか受けに成功。奴はそのままアクロバティックな軌道で蹴りを繰り出してくるが、そちらもガードに成功した。


 何度か受ける中でマーカスはカポエイラの特徴を掴みつつあった。恐らく殆どの相手はこの変幻自在の動きと攻めに翻弄されて初見殺し・・・・されるのだ。だがマーカスは怒涛の攻めを耐えきった。そうなると優れた格闘家である彼の事。既にカポエイラの弱点・・に当たりを付けていた。



 バレイラスが再び蹴り技で攻撃してくる。例によって激しい体動を伴うアクロバティックな蹴りだ。だがこの激しい動きに惑わされなければ、結局蹴りが当たる場所は一箇所だけだ。脚が分裂している訳でもない。


 マーカスは敵の動きに幻惑されずに、冷静にバレイラスの蹴りの軌道を見切ってガードした。そしてやはり相手の動きに惑わされず、強引に踏み込んで奴の胴体目掛けてストレートを打ち込む。


「……!!」


 アクロバティックな攻撃の直後であったバレイラスはマーカスの打ち下ろしを躱せずに、まともに拳がめり込んだ。


「ゲハッ!」


 バレイラスが呻いて大きく怯む。奴はそれでも体勢を立て直しつつ今度は頭突きを放ってくるが、一切油断をせず相手の動きに注意を払っていたマーカスには通じない。彼は上体を仰け反らせるようにして頭突きを回避。逆にカウンターで奴の顔面にフックを食らわせる。


 フックを食らったバレイラスが大きく体勢を崩す。胴体ががら空きだ。


「ふっ!!」


 マーカスは絶好のチャンスに、渾身のミドルキックを奴の脇腹に叩き込んだ。確かな手応えと肋骨の砕ける感触が自身の足から伝わってくる。


「ガハァッ!!」


 バレイラスは盛大に血反吐を撒き散らしながら吹き飛んだ。脇腹を押さえて悶絶し、とても戦闘を継続できる状態ではない。決着だ。



「ウギギ……チ、チクショウ……。へ、へへ……ドウセテメェハ最後マデ勝チ上ガレッコネェ。テメェモアノ女モココデ死ヌンダヨ……!」


「……! 黙れ!」


 血を吐きながらも悪意に嗤うバレイラスに激昂したマーカスは、止めの一撃を奴の顔面に叩き込む。それで完全に沈黙した。


「ふぅぅ……ふぅぅ……! あと、2人か……」


 今の身体中が悲鳴を上げている状態では、その数が10倍にも思える。だがここで立ち止まる訳にはいかない。彼が負けたり逃げたりすればリディアとニーナが死ぬ事になる。


(やるしか、ないか……!)


 マーカスは歯を食いしばって苦痛を堪えると、身体を引きずるようにして5階への扉を潜っていった。




「……!」


 5階も今までと同じ造りであったが、そこに待ち構えている『番人』はこれまでより一層特徴的なタイプであった。


 縦も横も大きい『巨漢』という表現がピッタリ来るシルエット。体重は下手をすると200キロを超えているかも知れない。それでいて肥満という印象はなく、全身は筋肉の塊のようであった。


 ナンバー『5』の選手、モンゴル相撲のポンツァギーン・オチルバトという男であった。マーカスの姿を認めると無言で腰を落として戦闘態勢を取った。英語は喋れないらしい。低い構えを取っているだけでも、その巨体の威圧感は相当なものだ。


 オチルバトはその低い姿勢のまま、両手を前に突き出すようにして突進してきた。その迫力はマーカスをして、思わず正面からぶつかるのを避けようと回避行動を取らせたほどだ。


 マーカスはその重量級の突進を辛うじて回避するが、オチルバトは意外なほどの機動性を見せて方向転換すると、マーカスを捕まえようと迫ってくる。ダメージを受けた身体で逃げ切れる速さではない。


「くそ……!」


 マーカスは覚悟を決めて迎撃する。腰だめに構えた姿勢からストレートを打ち放す。それは狙い過たずオチルバトの顔面にヒットするが、奴は少し勢いを鈍らせた程度で倒れる気配はない。マーカスは続けて奴の脚にローを蹴り込むが、やはりオチルバトの勢いを完全には止められない。馬鹿げた耐久力だ。


 オチルバトが張り手を繰り出してくるのをスウェーで避けるが、奴はそれを囮にもう一方の手でマーカスを捉えた。


(しまった……!)


 気づいた時には凄まじい力で引っ張られ、脚を掛けられて体勢を崩す。そのまま抱え込むようにして投げ技を食らう。視界が反転して背中から地面に叩きつけられた。


「がは……!」


 衝撃で肺から空気が絞り出される。オチルバトは倒れたマーカスを踏みつけようと脚を上げる。マーカスは慌てて転がるようにしてそれを回避すると強引に立ち上がった。



「ふぅ……! ふぅ……!! はぁ……!」


 ダメージと疲労で激しく息が上がり視界が霞む。だがオチルバトは容赦なく追撃してくる。奴の突進はさながら重戦車の如くでマーカスがどれだけ打撃を当てても止める事が出来ない。その馬鹿げた耐久力は、例え彼が万全であったとしても通用しなかったのではないかと思える程だ。


 逆にオチルバトはその丸太のような腕から張り手やチョップを次々と繰り出してくる。自身の攻撃を弾かれた隙を突かれたマーカスは完全には躱しきれずに、奴の打撃を何発ももらってしまう。その膂力から繰り出される打撃の威力はかなりの物で、マーカスは顔や腕、肩あどにいくつもの青あざを作る羽目になり、口からも漏れた血が滴り落ちる。


「ぐ、ぬ……化け物め……」


 マーカスは苦痛に顔を歪めて呻く。打撃の応酬は完全に奴に分がある。このまま打ち合っていても確実に負ける。自らの優位を分かっているオチルバトがその堀の浅い顔を歪める。これは……笑いだ。


「オ……オ前、倒セバ、アノ女、俺ノ物。オ、犯シマクッテ、ソレカラ、ユックリト絞メ殺ス。タ、楽シミ、ダ」


「……!!」


 純粋な悪意と残虐性を発露するオチルバト。マーカスは選手リストで見たこの男の所業・・を思い出した。もしマーカスが負けてこの男がリディアを手に入れたらどうなるか……



(……させるか!)


 マーカスは怒りに燃えてオチルバトを睨みつける。正攻法では恐らくこの男には勝てない。ならばやるべき事は……


「おおぉぉぉぉっ!!」


 マーカスは気合の叫びと共に、オチルバトに向かって一直線に突っ込む。オチルバトは当然逃げずに迎撃してくる。マーカスは奴の顔面にストレートを叩き込む。手応えはあったがオチルバトは倒れる事無く耐えきった。奴の顔が勝利を確信して残忍な笑みに歪む。


 オチルバトは挟み込むようにしてマーカスの胴体を捕らえる。そのままベアハッグの要領でマーカスの背骨を折ろうと力を込める。凄まじい膂力の前にマーカスの身体はあっという間に悲鳴を上げる。このままだと確実に背骨を折られる。だが……


(両腕を一緒に挟み込まなかったのは失敗だったな!)


 マーカスは両腕を広げて中指の角を僅かに突き出したような形で拳を握ると、左右から全力でオチルバトの蟀谷を殴りつけた。


「……!?」


 奴が初めて動揺したような声を上げて、痛みのあまりマーカスの身体を離してしまう。彼はそのまま間髪を入れずオチルバトの両目・・に指を突き当てた。


「ヌガ……!!」


 奴が両目を押さえて怯む。がら空きになった胴体。そこに今度は下からオチルバトの金的・・を全力で蹴り上げた。奴の巨体が震えて前かがみになる。マーカスはその頭を両手で鷲掴みにすると、ジャンプするような勢いで膝蹴りを叩き込んだ。


「――ッ!!!」


 顔面を砕かれたオチルバトが口や鼻から盛大に血を噴き出しながら、もんどり打って倒れ込んだ。奴が起き上がってくる気配はない。完全KOだ。



「ふぅぅぅ……あ、危なかった」


 それを確認するとマーカスは思わずその場に膝をついた。奴のベアハッグのような技を誘発して、そこから反則技のコンボを叩き込んでKOする。そういう作戦だったが、一歩でも何かを間違えればここで血を吐いて倒れているのはマーカスだっただろう。非常に際どい勝負であった。


「くっ……」


 だが休んでいる暇はない。マーカスは痛みを押し殺して強引に立ち上がった。いよいよ最上階だ。だが特にオチルバト戦でのダメージが大きく、マーカスは既に身体中に打ち身の痣を作っている状態だった。痛みも強い。 


「あと1人……。待っていろ、リディア。今行くぞ……」


 マーカスは満身創痍の身体を引きずりながら、リディアの待つ最上階へと進んでいった……  

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