第29話 古代魔法③
「おいおい、いつまで黙りこくってるつもりだ。辛気臭いぞ」
カイが肘で小突いてきて、ユリアは意識を浮上させた。
気づけば、なだらかな丘を越え、森の道に差し掛かっていた。
「煩いわね。今、大事なことを考えてるの。放っておいてよ」
「はぁ? 大事なことぉ?」
胡散臭いものを見るように、カイは黒い前髪の隙間からユリアを睨んだ。
「ラルフから聞いたの。あ、ラルフっていうのは、〈銀海の風〉のメンバーで、彼が教えてくれたの。私を何で付け狙ってるか」
ラルフから聞いた話を、ユリアは事細かにカイに伝える。
話しているうちに、不思議と気持ちが楽になって来て、話し終えるころにはどこか清々しい気持ちさえした。
(やっぱり、溜め込むより、吐き出すにかぎる!)
ユリアが人知れず頷いていると、カイが眉間に皺を寄せ、膝の上に手を置き、とんとんと叩く。イライラしているときにカイがよく見せる仕草だった。
「ラルフの野郎も誰かさんみたくおしゃべりだな」
言って、カイは両膝に腕を投げ出すように置いて、上半身を折って頭を垂れた。
少し態勢を崩したエンバートだったが、慣れた動作で、カイの黒い頭の上に移動する。
「で、何を考えてるって?」
低く、脅すような声音に、ユリアは思わず息を呑みこむ。
「ラルフは言った。〈白の一族〉を救えるのは私だけだって。私の力だけだって」
ユリアがこの世に生れ落ちたその日、ユリアの父は〈レガ教団〉の教えを知り、産後の養生の為寝台に横になっていた母のもとに、一冊の聖典を持ってきたのだ。「素晴らしい教えを見つけた! これこそが本物だ!」と。
だから、ユリアの血肉には、〈レガ教団〉の教えや理念が息づき、「神を捨てた」今でさえ、ユリアと切っても切り離せないものだった。何が一般常識で、何が教団の教えか判然としないのだ。人と話せば明らかになるであろうそれも、ユリアにはできなかった。〈レガ教団〉の信徒であるということ、そして〈先祖返り〉といわれる力をひた隠しにしなけらばならなかったこと。このふたつが、ユリアを同年代の子供たちから隔て、壁を作った。
ユリアが心を許して話せるのは、同じ境遇の兄と姉。
それから、森で出会った師匠、それに兄弟子のフェリクスと弟弟子のカイだけだった。
フェリクスやカイと話すことで、少しずつ乖離していた一般常識に近づくことができたが、全てではない。それに、十五年間、刷り込まれ続けた教えは、心の奥底にまで根づき、どこまでが押し付けられた思想で、どこからがユリアの個人的な考えかわからないほどだった。
だから今、〈白に一族〉を救いたいと湧き上がってくる気持ちが、純粋に自分の気持ちなのか、ユリアにはわからなかった。けれど、涙が溢れそうになるくらい、熱心に思うのだ。〈白の一族〉を、不当な批判や差別の中から救い出せるなら、何でもしたいのだと。
「私だけにしかできないのなら、その使命を引き受けなきゃいけない。この先、生まれてくる何百、何千という子供たちの為に、私はっ……」
言葉を紡いでいるうちに、次第に熱を帯びてきて、ユリアは興奮気味に捲し立てる。
「冗談も大概にしろよ? 白の一族を救うだと? お前だけしかできないだと? どんだけ酔ってんだよ、馬鹿か、お前は」
カイは体を起こすと、白くなるほど握りしめた拳を思い切り、自分の膝に打ちつけた。どんという鈍い音が車内に響き、ユリアは反論しようとした言葉を飲み込む。
ライナルトが身じろぎするのが目の端に映るが、ユリアは睨み据えるようにこちらを見るカイから目が離せなかった。
「あいつらが使おうとしているのが何だかわかるか? 洗濯や掃除に役立つような便利な魔法じゃないぞ。人の心を操る禁忌の技だ。お前だって、ラルフの話を聞いたんならわかるだろ? なぜ、古代魔法が封印されたと思う? その禁忌の魔術ゆえだ。それが怖ろしいから、俺たちの先祖は古代魔法を記した全ての書物を焼き払った。たった一つをのぞいて」
拳を何度も膝に打ちつけるカイの姿は、傍から見ていると顔を背けたくなるほど痛ましかったが、ユリアには止める手立てがなかった。そもそもユリアの発言が、カイをいらだたせているのだから。
「カイは、古代魔法のこと、知ってたの……?」
同じように師匠の下で魔法を習い、同じように野山を駆け巡っていたはずのカイは、明らかにユリアよりも古代魔法に詳しいようだった。
頭をガンと殴られたような衝撃が走り、カイとの間に深い溝があるように感じた。今まで自分と同じだと思っていたカイが、実は全く別の人間だったとわかり、どんどん距離が離れていくような、そんな気がした。
「お前は覚えてないのか? 母親が語り聞かせる十八番のおとぎ話。その中に、あったろ? 相手の心を惑わす薬を手に入れた鼠が、鶏や羊、牛なんかをどんどん自分の思うがままに操って、最後にはたった一匹になるって話。どの家庭でも聞かされる話だ」
ユリアは昨夜、ラルフから「古代魔法」と聞かされたとき、おぼろげに浮かんだ記憶が何なのかやっとわかった。
母の聞かせてくれるおとぎ話だ。
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