サルテパトの戦い
赤い風が吹いた。
見渡す限りに赤茶けた地面が広がるサルテパトの地に吹く風は、巻き上げる砂の色に赤く染まる。
この砂塵のむこうに
サルテパトの赤い大地にのたうつ蛇のように横たわるサルテ河の岸辺。そこに集まる四万のバシュタイルの軍勢を、丘の上に立って馬上から遠望する男がいた。
赤く染めた鷹の羽飾りが揺れる毛皮の帽子を被り、筋骨の優れた身体を質実とした帯甲と豪奢な赤染の毛織の外衣で包んだこの壮年の偉丈夫――
「ようやく捕まえたか。バシュタイルの
あそこに皇帝ラートイがいる。これが決戦になる。愛馬にも伝わったこの興奮が抑えきれず、カマルムクは自分が武者震いしていることに笑っていた。
力を示さねば
侵攻は順調だった。常にない大軍を率いたカマルムク率いるガルマル軍は、国境の長城を瞬く間に破り、迎撃に出たバシュタイル軍を粉砕した。さらに行く手を遮る数十の都市を劫掠しながら南進して、遂に帝都の門下にまで攻め込んだ。カマルムクの武威は大いに奮われ、その武名にガルマル人たちは
この武名は帝都を陥落させてバシュタイル帝国を屈服させれば不動のものとなり、
こうして帝都の攻略へと取り掛かった矢先だった。皇帝ラートイ率いるバシュタイル軍が、ガルマル軍の占領地を突いて北方の後方線に出現したのは。その数は四万と伝えられた。ガルマル軍が占領地の防衛に割いた兵は二万。倍の兵力である。
戦利品は持ち帰らねば意味がない。そう考えるガルマル人たちは故郷である
こうして帝都攻略を諦めたカマルムクであったが、一方で現れた敵軍を率いるのが皇帝ラートイであることに幸運を感じていた。帝都を陥れずとも皇帝を討てばこの戦争に勝利できるからである。カマルムクは皇帝との決戦を求めてバシュタイル軍に迫った。
しかしバシュタイル軍は決戦を回避して逃走を始めた。地勢に通じるバシュタイル軍は巧みにガルマル軍の追跡をかわすと、山岳や森林などの地形を活かして伏兵を置き、小規模な攻撃を繰り返し仕掛けてガルマル軍の消耗と進軍の遅滞を図ってきた。
この攻撃を退けながら、カマルムクは軍を分けて敵の退路を塞ぎ、狩りでもするように決戦に有利な平地――サルテパトへとバシュタイル軍を追い込んでいった。
そして、この戦場である。
「もはや逃げられぬことを察したようです。野戦の陣形を組んでおります」
カマルムクに馬を並べる
バシュタイル軍は盾と槍を持つ歩兵を密集させた堅固な陣を敷いていた。先制を取らず、こちらの矢数が尽きるまで攻撃に耐えて勝機を窺う姿勢であることが見て取れる。この堅守の陣列はサルテ河に接する右翼から長々と伸び、終点となる左翼の端で最も分厚くなる形を作っていた。この左翼に大きく翻る黄金に輝く日輪の大軍旗は、そこに皇帝がいる証であった。
「数は四万ほど。右翼を河で守らせて、余剰の兵力を左翼に集中させたか――」
左翼の端からさらに三デラ(約一km)ほど先には段丘となった崖があるが、そこまで陣列を伸ばせるほどの兵力はないようだった。この崖との間隙を抜けてこちらの騎兵が後方に回り込むことを警戒し、予備兵力を集めて左翼の守りを厚くしている。カマルムクは敵の陣形をそう看破した。
「如何します?」
「決戦だ。皇帝を討つ」
「分隊の合流は?」
「一万程度の兵、なくとも勝てる。予定通りに後方へ迂回していれば、敗兵を狩る役にも立とう」
「陣形は?」
「右翼は私が率いる。左翼はムカリ、中央はボロルタイに任せよう」
「作戦は?」
「左翼と中央は敵を引きつけ、右翼で敵の左翼を抜く。後方に回り込んで囲み、奴らを河に追い落としてやろう」
「心得ました」
「
そこに居並ぶのは五万を数える屈強な戦士と戦馬の群れ。
「軟弱な
カマルムクが両手を掲げて大声で呼ばわると、これにガルマルの戦士たちは弓を振り上げて「
「
カマルムクの指示に周囲の
五万の人馬は渦を巻く泥流の如くに蠢いたが、それは徐々に整然とした形を成していき、やがて凪いだ風に静まる
陣が成った。
カマルムクは右翼にたなびく真紅の大軍旗の下にあってその報せを聞き届けると、
「
と、短く声を発した。
角笛の低く震える音が、空に高く鳴り渡る。
六デラ(約二km)にもなるガルマル軍の人馬の陣列が、身じろぐ巨大な獣のようにゆっくりと動き出した。
サルテパトの戦い――後世にそう呼ばれる会戦の始まりである。
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