第51話 えるぷりやに突然訪れた危機

「ついにこの時が訪れてしまいましたか……」


 それは僕が担当係として働いて一ヵ月ほど経ち、仕事に馴れてきた頃の事。

 それとなく玄関口へやってきた時だった。


 この時覗き見えたエルプリヤさんの表情は険しくて、何か嫌な予感がした。

 だからか居てもたってもいられず彼女の下に歩み寄っていたんだ。


「エルプリヤさん、何かあったんですか?」

「あっ、夢路さん……」


 エルプリヤさんはこうして声を掛けるまで僕に気付いていなかったらしい。

 それほどまでに重要な何かが起きたのだと予感させるには充分だった。


 不安が募る。

 彼女が声を詰まらせている事が拍車をかけるかのよう。

 一体何が起きたのか、ただそれが気になって仕方がなくて。


「実は、ですね……もうすぐ旅館えるぷりやは休業しなくてはならないのです」

「えっ……」


 そして悪い予感は的中してしまった。

 まさかこんな事態にまで発展していたなんて。


 この異世界旅館が休業など、そんな事がありえるなんて想像もしなかったから。


「……夢路さんは薄々感づいているかもしれませんが、この旅館は一つの生き物のようなものでして。旅館自体が代謝を行い、日々の汚れや損耗などを自ら取り込み修復してくれるのです」

「じゃあ僕達の掃除とかはその助けみたいなものなんだね」

「はい。しかしそれでも常日頃そういった修復の負担は蓄積し、いつかは必ず許容を越えてしまうのです。そしてその時がついにやってきてしまいました……!」


 エルプリヤさんの言う通り、なんとなく僕も感づいてはいた。

 今までの恩恵はすべて旅館そのものが体現してくれたものなんだって。

 だからこそ僕も掃除には敬意を払って行ってきたつもりなんだけど。


 まさかそれでも足りず、こんな時を迎えてしまうなんて思ってもなかった。


「でも気にやまないでください。いつかは来てしまうもの。私達従業員の努力はあくまでその負担を軽減するだけにしかとどまりませんから」

「そうだったのか……でも努力が足りなかったおかげで休業に至っちゃうなんて、なんだかとても悔しいよ」


 憧れの旅館で働き始めて、仕事にも慣れ始めた。

 だけどこうしてやむなく離れないといけないかもしれないと思うと情けない。

 僕達の努力がちっとも足りてなかったんだって痛感させられたから。


 そのせいで失職だなんて、こんなに悲しい事なんてないだろ……!


「となると、またしばらくエルプリヤさんとお別れなのかな……」

「あ、いえ。大体一週間くらいなのでそこまででは」

「意外と短かった!」


 ――でもそんな事はありませんでした。

 予想以上に休業期間が短かったので何の心配も無いようです。

 さすが旅館えるぷりや、こういうネガティブな事に関してはとてもユルい。


「旅館が蓄積した負担を消化するまで休ませないといけないので、その間だけ休業といった形になるのですよ」

「な、なるほどね。別に無期限とかそういう事じゃないんだ……」

「えぇ。ただこの事態は地球時間で言うところの百年に一度あるかないかといったイベントでして、私も先代から聞かされただけなので詳しくはよくわからないのです」


 とはいえ経験が無いから不安だった、と。

 それであんな険しい表情を浮かべていたのだと思うと納得、かな?


「ですが実はこの休業には別の問題がありまして」

「別の問題……?」

「はい」


 けどどうやら不安はそれだけではなかったらしい。

 エルプリヤさんがこう話題を切り替えるや否や、眉をひそめて俯いてしまった。

 休業以外にも何かまずい事が起きようとしているのだろうか?


「実は休業中は誰も旅館にいる訳にいきません」

「もしいてしまうと?」

「時間の停止した旅館に閉じ込められ、吸収されて死にます」


 起きそうだった! 結構怖いなこの旅館!

 仕組みに反すると即死亡っていう理不尽な所がもう!


「なので従業員各自は休業中、一時的に別の世界へと渡る必要があります」

「その調子で行くと宿場町の人達もかな」

「えぇ。まぁ宿場町の方々は〝適正が無いものの旅館が好きなので居付いた〟という人々でして、彼等に帰る故郷はあるのです。ですが従業員の半数はそうもいきません」

「そうか、ここで産まれたり故郷を失った人も多いんだよね。ゼーナルフさんみたいに永住しているお客様もいるし」

「そうなのです。なのでまず皆の退避先を探さねばなりません」


 ただし旅館が耐えてくれるそうなので猶予はちゃんとあるみたいだ。

 休業に至るまでに従業員や永住客を退避させるくらいは問題ないらしい。


「ですからこれより退避先を確保するために従業員に尋ねたいと思います。従業員の中には安全な世界から来られている方も何人かいらっしゃるようですから」


 なら思ったよりもずっと気苦労はしなくて済むかもしれない。

 退避先に困っているなら僕だって協力できるだろうから。


「それなら多分僕も協力できると思います。僕の家だけでも多分一〇人くらいなら入ると思いますし」

「ほ、本当ですか!? それはとてもありがたいです! でしたら退避候補の一つに挙げさせていただきますね!」

「うん、決まったら一声かけて貰えると助かるかな」

「わかりましたっ!」


 それというのも、僕の家は三人で住むには少し広い。

 元々五人家族で住む事を想定して建てられた家だから。


 僕の部屋にもあと二人は入るし、姉さんの部屋も同様に。

 幻ちゃんはもう家から出たから彼女の部屋には三人入るだろう。

 あとは父と母の寝室に二人、書斎に一人、リビングにも二~三人は入る。

 定員一〇人なんて言ったけど、工夫次第ではもっと増やせるかもしれないな。


 なのでそうとも伝え、ひとまず玄関口を後にした。

 少しでもエルプリヤさんの力になれてとても良かったと思う。


 あとは僕の家に来る人が誰になるか、それだけが気になるかな。




 ……こうして旅館休業の事は直後、従業員や宿場町の人達に伝えられた。

 それで皆が協議し合った結果、なんとか全員の退避先が決定。


 そして数日後、ついに休業が開始した――のだけども。


「これから一週間、よろしくおねがいしますっ!」

「「「よろしくお願いしまーす!」」」

「う、うん、よろしくね……」


 僕の家にやってきたのはほぼ女の子だった。

 代表のエルプリヤさんを含め、馴染みの深い子達ばかりでとても壮観である。


「ここがゆめじの家かー! とてもシンプルなのだ!」

「そうなんダ。それでいてとても機能的なんだゾ」

「そうねぇ~うふふぅ、ここでなら何でもできそう~(ニタァリ)」

「うじゅ!」

「この世界は」「外もすばらしいのです」

「アハッ! ユメジの家! アタシの愛の巣にするっ!」

「倍率超高かっただけはあるよねー」

「うん、関わり薄かったのに選ばれた私達ツイてたかもぉ」


 ちなみに名前と顔しか知らない人が二人。これはまぁわかる。

 けど一人だけ従業員じゃないし元の世界に帰れる人もいるんだけど?

 レミフィさんどうして来れたの!? 逢えたのは嬉しいけども!


 あと倍率ってなに!? 僕の家そんなに争奪戦だったの!?


「夢路さんって実は女性従業員に結構人気があるのですよ。それに加えてフェロさんやユメラさん、ユメレさんの宣伝効果もあって、候補に挙がった時にはほぼ全員が立候補したんです」

「なに宣伝効果って!?」 

「おかげですさまじい争奪戦が勃発し、多くの従業員が地に伏しました」

「すごかったよねぇ~夢路邸宿泊権争奪戦」

「そうそう、中には血反吐とかぁ、血涙流していた人もいたしー」


 おかしい。僕はそんなにイケメンでもないし優れている訳でもないのに。

 この地球だって平和ってだけで普通なのにどうしてなのだろうか。

 一体何の魅力が従業員の皆さんにそこまでさせたんだ!? とても解せない!


「仕方ないので女将権限でなじみ深い人を選び、残りの枠を適正選抜して今に至るという訳ですね」

「その女将権限でどうして女将さん自身がここにいるんですかね」

「特権です♪」

「エルプリヤさん意外と強欲だね!?」


 とはいえ僕に選択権はない。

 この家を提供してしまったからには一週間を彼女達と過ごさねばならないのだ。


 ……この状況、思った以上にハードかもしれないなぁ。

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