第36話 人生に迷った僕へ

 旅館えるぷりやより帰ってからの三日間は本当につらかった。

 ちょっとでも思うと飛んでしまいそうだから、あえて仕事の事を思い出したり。

 実際の仕事中も業務以外の事を考えないようにした。

 

 おかげで同僚から「転職先見つからないからってヤケになるなよ?」なんて言われてしまった。

 まぁ転職先が見つからなくて悔しいのは本当の事なんだけどね。

 

 ただ、そんないつもらしい励ましもこれでおしまい。

 そう……会社は遂に倒産し、僕はとうとう無職となってしまったのだ。


 頼りになる先輩や同僚ももう別の会社に転職してしまった。

 信頼していた社長とも連絡が取れなくなり、コネさえ無い。


 だから僕はそれからも就職先を求めて色々と歩き回ったものだ。

 履歴書を入れた鞄を抱え、電車を乗り継ぎ、多くの人事担当者と話して。


 そしてすべて徒労に消えた。


 今の時代はとても弱者に厳しい。

 特に、僕のような高卒で、特に目立つような経験と職歴が無い者には。

 たとえ性格が真面目でも、特筆するべき能力が無ければ必要とされないんだ。


 かといって僕に大学へと通うような資金も無い。

 正直に言って詰みである。


 でも僕は諦めず、アルバイトをこなしながら機会を待った。

 さらに余裕を作っては企業説明などにも赴いたりもした。

 資格も取ろうとがんばったし、求人募集にも目を通した。


 それでもダメ、だったんだ。

 運が徹底的に悪かったのかもしれない。


 だからか、僕はいつの間か就職活動を辞めていた。

 履歴書を作るのもタダではないし、もう作るのが無駄だって思ってしまって。

 使わず残った一枚もなんだかもったいなくて、使う気が起きなかったんだ。


 そうして気付けば、バイトにも行かなくなっていた。

 どやされるのも辛いし、かといって仕事と給料が見合わないって感じたから。


 それで今は家で引き籠っている。

 毎日毎日ダラダラと、興味も無いネット小説を読み漁り、暇を持て余して。

 ただただ無気力に、食事さえまともに摂らず、自堕落に生きるだけ。


 いや、生きているかさえわからない。

 もう死んでいるのかもしれない。

 僕の心も、人生も。


 どうしてこうなったのだろうか。

 どうしてこうなってしまったのだろうか。

 そう考える度に自暴自棄が加速する。

 破滅思考が働いて、すべてをぶち壊したくなるんだ。


 ならいっそ、僕は――


 そんな想いがよぎり、ふと出前を頼もうと思った。

 それもとびきり高いネタが並ぶ最高品質のデリバリー寿司を。

 貯蓄が残り少ない中で選んだ「最後の晩餐」だ。


「これなら、一週間は持つかな……はは」

 

 家を売ろうなんて気は起きない。

 ここは姉や妹が帰って来る場所だから。

 だから両親が残した遺産だけは手を出していないよ。


 ならあとは、その浪費を行う人間がいなくなればいいんだって。


 心残りなのは、まだあれから六ヵ月しか経っていない事か。

 一年なんてすぐだなんて思っていたけど、とてもとても長いよ。

 本当なら出前のお金であの旅館に行きたかったんだけどな。


 でも不思議と、今は名前も思い出せないんだ。

 まるであの三日で未練までもが断ち切れてしまったみたいに。


 だからごめんよ、名前も思い出せない皆。

 僕はもうすぐ、この世界からもチェックアウトします。


 そう心に想った途端、涙が零れた。

 悔しくて、拳が強く握られた。

 名前を忘れた事も、約束を守れなかった事もがあまりにも苦しくて、悲しくて。


 ――でもそんな時、呼び鈴が鳴ってしまった。


 本当、世界は容赦無いよ。

 僕に悲しむ間さえ与えてくれないんだから。


 それで僕は重い腰を上げ、玄関へと訪れ、扉を開けた。


「ちぃ~~~っす! デリバリーえるぷりやでぇっす!」


 するとなんか、扉の前にバイクが停まっていた。

 それも狭い軒先へダイレクトに乗り上げる感じで。


 おまけに言うと、配達員がとても姉さんに似ている気がする。


「夢君、久しぶりの再会で無言は無いと思うの」

「え、え……?」


 もう意味がわからない。

 そもそもバイクもやたらファンタジー風だし、なんならタイヤに目があるし。


 というか、まだ六ヵ月しか経っていないのに、しかもどうして姉さんは一人でこの世界に戻って来れているんだ!?


「いいですか夢君。どうしてって顔に書いてあるから言いますが、時代は常に動いているのです。そう、異世界でもね!」

「は、はぁ……」

「つまり、六ヵ月前と状況が変わったという事なのです。わかりますか?」

「わかり、ません」

「そうですか。じゃあ今日のお届け物をお渡ししますね」

「人の話、聞いて?」


 この強引さは紛れもなく現美姉さんだ、間違い無い。

 けどなんだろう、僕は一体何を聞かされているんだ?


 僕は一体、どういう状況に――!?


「夢路さん、お久しぶりですっ!」


 でもその狭い荷台から彼女が現れた時、僕はふと思い出したんだ。

 その名前を、美しさを、愛おしさを。


「あ、ああ……エ、エルプリヤさん!?」

「はいっ! 旅館えるぷりやより、配達されに参りましたよ、夢路さんっ!」


 紛れもなくあの人だった。

 異世界旅館にていつも笑顔で迎えてくれた、僕の憧れた人。

 それとなく別れたまま、そのまま忘れてしまっていたあの女性。


 それが今、目の前に。


「……ちょっと臭いますね」

「ごごごめんなさい、しばらくお風呂入ってなくて……」

「まぁそれでも夢路さんの匂いですから大丈夫ですっ!」

「ぼ、僕っていつもそんな臭ってたの!?」


 ああ、この感じ。とても久しぶりだ。

 心がほんわかして、ついつい笑ってしまう。

 これだけで生きててよかったって思えるくらいに……!


「そんな事より、聞いてください!」

「え?」

「実はあれからずっと色々と走り回って、ようやく夢路さんのペナルティ解除方法を見つけたんですよっ!」

「えっ……」

「その準備で今日まで時間が掛かってしまって……でもようやく、あなたに伝えられる日がやってきました」


 そんな彼女の顔はとても希望に満ち溢れている。

 あまりにも喜び過ぎて、僕の両手をギュッと掴んでしまうくらいに。


 しかも嬉しい事はそれだけじゃなかったんだ。


「夢路さん、あなたには我が旅館えるぷりやにて働く資格があります」

「なっ!?」

「あなたの旅館への愛、知識、そして順応力は間違い無く基準を満たしているんです。さらにはお客様への理解度も高く、常連のお客様からの支持も多い。そしてかの救出劇はまさしく旅館のイメージをよりよい形に導いてくれました! ならもう、これは天職としかいいようがありません!」


 こう語るエルプリヤさんはもう輝いていた。

 あまりにも嬉しいからだろうか、慈しみで溢れていて。


 そして彼女は懐から書類を一枚差し出し、笑顔を向けて言うのだ。


「ですから夢路さん、もしよろしければ旅館えるぷりやで働きませんか? 私は――私達はそれを望んでいます。あなたが私達の家族となる事を、心より」


 差し出されたのは契約書。

 僕を従業員として認め、雇う事を記した証明書類。

 それを旅館の代表である女将エルプリヤさん自らが僕へと渡されたのである。


 ……もしかしたら、僕はずっとこの機会を待っていたのかもしれない。

 旅館えるぷりやに憧れて、願ってやまなくて。

 だから無意識に他の面接を失敗した――させていた。


 それは僕がどうでもいい会社ではなく、『旅館えるぷりや』で働きたかったから。


「エルプリヤさん、僕は、僕はとても嬉しいです」

「夢路さん……」

「もうダメかと思ってた。もうこの世界に僕の居場所は無いんだって。でも、違ったんだ。僕の居場所ははあの旅館えるぷりやにもうあったから!」


 ひょっとしたら世界がそうさせていたのかもしれないね。

 僕がずっとこの機会を望んでいたから、ずっと運命を捻じ曲げたんだって。

 そうでも思わないと、数十社も落ちたなんて、それこそファンタジーなんだから。


 だったらさ、もう断るなんて選択肢はありえないじゃないか!


「だからどうか、僕に居場所へ案内してください! 僕に、あの旅館での居場所を! そのためなら僕は、誠心誠意で働きますからあっっっ!!!!!」

「……はい、喜んでっ!」

「ふふっ、落ち着くところに落ち着きましたねー」

 

 ゆえに僕は、エルプリヤさんから差し出された契約書を受け取った。

 ボロボロに汚れた服を纏っていようと構わず抱き締めた。

 それほどに嬉しくてうれしくてたまらなかったから。


「あ、それと夢路さん、履歴書をいただきたいのですが、作ってもらえますか?」

「あああそうだ、一枚あります! 使ってなかった物が! 今持ってきますね!」

「はい、待ってますっ!」


 それからというもの、無気力だった僕はもう消え去った。

 かつての活力に溢れた僕が戻り、家の中を駆け回る。

 たった一枚の希望を求め、記憶を探って飛び跳ねて。


 そして見つけては差し出すのだ。

 そのなんて事無い紙一枚で、僕の未来が大きく変わる事を信じて。




 異世界旅館えるぷりや。

 その憧れの地で、今度は僕がお客様へご奉仕するためにも。

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