第40話 『十戒吸盤』

 部屋を埋め尽くすまでに伸び切り、その空間を制圧する純白の触手は畝り続ける。城とは似つかぬ狭窄きょうさくから、逃げ場は次々と姿を消していくのだ。

「糞、キリがないなッ……‼︎」

 切り離せど、切り離せど、その姿は再生を繰り返す。生物特有の能力が行手を阻み、本体への攻撃を阻止しようと目論んでいるのだ。カルトレアの剣撃は最も容易く触手を切断するが、気付けばその姿は元の形を表している。

 ふと、左肩を掠める剛腕の影。圧制の触手は押し付けるよう、カルトレアの姿をパステル色の壁へ叩きつける。

「しまった……‼︎」

 目視できる範囲で、恐らくザリオンの構える指は十本。不規則な動きに加え、切断から再生までのタイムラグを加えた場合の行動にはあまりにも動作の数が多すぎる。『青龍せいりゅう』がどれだけの未来を示そうと、カルトレアに備わる人間の限界は情報に惑わされるだけである。

「カルトレアッ‼︎」

「私に構うな‼︎」

 一方、暴走に飲まれた影を重力により封じ込めつつ、『十戒吸盤クラーケン』の魔の手から逃れようと画策するレクト。彼は、カルトレアの呻きに一瞬の気を取られてしまう。視界の端で動きを封じられる様に、レクトの逡巡が動きを鈍らせていた。

 ザリオンの『十戒吸盤クラーケン』と、強固な城壁に板挟みにされるカルトレアは脱出の一途を目指して暗中模索にもがくが、安易に呪縛からは逃れられないようだ。押さえつけられる瞬間に掌が大きく開き、剣の姿を地に落としてしまった故である。

 軋轢あつれきの音が、カルトレアの神経を伝い聴覚に訴えかける。刃の前では容易く千切れてしまうこの畝りに、これほどまでの力が込められているとは誤算である。

「ぐ……ッ」

 攻撃の標的となっている腹筋に全神経を注ぎ、耐え凌ぐ。次第に、背後から亀裂のような音が骨を伝い響いてきた。カルトレアは、どうしようもない一手に、脱出を賭ける。

 砕け散る城壁。身体を押さえつける『十戒吸盤クラーケン』は威力を増し、勢いのまま力強く空へ押し出す。翼竜でようやく辿り着ける標高のこの部屋から、カルトレアは地表に向けて落下の一途を辿り始めた。

 

「糞ッ……残り俺だけか⁉︎」

 戦場に残る影は、落胆をこぼす。カルトレアの戦線離脱、暴走、そしてギガノス=ザリオンより操られる『十戒吸盤クラーケン』と。

 あまりにも部の悪い戦いに、舌打ちが響き渡る。せめてザリオンだけならなんとかなったかと冷や汗の先、途端、暴走に呑まれた男が淡々と動きを静止し始める。

「止まったか……?」

 好都合と睨むレクトの意識は、行動の選定せんていを始める。このままザリオンを討つか、動かなくなった眼前の対象を守りつつ戦況を伺うか、落下したカルトレアの救援に向かうか。否、どれをとっても、どこかに犠牲が伴う結末である。完全なる勝利など雲を掴むような話かと思ってはいたが、目と鼻の先になってみれば、理想にも縋りたくなってしまうのだ。


 ふと、パステルの壁に反響する一つの声が届く。狭い視界の中を、一筋の一閃が駆け巡っていた。

「『麒麟きりん』」

 雷を纏う一人の男。ザリオンの駒として扱われ、二年の時を苦渋に苛まれながら生き延びた影が、決戦の地に舞い込む。両手にカルトレアを抱え込むその姿は、レクトの中にある犠牲を伴う一手を無に還し始める。

「助かった、アストラル」

「礼言われるほど、まだ償えてねえ」

 アストラルの掌が、パステルの壁に触れる。途端、辺り一面、焼け焦げた匂いに支配された。純白の触手は須臾しゅゆに焼け焦げ、それぞれが柔らかな床に落ちてゆく。どうやら、感電を恐れたザリオンは、瞬時に身体から触手を切り離していたようだ。

「……フランクリン、か」

「名付け親にでもなったつもりか、偽善の誘拐犯」

 ギガノスに二年間身を置いていたアストラルは、ギガノスの真意を知っていたようだ。それを我々に伝えなかったのは、恐らく、彼らの痛ましい境遇に同情を示し、戦いに支障をきたすと考えたからだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る