第49話 後始末
ヤマさんと愛ちゃんにとって、悪夢のような一夜が明けた。
厳密にいえば谷中霊園は、上野署では無く下谷署管轄である。しかし今回の事件に関連しているヤマさんたちには、そのような線引きに意味がなかったようである。弁天島の鑑識仕事が終わり、やっと一息付けたタイミングで、二人は谷中霊園に行く羽目となった。
幸い谷中で死人は出なかったのであるが、心神喪失して足を折られた十八名が倒れており、救急搬送に忙殺される事となる。
霊園の中で事情聴取されていたユリアを見つけ、ヤマさんは深々とため息を付いた。
「徹夜でお仕事、お疲れ様です。そちらに倒れている方が、サクラさんで宜しいんですかねぇ? 弁天島の時と大分ご様子が変わっていますが」
「そちらこそお疲れ様です。女装していますが、彼女がサクラです。今は失神して動いていませんが、目覚めたらどうなるか予測が付きません。強度の身体拘束をお願いします」
ヤマさんは肩を竦めて、近くに立っていた制服警官に声をかける。彼は勢い良く敬礼すると、肩の無線機に向かって何かを話し始めた。サクラは失神しているようであり、身動き一つしていない。しかし、いつ動き出すかは誰にも分からなかった。
「ご指示を順守させて頂きますよ。それではお手数ですが、お話をお伺いしなければなりませんので、署までご同行願えますか?」
疲れ切った二人は、トボトボとパトカーへ向かって歩き出す。パトカーの中では、精魂尽き果てた愛ちゃんが爆睡していた。
上野署に到着した三人は取調室で、今後の件について打ち合わせを始める。愛ちゃんは自家用のノートパソコンを持ち込み、情報収集に余念がない。次々と新しい情報を掬い取って行く。
「教会の包囲網とシスターのSNS情報は、めっきり数を減らしているっす」
教会本部の包囲網は徐々に、その数を減らしていた。昼過ぎには、ほぼ消滅したと言って良い状態に落ち着く。ユリアの情報も時間と共にSNSに上がる頻度と回数が少なくなっているらしい。
やはり
これまでも愛ちゃんを中心に調査していたが、サクラの経歴は謎に包まれていた。特に電子化された個人データは、全く見つからない。恐らく全て
一九九五年に東京で生まれ、幼少期にアメリカへ渡った事までは確認できる。しかし彼女の経歴は、そこからブッツリと途切れていた。
日本で生活する場合、住居やスマホを持つためにどうしても身元証明が必要になる。全てではないにしても、その線から探れば足取りが切れる事はない。
しかしアメリカから戻って来たサクラは、ユグドラシル同盟の用意した入れ物に収まり、デジタル世界の中を自由に泳ぎ回っていたのだろう。入国データすら残っていない有様だった。
また意識を失い続けている彼女の治療を行うと同時に、CTスキャンなどを使用した高度な身体検査を行った。結果として幼少期に虐待を受けていたと見られる、古い傷跡が多数確認される。恐らくこの時の体験が人類を憎み、ユグドラシル同盟の世界樹思想を受け入れる、下地になったに違いない。
ここまでの情報整理が済んだ時、ヤマさんの携帯電話が音を立てる。彼は表示された番号を見て溜息をつく。
「あれ、どうしたんすか?」
「署長からお呼び出しですよ。用件は想像が付きますが、ヤレヤレですねぇ」
彼は電話応答しながら、取調室を後にする。
渋々彼が訪れた署長室では、偉そうな顔をしたの男たちが、胸倉を掴み合うような言い争いをしていた。ヤマさんは彼らの顔を見て、少し驚いたような表情を浮かべる。ウンザリした顔の署長はヤマさんを見つけると、チョイチョイと指を動かした。厳かな表情を浮かべて、署長に擦り寄るヤマさん。
「お前さんが取り掛かっている、今の案件な。調査中止だ」
署長は面倒臭そうに大騒ぎする彼らに視線を飛ばし、投げやりに調査終了の命令を伝えた。ヤマさんは小さく敬礼すると、一言も話さずに部屋を後にする。取調室に戻った彼は、一回り小さくなって背中を丸めていた。
「警察庁と内閣調査室、それにCIAのお歴々が署長室で大騒ぎしてましたよ。これでこの案件は、私どもでは手が出せなくなりました」
名刺交換は基より、自己紹介すらしていない。それでもヤマさんは、彼らの顔と所属を把握していたのである。恐るべき経験値と人間力だった。
「シスター、もうお帰りになって結構です。お役に立てず申し訳ありません。お疲れさまでした」
「いえ、ここまでの御尽力に感謝します」
ヤマさんに深々と頭を下げられ、ユリアは肩を竦めた。
「それにサクラを確保できたのは、大きな収穫です。しかしサクラ本人は実在しますが、ユグドラシル同盟との繋がりを、証明するデータや物が一つも見つかりませんでした。この事件の結果で同盟に、公的なダメージを与える事は難しいでしょう。こんな強敵は初めてです」
「そうですな。前回の一件で同盟ビルや日本支部が、機能していなかったのが幸いでした。サクラが自分で動かなければならなかったから、何とか彼女を見つける事ができたんでしょうしねぇ」
ヤマさんの言う通りである。分厚い組織に護られた状態のサクラを、今回の陣容で発見・拘束する事は不可能だったろう。
彼女がユリアに執着していたのも幸運だった。またユグドラシル同盟の作業員だったモヒカンや、サイバーモンスターである愛ちゃん、司法当局のいぶし銀、ヤマさんと共同作業が出来た事が大きい。
ユリアは一礼すると、上野署を後にした。気が付けばもう日が暮れている。今頃、ブルーバード探偵事務所の者たちは、結果を聞きたくてウズウズしているに違いない。溜息をついた彼女は東上野の雑居ビルへと足を向けた。
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