第30話 旧友との再会



「よぉ、久しぶりだな」


 事務所の入り口には、ソフトモヒカンの男が立っていた。室内を珍しそうにキョロキョロと見渡し、礼から来客用のソファーを勧められる。しかしそこにはユリアが座っていた為、彼は肩を竦めて、その場に立ち尽くした。


「モヒカンさん!」


 マロウの声に、苦み走った微笑を浮かべるモヒカン。恐らく彼は愛らしい吸血鬼に、特別な感情を抱いているのだろう。


「嬢ちゃん。元気だったかい?」


 そろそろ彼の誤解を解かなければと、シスターは口を開こうとするが、礼は小さく首を横に振った。そこで小さく頷いた後、別の質問をすることにした。

「君はユグドラシル同盟を脱退して、逃亡中の筈だが? どうしてここに来たのかな」

 モヒカンは肩を竦めて、礼の方に首を倒した。

「何とか組織は抜け出せたが、一般社会で堅気として生きて行くのが難しかった。部屋を借りるにしても、正規の仕事をするにしても保証人すら居なかったからな」


 合法な日雇い労働をしながら、簡易宿で夜露を凌ぐ生活。このままではいけないと改善策を考えている時に街で、モヒカンは礼と出くわした。慌てて逃げようとしたが、人狼から逃げ切れる訳もない。さり気なく腕を掴まれガッチリと、関節を極められ手近な立ち呑み屋に連行された。

 礼は赤星ラベルの瓶ビールを二本、カウンターに置き黙って吞み始めた。どうやって逃げだそうか、周りを見渡していたモヒカンのグラスに、ビールを注ぐ。


「いや、旦那。……俺、今そんなに手持がないから」

「見れば分かる。……それに悪さをしていない事も、匂いで分かる」

「へ? 人間離れした御仁だとは思ってましたが、そんな事までお分かりで」

 気がつくとカウンターにはもつ煮やホルモン焼き、鰯のなめろうなどが並び始めた。久しぶりのご馳走に、生唾を飲み込むモヒカン。しかし警戒心から箸を伸ばせない。

「今日は俺の奢りだ。どうやらお前に、相当な迷惑をかけたようだしな」


「へ?」


「あの仕事を続けていれば、こんな窮状に落ちなかったんだろう? 今のお前は金に困っている」

 しばらくして、モヒカンはコップに手を伸ばすと、ビールを一息で呑み干した。

「……旦那。俺の愚痴を聞いて貰えるかな」

 彼はブツ切りの言葉で、現状の気持ちを吐き出し始めた。汚れ仕事は辞めていたが、世界樹思想から離れることは出来なかったこと。薄暗い世界から距離を置き、上野のような下町を眺めると、悪い人間だけでは無いと感じ始めたこと。


 だから増え過ぎた人間を間引くのでは無く、減り過ぎた自然を増やすような仕事に就く事を考えていること。もつ煮を突きながら人狼は、黙って彼の近況を聞き続けるのだった。



「……それで旦那から保証人を紹介して貰って、当座の現金やらを用立てて貰ったって訳さ。今は有機野菜をインターネット販売するIT関連の正社員になって、安アパートで暮らしている。堅気になる為の第一歩は踏み出せたかな」

 将来的には農業や林業のバックアップをする、事業を興すという夢が出来た。モヒカンは苦笑いをしながら、肩を竦めた。

「えー! 礼、そんな事してたの。初めて聞くんだけど」

「……別にお前に話す必要も無いだろう」

 恐らく照れ隠しなのだろう。人狼はソッポを向いて、マロウに珈琲を要求した。全員に珈琲が行き渡ると、デスクに礼、ソファーにユリア、ソファー左側の空間にマロウ、右側にモヒカンが陣取った。


「ユグドラシル同盟のサイバーモンスターの炙り出しは、考えている以上に困難を極める作業になる。そこで再度作業内容を確認しておきたいのだが……」

「あ、それで俺、旦那に呼ばれたんだ」

 モヒカンは小さく右手を上げた。


「シスターがサイバーモンスターと言っている相手は、『Prunus × yedoensis Matsumura』という称号ウラマーを持っている奴だ」


「サイバーモンスターの正体は、バチカン市国の総力と日本警察の力を以てしても、分からなかった案件だぞ! どうしてお前が、それを知っているんだ」

 いきなりユリアはソファーから立ち上がり、ガクガクとモヒカンの肩を揺さぶった。

「俺、同盟の非合法職員だったろ。汚れ仕事が無い時は、IT関連の作業もしていたんだよ」

 彼が作成した足の付きづらい使い捨てアカウントを、サイバーモンスターは使用して非合法な作業を行なっていたのだ。そのやり取りの際に、件の人物とモヒカンに接点が出来る。彼の説明は続く。


「奴は同盟の幹部だが、姿を見た者は俺が知る限り一人もいない。男か女か若いんだか年を取っているんだかも分からない。リモートワークで仕事が完結しちまうから、顔を合わせる必要が無いんだ」


「ねぇ『Prunus × yedoensis Matsumura』って何?」

 突然割り込んで来たマロウの質問に、ユリアは淡々と返答する。

「桜の一品種の学名だ。確か品種名は『ソメイヨシノ』だったな」

「流石、シスター。何でも良く知っているねぇ」

 吸血鬼は口笛を吹いた。しかし彼女は、それどころではない。小首を倒すとモヒカンの説明を続けさせた。


「その『Prunus × yedoensis Matsumura』  ……長いな。サクラで良いか。上層部ならサクラの顔を見た事がある奴や、素性を知っている奴もいるだろう。だが前回の事件で居場所あのビルを失っちまったから、お偉いさん達は、海外にフケちまっている。その線から探るのは難しいだろうな」

 それでなくとも、ユグドラシル同盟は秘密の多い組織である。末端から始まって系統的に全ての構成員を知る人物は、上層部にも居ないかもしれない。全ては教義である世界樹思想を遂行するために、存在している組織なのだ。


「減り過ぎた自然を増やし、増えすぎた人間を間引く。だっけ?」

 マロウが小首を傾げながら口を開く。そうしていると、本物の美少女の様に見えるから質が悪い。事実モヒカンは、未だに女性だと勘違いしているのだ。哀れな彼は吸血鬼の可愛らしい仕草に、脂下がる。

「その通りだ。そしてサクラは人間を間引くのに、大層効率的な手段を持っている」


 それがSNSなどを通じて行われる自殺や、殺人誘導なのだと彼は話す。ギャングたちの大規模構想や、小国同士の紛争なども時間をかければ可能であるらしい。

「ただし文化や言葉のニュアンスの違いで、全ての国でサクラが作業できるわけではない。奴の担当はアメリカ・日本限定の筈だ」



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