シスター・ユリアの憂鬱

@Teturo

第一章 Night and Day(昼も夜も)

第1話 暗闇は音に溢れている


 暗闇は音に溢れている。


 太陽が輝く明るい世界では、気にも留めなかった草原を渡る風の音。波に洗われる砂の音に、虫達の鳴き声。何もなく、どんなに静かな世界に思えても、この世は様々な音に溢れている。


 我々俗世の人間が生活する場所では、これにあらゆる生活音が加わる。人いきれに車の騒音、酔っ払いの怒鳴り声などだ。

 島国日本。人で溢れている東京の更に猥雑な繁華街では、完全な闇と静寂は冷蔵庫の中くらいにしか存在しない。


 グワシャーン!


 上野のアメヤ横丁にある、呑み屋が集まる雑居ビル。中に入っているスナックの窓ガラスが、派手な音をたてて砕け散った。窓からは今時珍しい、パンチパーマに白いスーツという、架空の世界でしか存在しないようなヤクザ者が投げ出される。

 店内ではグラスの砕ける音、テーブルが倒れるような音、女達の悲鳴が響き渡った。その音も五分としないうちに消えて行く。毎日のように発生する厄介ごとに慣れた街の住人は、誰もスナックには近づかない。

 警官より先に到着したケツ持ちの、半グレ集団に所属する青年が仕方なさそうに何事が起こったのか、調べるために店の前に立った。


 ギギッ


 白い木製の扉が開き、中から冴えない三十代前半に見える勤め人が現れた。七三分けの髪が少し乱れている。かけているメタルフレームの眼鏡の端が、歪に曲がっていた。吊るしの紺色スーツは、あちこちに鉤裂きが出来、誰の物だかわからないが鮮血で赤く染まっている。

 半グレが外から店内を覗き込むと、数人がピクリとも動かず倒れているのが見えた。


「おい、オッサン。中で何があったんだよ」

 碌な予感がしない半グレがイヤイヤ、冴えない勤め人に声をかける。その時、店内から叫び声が聞こえた。十代らしき年代のチンピラが、安物の改造拳銃を構えている。

「こ、この化け物!」


 パン、パァン。


 鉤裂きのスーツの背中に、更に新しく二つの穴が空いた。五メートル離れた標的にハンドガンを命中されるとは、チンピラにしては良い腕だ。撃たれた中年男は着弾時に、小さく痙攣したが何事も無かったかのように振り返る。


 その顔には、穏やかな微笑が浮かんでいた。


「おい! お前、今、銃で撃たれてんだろうが」

 半グレが男の肩に手をかける。


 ブンッ!


 中年男が無造作に腕を振った。裏拳を首筋に浴びた半グレが、ワイヤーアクションを行う、ヤラレ役さながらに宙を舞う。店の奥では震える手で、拳銃を抱えたチンピラが座り込んでいた。

 どうした訳か、彼の左足はありえない方向に曲がっている。その痛みより目の前の恐怖の方が、優っていたのだろう。チンピラは甲高い悲鳴を上げて、引き金を弾く。


 中年男の腹、胸部に穴を開け、銃の全弾を撃ち尽くしても、彼は恐怖のために引き金を弾き続けた。カチカチという、虚しい音だけが鳴り続ける。

 全身穴だらけの冴えない勤め人は、拳銃ごと彼の手を掴んだ。


 ゾブリ


 中年男は無造作に、チンピラの腕の肉を喰い千切った。耳を塞ぎたくなるような、絶望の悲鳴。



 不夜城と呼ばれる東京の、暗闇は音に溢れている。

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