追想・転校生

 一歩、教室に入る。


 教卓の前で築山と白谷が丸めたB紙でチャンバラをやっている。そのB紙は今日の発表で使うやつで、しかも二人は同じ班だからどちらかの使っているものは全く別の班の紙だと思うんだが、…いいのかあれは。

 その横で迷惑そうにしつつも女子たちは、昨日のクイズ番組のことを話していた。それは、俺も見た。でもあんまり面白いとは思えなかった。


「おはよう」


 一言声を掛けると皆が振り向く。

 まず白谷が、勝ち誇った態度でB紙を持っていない左手を挙げ、「よう」と言った。

 次に築山が、避難のために潜っていた教卓から這い出て、「おそいなあずま」と言い、同時に白谷に仕返しの一発を食らわせた。

 女子の中では大槻が「おはよう」と返してくれて、三井が続いて「はよー」と男子かと思うような適当な挨拶をし、残りの女子は「なんだ東か」とでもいうかのように姿勢を元に戻す。


 いつも通りの風景だ。だけど、痛い。


 俺は白谷と築山に近寄ると、「お前、それ今日使うやつだろ」と言って取り上げる。「いいじゃーん」「ノリ悪ぃなー」と二人は口にしたが、白谷の分も取り上げて脇のロッカーの上に乗せる。片方俺の班のやつだった。こいつら。


「…まぁいいや。それよりさ、知ってるか?」

「何?」

「あれ、知らないんだ。転校生」

「えっ、」


 転校生、という言葉にどきっとしたが、どうやら俺のことではないらしい。…当たり前か。話の繋がりがおかしい。


「今日来るらしいぜ?」

「女子だって」

「今日って…金曜日なのに?」

「変なときにくるよなー。でも、ほら。机多いし」


 白谷が指差した先には、確かに、あからさまに新しい机が増えていた。よく見ればクラスのやつら皆、時たまちらちらとその机を見て気にしている。

 転校生が教室に入るのはST時だって決まってるのだと誰もがわかっているだろうに。それでも気になるのか。


「転校生…」

「な、可愛いかな?」


 にやけた築山がそう言うと、横にたむろしてる女子が「やだー」とか「これだから男子は」とか喚いている。

 その言葉に、築山が「なんだよ、転校して来るのが男子だったらお前らだって思うくせに!」と言い返していた。

 どっちにしても、顔がいいほうがいいって思うのはよくある人間の心理だろ。汚い心理だけど。

 俺はどうだろうか。


 チャイムの音が鳴って、担任が入ってくる。今ちらっと、教室の外に女子生徒が見えた。分かりやすいな。

 騒ぎ出す教室に「お前ら席につけー」と、どことなく楽しげに担任は指示した。


「もう知ってる人もいると思うが、まず挨拶な。起立」


 騒がしさは収まらないまま、がたがたと皆席を立ち簡単に挨拶と礼を済ませる。

 男子は思いっきり廊下側を眺めていて、女子は担任と廊下側を三対一くらいの割合で交互に見ていて、俺はなんとなく理不尽さを感じていた。


「大野。おいで」


 普段は開けっ放しの癖に今日だけ閉めてあった戸を静かに開き、入ってきたのはそれなりの容姿とそれなりの身なりをした小柄な女子だった。

 小さく「おお、」という声があがり、彼女は照れたように笑って、担任は「恥ずかしいからやめなさい」と嗜める。

 ようやく静寂、といえるだけの空気になった教室に、大野と呼ばれた転校生は自主的に自己紹介をした。


「大野アカリです。熱海高校から来ました。仲良くしてください」


 多少高めの声で、はにかんだ笑みを浮かべ最後にお辞儀。うるさい女子、というタイプではなさそうだ。

 拍手が起こってその中で担任が席を示し、彼女はこの教室の中で一番新しい席へ向かう。座ったところでやっと拍手が収まった。


「じゃあお前ら、必要以上に大野に構うなよ。転校したばっかで緊張してるんだからな」


 その後は普通のSTだった。五分もせずにすべて済むと、「東はあとで廊下」と告げて終わりの挨拶。「何したんだよお前」とか軽い笑い声が聞こえたが、俺は何もしてない。それよりもB紙で遊んでいた白谷と築山のが問題だろ?

 担任と俺が廊下に出て行くと、あっという間に転校生の席は女子に囲まれていた。群れるのが好きだな、全く。



 教室のすぐ横じゃさすがに騒がしくて話せないので、俺と担任は少し離れた流しのところまで移動した。


「引越しの方ははどうだ?」

「…えーと、もう引越しはほとんど終わってて、残ってるのは生活に必要なものだけ…」

「そっか…。…悪いな、こんなときなのに、転校生騒ぎなんて」

「いや、仕方ないでしょ? 大野…さん、が悪いわけじゃないし」


 俺は、今日で転校する。

 親の急な仕事の都合、なんてよくある理由だ。夏休みの終わりに突然東京の方へ行くことになって、夏休みを境に、という王道な転校の仕方をしそこねた。


「先生」

「あ、わかってるわかってる。月曜日まで他のヤツには内緒、だろ? 他の先生方にも伝えてあるから、安心しろ」

「…どうも」


 最初先生はどうしてだの何だのと聞いてきたが、理由は特に、ない。

 一つあるとすれば、“かっこ悪いから”だろうか。まだ一年だし、三ヶ月強過ごしただけのクラスメイトだ。少し悲しい、くらい思ってくれるかもしれないが、そこまで思い入れをもってくれてる人なんてそんないないだろう。

 本当に無機質に無感動に、さらっと済ませたいと思っている。というか、それでいいと俺は思う。



 授業は普通だった。教科の先生が教室に入ってくるときにちらっと俺を見、開始時の挨拶の後に転校生転校生とクラスメイトが騒ぎ立ててそんな中困ったように大野が挨拶をし、挙手発言の機会に先生が腕試しのつもりで彼女に必ず当て、記念のつもりか俺にも必ず当て、授業後にまたちらっと俺を見て大野に軽い挨拶をして、というパターンが組み込まれていたのが少し特殊だっただけで、あとは至って普通。

 学校ってそんなものだ。放り込まれて困るのは転校生だけで、あとは有無を言わさずいつもどおりぐるぐる回されて行く日常の場。

 だから、放り出されるからって少し寂しい思いをするのも俺一人でいい。



 四時間目終了の鐘が鳴り、「腹減った」「お腹すいた」という男子女子の声が交差する。

 静かに教科書を仕舞う俺のところに白谷と築山がやって来る。


「購買行こうぜ」

「あ、いい。俺弁当だから」

「えー、なんだよー」


 金欠なんだよ、と適当に理由をつける。本当は、母親が「最後の日だから」なんて意気込んで作った弁当だ。そういうのもいらないと思ったんだけど、でもわざわざ購買へ行くのも面倒だから丁度よかったと今は思っている。


 一人で弁当を食べていると、数分して二人が帰ってきた。


「もう食べてんのかよー」

「いいだろ」

「お前今日素っ気無いよな」


 素っ気無い。

 …そうか。


「別に? …ごちそーさま」

「え、もう食ったの?」

「俺ジュース飲んでくる」


「なんだよ、ついでに来ればよかったじゃん」と後ろから聞こえたが、無視した。




 自販機の前はラッシュが過ぎた直後で、誰もいなかった。

 そっちは都合がよかったけど、その分売り切れも多い。いつものずんだがない。

 無言で何を飲もうか考えていると、誰かが昇降口から出てくるのが見えた。だからといって別にそれが誰か注意して見なかったが、斜め後ろで立ち止まったそいつが「東…くん…?」と俺の名前を確認するように呼んだ声が聞こえたので、振り返る。


「あ…、えっと…大野さん?」

「うん。東君でよかった、かな?」

「ああ、うん。…ジュース飲むの?」


 大野は少しの間を置いて、うん、と丁寧に頷いた。「だったら先どうぞ」と一歩下がると、「ありがとう」と笑いかけてきた。とっつきやすいイメージ。

 彼女はあまり悩まずに六十円入れると、いちごオレのボタンを押した。紙カップジュースの作り始めさえ眺めていたが、すぐにくるりとこちらを見て彼女は言う。


「東くんは、何にする?」

「いや…うーん、」


 聞き方に少し違和感を覚えたけど、それはあまり気にせずに自販機のメニューを眺める。いちごオレか。たまにはいいかもしれない。


「俺もいちごオレにしようかな」

「そう?」


 出来上がったジュースを自販機から取り出した彼女は、再びポケットから六十円取り出し小銭投入口に放り込む。


「え、」


 止める間もなくいちごオレのボタンをもう一度押して、大野は自分が持っていたコップを「はい」と渡してきた。


「おごり。」

「え……え、いいよ、」


 思わず返そうとしたけど、大野はそれをするりと避けてもう一つのコップを自販機から取り出す。


「いいの。東君、元気ないでしょ?」

「…、そう…?」

「結構分かるよ、周りの人は。気持ちが沈んでるときは、人の厚意に甘えていいと思う」


 なんていうか、びっくりした。会ってまもなくて、ていうか数秒前まで話してもなかったのに。

 俺はどうしたらいいのかよくわからなくて、「でも、なんで大野さんが?」と結構失礼な事を口に出してしまった。

 けれど大野は笑って言った。


「人と人は、支えあって生きていくものなんだよ」




 午後の授業も午前の授業と同じように過ぎていった。ただ違ったのは、俺が大野を意識していることだった。

 掃除のときによく分かったんだけど、大野はすごく気が利く。誰に対しても平等に気が利く。し、人当たりもいい。


 俺は、あんなふうに次の学校で溶け込めるんだろうか。




 放課後。担任に言われて、職員室に世話になった先生に挨拶に行って教室に帰ってくると、誰もいないとばかり思っていた教室に一人だけ、生徒がいた。


「大野?」

「あ、東君。」


 背面黒板の予定表の横に落書きしていたのは、大野だった。転校早々良い度胸だなと思って、少し笑えてくる。


「なにしてるの」

「お絵かき。好きなんだ、落書きするの」

「前の高校ではよかったの?」

「…こっちでは駄目なの?」


 知らなかったのか、と思って答えられないでいると、彼女は急いで落書きを消し始めた。

 雑に消して黒板消しをぱたん!と元の位置に戻すと、くるりと振り返って何事もなかったかのように…見せる様に笑った。無論、何かあったのだと分かる笑い方だ。

 つられて俺も笑う。


「ごめんなさい、教えてくれてありがとう」

「いや? いいよ別に」

「東君、部活は?」

「……さぼり、かな」


 視線を外して笑みを貼り付けて言うと、なんとなく困った感じの空気が伝わってきた。

 間があって、話をどう繋げようか迷ってるんだと気づいて、俺はなんとなく話し出した。


「俺さ、実は転校するんだよね」

「…! …え、」

「月曜日からは別の学校。だから、これでもう会えない、かな。大野とは」


 また沈黙。それから、「あのね」と。


「本当は、知ってた」

「え?」

「先生が、今日一日だけだから…何も知らないまま別れるのは悲しいから、教えとくって」

「…そっか」


 先生のその配慮には、嬉しさよりも納得がいかない気持ちが生まれた。こういう取っ掛かりを作ってほしくなかったんだ。


「東君」

「何?」

「この学校、好き?」

「……それなりに」

「じゃあ、どうして無理して突き放そうとするの?」


 その言葉に、視線を上げる。真面目な顔をした大野と目が合った。


「好きなら、最後の最後まで、たくさん、この学校にいようって思っていいんだよ。過ごすはずだったあとの七ヶ月分、クラスの人たちに構ってもらっていいんだよ。それで悲しくなっちゃってもきっと大切な思い出になるのに、東君は何にもないみたいに最後の日を過ごして、クラスの人を大した人たちじゃなかったって思い込んで、無理しようとしてる。それってもっと悲しくないの? 心がもやもやしちゃわないの?」

「だって…、迷惑だろ? 実際、大して長い間過ごしてない」

「…それでいいの?」


 それでいいのか?

 …だって、そんなの最初から決まってるだろ。


「いいよ…別に」


 明らかに曇った大野の表情が瞳に写って、なんか俺はその場にいられなくなった。鞄を肩に掛けなおして、教室から出て行く。


「じゃあな、大野…心配してくれてありがとう」

「……」


 返事はしてくれなかった。





 日曜日。もう荷物は全部新しい家で、本来なら向こうにいるべきなんだけど、わがまま言って俺は元の家でごろごろしてた。

 大野の言葉が、あんまり離れなかったから。

 そうしてたら携帯にメールが入った。白谷から。


『遊ぼうぜ! 日和公園集合!』


 日和公園。あそこか。でかい遊具がある結構広いところ。

 断ろうかと思ったけど、追ってもう一通。


『時間厳守! 守らないと末代まで呪う!』


 ガキか。


「仕方ねーやつ…」


 ——クラスの人を大した人たちじゃなかったって思い込んで、無理しようとしてる。


「“それってもっと悲しくないの?”…か、」


 携帯を閉じて、体を起こす。

 時間厳守って、時間いつだよ。




「おせーぞ東!」


 歩いていくと、白谷がまずそう叫んだ。…て、


「え…?」

「黙って転校とか水臭いよ!」


 そう言ったのは大槻だった。


「ほんとほんと。“俺たちベストフレンドだー!”って合宿で叫ばせたのどこのどいつだよ」

 三井。


「薄情者ー! なんで教えてくれなかったんだよー」

 築山。


「みん…な、」


 公園には、クラスの皆が集まっていた。

 白谷が駆け寄ってくる。


「なんで、」

「馬っ鹿! 俺たちそんな浅い仲じゃねーだろ!?」

「大縄で一位とったでしょ」

「球技大会ですごく応援盛り上げてくれたじゃん」

「毎日授業楽しかったでしょ?」

「さぼったりしてね。」


 アハハハ、と笑いが起こる。

 馬鹿って…馬鹿って、お前らじゃないのか?


 担任までいた。「ごめんなー、なんか何処からか漏れたみたいで」と全然悪びれる様子なく言う。


 驚きで、なんか喜ぶとかできなくてぽかんとしている俺の肩をクラスのやつらがばんばん叩く。「何処に引っ越すの」「何処に転校するの」と質問攻めに遭っているけど、何一つ答えられない。

 ふと視界に入った、クラスメイトの向こうにいる大野に駆け寄る。

 やっと、一言、


「…大野、」

「……大したことない人たちなんかじゃなかったでしょ?」

「……、」


 何を言ったらいいかわからない。

 なんで、みんな、どうして、

 嬉しいのか腹立つのかよくわかんなかった。ただ、胸がいっぱいだった。


「はい、整列!」


 大槻が声を上げる。皆は俺から離れて大槻の立っている場所に並んだ。


「うちら離れても“ベストフレンド”でしょ! じゃあえっと…ね、聞いてください!」


 無茶苦茶な仕切りにそれぞれ笑いながら、大槻の簡単な指揮にあわせて歌いだした。アンジェラ・アキの、「手紙」。

 音程外れてるし、タイミングばらばらだし、歌詞も間違えてて、

 だけど、すごくあったかいと思った。


「これからも、たまに学校来なよ。十年経ってもまた会おう? 短い間だったけどさ、時間だけで最高の友達なんて決まらないよ」

「…、全く、女子はうまいよな、そういうの」

「なにそれー、もっと仲良くなる気ないの?」

「体育大会と文化祭は毎年くること!」

「夏休みは遊ぼうぜ」

「冬休みもな!」

「無理…いうなよ」

「無理じゃないだろ!」


「…ありがとう、」


 ———知ってた、はずだった。


 皆がこんなに温かいやつらで、簡単に縁切れるようなやつらじゃないってことは、知ってたはずだった。

 俺は大野が言うとおり、悲しくなるのが嫌だったんだと思う。泣いたりとかしたくなかったんだと思う。


 でも違った。俺が思っていた「別れ」を、みんなはこれからの「繋がり」にしてくれた。

 もし何もなくこいつらに見送られても、俺はそれに気付けなかったような気がする。

 気付くことができたのは———



「大野」


 くるりと彼女が振り返った。俺は何を言おうか少し迷ってから、そういえばと疑問に思っていたことを口にする。


「情報源はお前?」

「ううん、私じゃないよ。なんか築山くんが職員室の先生の会話、たまたま聞いちゃったらしくて。…でも、よかったでしょ?」


 にこ、と笑う。よかった。そうだな、よかった。

 俺も笑い返した。


「…ありがとな。なんか、お前のおかげで後悔せずに済んだ気がする」

「そっか。……金曜日に転入してきてよかった」


 本当に俺もそう思う。

 大野がいなかったら、皆の思いも全部踏みにじって、ずるずるとそのことを引きずっていった気がする。


「頑張るよ、次の高校でも」

「うん。優しい人は、何処にでもいるからね。だから、忘れないで」


 忘れない。躓いても、苦しい事があっても。

 ここに皆がいることを。

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