7章:フルダイブ型VRの悲劇
第52話 再出発へ
7月21日 A.M.7:00
オーガニック株式会社の一件から丸8日。
平野紫水、黒瀬レンの両者は酷い外傷や火災による中毒症状などは見られず、都内病院を無事退院することに決まった。
「やっと退院だ~! 早く帰りたいな~!」
レンは他の大勢の患者さんがいる広めの待合室で小学生のように威勢のいい声をあげた。
「この精神科での簡単な受答えで最後だ。それとここであんまり大きい声出すなよ。俺が怒られる&恥ずかしい」
「は~い……。で、なんで精神科? 私はこの通り正常だぞ?」
「病院の決まりなんだろ。一応あの時俺ら気を失って倒れたんだから」
レンはあの時の細かな状況が瞬時に頭に浮かび上がってきたので、ボッと頬を赤く染めて、大人しくその場で綺麗に座り直した。
紫水はその様子を見て、自分も気まずくなりそっぽを向いた。
――すると
紫水は見覚えのある人物を目にした。
今まさに左の診察室に入っていった女性。長い髪を後ろで一つに結んだ清潔感のある女性。視たのは一瞬で、かなり疲れたような顔を浮かべていたが、あの上下黒の地味な服装は前にも見たことがあったので間違いなかった。あれは自分の通う鶴ケ丘第一高校1年4組担当教員である
「知り合い?」
紫水の些細な視線の動きに察したのかレンが隣から囁くようにそう尋ねた。
「担任の藤沢先生。何でこんな所に……?」
「先生はストレス抱える職業ってことだね~。紫水、もしや宿題出してない~?」
「ちゃんと出してるわ! ……先生は入学式のときに、田舎の実家で農家を継ぐのを強引に断って役所に入ったけど、身に合わずにすぐに辞めて小学校の先生に、そしてなんやかんやあって今は高校の先生になったって言ってた。ストレスは普通の先生より多そうだ。ほら、呼ばれた。俺たちの診察の番だ」
診察が自分たちの番なことを示すブザー音を聞いた紫水はその会話を打ち切り、2人は藤沢先生が入った隣の診察室へと向かった。
「では、これで正真正銘の退院となります」
「ありがとうございます」
「よしっ!」
待合室に戻ると、藤沢先生の姿は見当たらなかった。紫水とレンよりも早く診察が終わったのか、それともまだ隣で診察中なのか。紫水はそれらを考える隙は一切なかった。レンは一直線に出入口へと走って行ってしまい、それを追いかけた。
「そんな急ぐなよレン!」
「タクシーで帰ろうか。妹ちゃんが家で1人心配だからね」
「そうだな」
オーガニック株式会社での連続殺人事件。それを上回る衝撃だったのは八咫烏幹部との遭遇であった。レンは外が今どうなっているのかが自分の身体以上に心配だったようだ。それもそのはず、この病院に運ばれてきたレンや紫水、その他大勢の負傷者に対しては事件の詳細についてなどの情報の閲覧を全て禁止されていたからだ。
「タクシー出して!」
「はいよ」
紫水は運転席に入り、ナビの目的地を平野家の住所に設定し、オートドライブモードのボタンを押した。
「ニュース……今見るのか?」
「何人の負傷者が出たのかを知りたいんだ……。
レンは助手席でナビを指で操作した。出したのは一週間前の事件翌日の記事。
それをまじまじと顔を近づけて見ていたレンはしばらくして、目を強く閉じた。
「紫水は見なくてもいいよ……」
「いや、見るに決まってるだろ」
オーガニック株式会社火災事故。そのタイトルの下にははっきりと事件の被害者数が克明に記されていた。
【死者:3人 負傷者:126人】
負傷者の中には今も苦しんでいる者や後遺症が残る者も少なからずいる。これには紫水も悲しみと悔しげな表情を酷く晒した。
「よく言われてるよね。某有名漫画でも読者がさ、探偵が行く所で事件は必ず起こるって。その探偵が疫病神みたいな死神とかって。そんなわけないって頭では分かってるけどどうもね……」
「…………」
「八咫烏にもついに顔を晒しちゃったし……この先その」
「俺は逃げるつもりはないぞ……。困ってる人がいたら迷わず助けるし……目の前で事件が起きたらそれを解決するために全力を尽くす……。そして今みたいな想いをお前1人に全部背負わせるつもりもない。乗り掛かった舟ってヤツだ」
レンは右眼に包帯を丁寧に巻き、一呼吸置いてから紫水の方を向いた。
「死ぬかもしれない……。自分だけ助かるかもしれない……。最悪、何も残らないかもしれない……。その覚悟があるって今言ったのかい?」
「ああ。あの時、手を伸ばしとけば助けられたかもしれないって1人病室でもがくなら死んだ方がましだ。自分の正義に後悔だけは乗せたくないからな」
紫水はナビに表示させていた記事を指でサッと消し去った。
決して忘れるわけじゃない。
レンとまた前に進むために覚悟を決めたのだ。
「これはボクの昔の友達が言ってた言葉なんだけどね、『起きてしまった悲劇を受け入れなきゃ、その次は誰も救えない。足が止まって、大事な何かが折れちまう』って。そうやって、私たちはどんどん強くなっていくんだって」
「へぇ~良い言葉だな。本当に昔に友達がいたのかどうかはさておき」
「いたわ!!」
「ホントか? ソイツ、女の子?」
「いや、男……だけど」
「あぁ、噓寄りの冗談ってヤツね、把握」
「ホントだってば!!」
2人は間もなくして平野家に帰還した。
ゆっくりと玄関のドアを開けるとすぐにリビングからミユが顔を出した。
「ただいまミユ」
「たっだいま~!」
ミユは紫水の胸にそのまま飛びつき、小さく「おかえり」と呟いた。
「私には抱き着かないの?」
「うっさい! ……おかえり」
いつもの日常に戻れた瞬間だった。
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