山姥の耳毛
土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり)
山姥の耳毛
この部屋の前の住人の同僚の話を思い出す。
「佐藤さんは変な音が聞こえるとか、夜中に黒いモノが蠢くとか、いくら掃除しても部屋の中に黒くてやたら長い髪の毛がどこからともなく入ってきて嫌になるとかぼやいていました」
「佐藤さんの髪の毛は長かったですか?」
「いいえ、佐藤さんはスキンヘッドでした」
「最後にもう一つ。佐藤さんって耳とかから毛が伸びていませんでしたか?」
「そうそう、最近妙なところから毛が伸びてきて鬱陶しいって言ってました」
私はiPhoneで好きな曲を聴きながらアパートの一階、北側の角部屋のドアを開ける。陽当たりは最悪。壁が結露して濡れるほど湿度が高く不快。ここが今夜私の寝泊まりする部屋だ。
私は腰の高さまであるケージの中の白いウサギに餌をやる。男を連れ込んで大声出されるよりも、ウサギは鳴かないからと静かだと大家は説得した。
今日はメイクもしていない。夕食もシャワーも職場で済ませてある。私は専用の服を着込み、部屋に持ち込んだビデオカメラをセットして録画をスタートする。私の予想では今夜、アレが現れるはず。
私は耳栓をして専用の寝袋で睡眠をとる。
翌朝私はラテックスの手袋を着用して、ウサギを捕まえて手際よく麻酔で眠らせる。ウサギの耳の穴からは黒く長い毛がもさもさ生えている。ウサギは眠らせたまま専用のキャリーケースに入れる。
ビデオを再生すると押し入れから這い出てきた黒いアメーバのようなものが眠っていたウサギの耳の中に入っていくのが映っていた。
その日、私は大家と面談した。
「あの押し入れの中から黒いモノが出てきます。あそこにはナニがあったんです?」
大家が渋々語るには以前その部屋で住人が殺されて長い髪の毛が絡まった死体が押し入れで発見されたとのこと。
「あの部屋には特殊な粘菌が棲みついています。ムラサキホコリ属と思われます。アメーバのように移動してより快適なところで菌糸を張り巡らせます。粘菌でありながら珍しいのは髪の毛のような根状菌糸束、いわゆるヤマンバノカミノケを形成することです。あの部屋に現れる髪の毛の正体はこれです」
「なるほど、菌類。キノコの類か」
「もう一つの特徴は哺乳動物の外耳道を好み、そこに寄生することです。菌糸が外耳道から脳にまで張り巡らされると、脳障害が起きて死に至ります。現在、有効な治療法はありません」
「ひっ!寄生!」
悲鳴をあげた大家の耳から黒い耳毛の束が生えていた。
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