Nature(ネイチャー)
「指南」
「この二年間のあいだに【医療教会】の治療プログラムに参加させられた人間は三万人を超えている。また、いつどこで誰の身に起きてもおかしくない状況だ」
――郊外にある一軒家。
一階の居間で川端はタブレットを叩くと勇に一人の女性の画像を見せる。
「この顔、おまえさんも見覚えがあるだろ?」
「…これ、進行役のシスターか?」
写し出されていたのはプラカードを持つ褐色の肌の女性。
ラフな服装で声を上げる様子からみても、あの教会で見たような無機質な印象の姿とはずいぶん違って見えた。
「現地の保安局員の流れ弾に当たる三十分前の写真だ。彼女らは人権を主張する抗議デモを行なっていたが、大部分が国に拘束され、抵抗できないまま亡くなった人間も大勢いた。二週間前の話だよ」
「でも、俺が彼女を見たのは今日の話だぞ…おかしいだろ?」
覇気のない声でソファに腰かける勇に「ここだけの話だが」と続ける川端。
「この数年のあいだに女性の遺体が消失する事件が頻発している。戦争の有無、国内外を問わず、遺体だけが消えることから目的意識を持った窃盗集団の線も濃いが、詳しいことは調査中だ」
「死んだと見せかけて、
「…だったら、俺らが拉致された意味がわからんだろ?」と川端は指摘する。
「そも、治療プログラムの場所もはっきりせず、集められる人間も目立った共通項が見られない。今までの報告だと学生に主婦に、サラリーマン。公務員に自営業…名前は言えないが各国の要人も何人か体験していたという話もあるくらいだ」
「でも、向こうの話だと俺らにも理由があると…」
言いよどむ勇に「まあ…あくまで憶測ではあるが。俺の意見では」と、言葉を川端は続けようとするも、勇の顔を見て首を振る。
「いや、話はここまでにしよう。疲れただろう。今日起きたことは俺がレポートに書いて上の連中に送るから、お前さんはそこの袋だけ片付けてくれれば良い」
川端はそう言うと机の端に置かれたドラッグストアのレジ袋に目をやる。
「一階の端が客間になっている。布団は押し入れにあるし、風呂もさっき沸いたところだ…今日のところは、ゆっくり休め」
「わかったよ」
そう言って、勇はレジ袋を持つとノロノロとトイレへと向かう。
(…人が死ぬとこなんて、初めて見た)
紙袋の中身をトイレの棚に置きつつ、ふと落ちてきた女性を思い出す勇。
――ビルから女性が飛び降りた後、勇は警察の事情聴取と病院での簡易検査を終え、そのまま流れで川端の家の居候となることが決まった。
(あの動画が公になってしまっている以上、お前さんのアパートや実家も安全とは言えない状況だ…さいわい、俺の家は足取りが追えないようになっているし、しばらくの辛抱だ)
聞けば、この家は川端の両親の実家。
空き家になりかけていたところを都の金でリフォームし、先月、ようやく人が住めるところまで修繕が済んだとのことであった。
「卒業間際でこんなことになるなんてな…マジ、何なんだよ」
布団の中で思わずつぶやき、スマートフォンに視線を落とす勇。
その画面には、医療プラグラムを受ける勇たちの様子がコメント付きで流れており、動画が未だ公の場にあることを物語っていた。
「紹介文に載ってる専用掲示板には、俺たちの個人情報が書かれているし。これじゃあ、まるで…」
*
「ねえ。アナタ、今すごい有名人みたいじゃない?」
勇に語りかけるのは赤毛にそばかすの少女。
彼女は上品そうなティーカップに満たされた液体をしばらく見つめると、おもむろにそれを飲み干し「…大丈夫、毒じゃ無い」と、勇に微笑んでみせる。
「ここにあるのは、ただのカモミールティーにバタークッキー…まったくもって残念ね。せっかく世間を騒がせている団体の代表者がここにいるのに、殺す機会を逃すつもりなのかしら?」
それに「殺すって…そんな物騒な」と、向かいに座った大柄な女性が困った顔で黄色いクッキーをつまむ。
みれば、勇の場所もそうだが周囲にはいくつものテーブル席があり、それぞれお茶や皿に盛られたケーキなどのアフタヌーンティーセットがセッティングされ、思い思いの席に数人が腰かけ、話し合っていた。
「すみません。あなた方のことを何にも知らなくて。その、自己紹介していただけるとありがたいのですけれど」
おそるおそる、そうたずねる大柄で黄色いワンピースの女性。
赤毛の少女はそれを聞くと、自身の胸につけた緑を基調としたバッジを見せ「私、環境保全を目的としたエコロジストの団体の代表なの」と胸を張る。
「野生動物保護の名目で募金を行い、ロゴの入った服を作り、資金を植樹活動に充てたりしている。話題性を狙って何度かニュースになるようなこともしているのだけれど…キミは見たことないかな?」
不意に声をかけられ、勇は戸惑うも「…あ、もしかしてあの団体?」と、ふと頭をよぎったニュースを口にする。
「捕鯨船を占拠して緑のペンキをぶちまけたり、植物由来のものしか食べないよう仲間内で強要しあって、極度の栄養失調から起きた合併症とその後遺症に悩む子供の親族から訴えられているっていう、あの…」
「そう、その団体」と、勇の答えに満足そうに微笑む少女。
「向こうの人たちが悪だと言うのなら、私はそれを受け止める。感じるままに、言われるままに。何事も自然に受け止めるのが私たちの仕事だから」
「え、でも。悪ってそんな」と、思わず声に出てしまったのか慌てて口元を押さえる大柄の女性。
「えっと…では、そちらのお兄さんは?」
その言葉に勇は口を開きかけるも「知ってるわよ」と、さえぎる少女。
「つい先日、【医療教会】の治療プログラムに参加して生き残った三人のうちの一人。ちなみに、そのうちの一人は自殺しちゃったのよね…当たってる?」
「え、自殺…?」
少女の言葉にギョッとした顔をする大柄の女性。
それに「そう、いわば私たちの先輩」と大きく頷き、少女は勇に向き直る。
「ねえ。先輩。初めての参加なんだから指南して…どうすれば生き残れる?」
首を傾げ、勇に詰め寄るように近づく少女。
ドアの類が見当たらない、広い、ホールのような空間。
ライトに黄色く照らされた、調度品と思しき積まれたブロック。
『――【彼女たち】を常に満たすようにしてください』
各テーブルに並べられた黄色のティーセットに椅子やテーブル。
腰掛けている男女は、勇を含めて八人ほど。
『それでは、一名様の帰還をお待ちしております』
移動前にかけられたシスターの言葉。
その言葉が勇の耳にひどくこびりついていた。
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