9.望みを絶やしたワケ
右側の道から現れたクラースは、初めてと会った時と変わらず冷たい目でおれを見ていた。
部屋を抜け出す前にはコハクが力を込めて縛っていたはずなのに、クラースの手足は自由になっている。どうやってかは分からないけど、なんとかして拘束を解いて逃げ出したんだろうな。
「そこをどけよ、クラース」
向こうは動く様子はない。構うものか。おれは早く白竜のもとに行かなくちゃいけないんだ。
ずかずかと近づいておれはクラースの肩に触れる。そのまま押しのけようと思ったんだけど、手を強く払われてしまった。
驚いて目を丸くするおれをまっすぐに見て、クラースは口を開く。
「嫌だね。きみには、ここを通る許可が下りていないはずだ」
「許可って……。やっぱり、この先に白竜を捕まえている部屋があるんだな?」
ピクリ、とクラースの片眉が動く。
やっぱり、こいつも知っていたんだな。王さまが竜を何匹も捕らえていることを。
「そこに月竜がいるのなら、きみにバレるのも当然か。余計な詮索なんかせず、さっさと逃げれば良かったのにさ」
「おれだけ逃げられるわけないだろ! 他の竜達が捕まって苦しんでいるんだぞ!? おまえは平気なのかよっ」
だって、シルもケイカも平気そうじゃなかった。二人とも辛そうな顔をしていたんだ。
シルは王さまに、魔力を少し取られたと言っていた。いにしえの竜たちはおれたち人よりももっと大きな魔力を持っているって、母さんに聞いたことがある。
もし、セントラルの王さまが魔力をたくさん取り出して竜たちを衰弱させているのなら、黙っていることなんてできない。
「きみは、銀竜が身内のようなものだから、あまり実感はないんだろうけどさ」
睨んでくる緑色の目は、剣呑な光を帯びていた。あまりの迫力に動きを止めてしまったおれは、クラースが強い力で腕をつかんできても抵抗できなかった。
「竜は僕たちとは違う生き物で、生きてる世界が違うんだ。この世界を統括している精霊王だって、竜と人を平等として見ていない。なぜだと思う?」
「なぜって……」
突然すぎる問いかけに、おれの頭はついていかない。でもクラースはさらに言葉を突きつけてくる。
「竜の方が大きな力を持っているからだよ」
言われなくても、考えてみればすぐに分かる答えだった。だからなんだって言うんだよ。
「そんなの当たり前だろ。竜なんだから。身体も持っている魔力も大きいから、人より強いに決まってる」
「だからこそ、だろ。僕たち人が王を立てて国を治めているのは、竜にその権利がないからだ。竜は大きな力をもっているから、人に逆らうことを許されていないんだよ。現に精霊王の統括者は、陛下の竜に対する扱いについて何も言ってきてはいない。それって、陛下のやっていることを責める権利は誰にもないってことだろ?」
うそだろ。精霊王の統括者、世界のエライ人は竜がいじめられているこの現状を知っていて、黙っているというのか。
「おれはそうは思わない! 竜になら、何をしてもいいってことにはならないだろ!」
「……きみが助けに行こうとしている白竜が、足を四つとも切り取られていて動けない状態だと知ってもか?」
「え?」
今、なんて言ったんだ。
思考がストップしたおれに構わず、クラースは続ける。
「その事実を知りながら、誰もが黙認しているとしたら。アサギ、きみはどうするんだ?」
緑色の瞳を挑むように向けられる。
さっき、白竜は自分で身動きできない状態だと、コハクは言っていた。理由まではおれも聞かなかったけど。
そういうこと、だったのか。
「どうするって決まってるだろ。白竜を助けに行く。だからそこをどけよ、クラース」
つかまれていた腕を振り払って、おれはクラースを睨みつけた。
「きみは馬鹿か」
「なんだよ、馬鹿って!」
「これだけ言っても分からないのか。きみが行ってもどうにもならないんだ。竜は僕たちとは身体のつくりが違うから、足がないくらいで死にはしない。だから白竜も、僕たち人がこういう形で自分を必要とするなら受け入れる、って言ってるんだ」
言いきった後、クラースの呼吸は荒くなっていた。もともとそんなに体力があるタイプじゃないのかもしれない。肩を大きく上下させて苦しそうだったけど、こいつは目だけはおれからそらさなかった。
「いいか、アサギ。白竜も僕もあきらめているわけじゃない。ちゃんと現実を見て受け入れているだけなんだ」
そんなの。
そんなの、納得できるか。
「違うね。クラースはあきらめているんだ」
暗い緑色の目は、初めて会った時となにも変わっていない。
あきらめて受け入れろ。
おれに初めて会った時にそう言い放ったのはおまえじゃないか。
「何だと」
「受け入れてなにもしないなら、あきらめているのと一緒だろ。おれだって、人と竜が対等じゃないのは知ってる。でもだからこそ、おれたちの方が理解を示さなくちゃいけないんだ」
母さんの受け売りだけど、おれは心からそう思ってる。
なにも言われないからといって、竜になんでもしていい理由にはならない。誰にだって、嫌だって言う権利はあるんだ。
「だから道を開けろよ、クラース。おまえが何て言おうと、おれは白竜を助けに行く」
「いやだ」
これだけ言っても、クラースは強情だった。硬い表情で首を横に振っている。
胃がムカムカしてきた。
なんでだよ。おまえも王さまがやっていることを良いことだとは思っていないくせに。
「どけよ」
「どかない」
「どけって言ってるだろ!」
こうしている間にも、追っ手がくるかもしれない。
完全に焦っていたせいか、おれはクラースに怒鳴りつけてしまった。
だけどこの時、感情的になっていたのはおれだけだった。
クラースは怒鳴り返したりしなかった。ひどく冷たい目を向けて、落ち着いた声で話し始めたんだ。
「どくものか。もしきみがどうしてもこの先へ行きたいと言うのなら、僕を殺せばいい」
「な、なに言ってんだよ!」
「僕は本気だ。それに、きみはどのみち僕を殺さないと白竜を助けられない」
日に焼けていないクラースの白い指がシャツのボタンに触れた。そのまま外しはじめたものだから、おれはぎょっとする。
目を白黒させても構う様子なく、クラースは無言で襟をくつろげた。
「おまえ、それ……」
それはおれにとっては信じられないものだった。
白い胸元に赤黒いインクで描かれた、禍々しい文字や記号。
おれたちの使う言葉じゃない。見たことない文字だった。
まるで、母さんが魔法の道具を作る時に、宝石に刻む術式みたいな。
ただ一つ違っているのは、それが人の身体に刻まれているってことだけだ。
「これは、陛下が僕にかけた〝呪い〟だ。白竜が部屋から勝手に逃げ出せば、僕自身の命を失われるように。そして僕が勝手に城を抜け出すことがないように。僕の身体に刻まれたこの術式はそういう効果を持っているんだ」
いつだってクラースの目は氷みたいに冷たくて、一度も笑ったことはなかった。
無表情でいるのは、最初から、考えることもぜんぶ投げ出しているからだと思っていた。
だけど、違っていたんだ。
クラースは最初から、望みとか希望をぜんぶ、捨てていた。
自分だけの力じゃ、どう抗ったって定められた運命を切り開くことなんてできないって、分かっていたからなんだ。
「だから、白竜を助けられないし、クラースも城から逃げ出すことはできないのかよ」
「そういうことだよ」
突然手をつかまれて、短剣を握らされた。たぶん彼がいつも持っているものなんだろう。抜き身の剣だった。
その行動にどういう意図があるのか直接言われなくたって、おれにはすぐに分かった。
顔を上げたおれを見て、クラースは口を歪めて空いている片方の手で自分の胸元を示す。
そしてまた、あの挑むような眼差しで、こう言い放ったんだ。
「さあ、アサギ。僕を殺すといいよ。絶対に僕はここをどく気はないし、白竜を助け出す方法は僕の命を終わらせるしかないのだから」
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