5.運命を受け入れろ

 こうして、おれは囚われの身になった。

 父さんや母さんから、そしてシルから無理やり引き離されて。




 目が覚めると、頭に激痛が走った。


「……いってぇ」


 ガンガンする。今にも頭が割れそうに痛かった。


 身体を丸めて、やり過ごす。

 いつまでそうしていただろうか。


 ようやく頭痛がおさまって起き上がってか初めて、おれはまったく知らない部屋にいることに気が付いた。


 そこは、ジェパーグで住んでいた家がすっぽりおさまるくらい、広い部屋だった。

 寝かされていたベッドだけじゃなく、テーブルと椅子。奥にあるのはクローゼットかな。シンプルなデザインの色んな家具が置いてあった。

 外から、小さく波の音が聞こえてくる。海が近いのかな。


 ただ、部屋にはおれ一人だった。


「なんで、ここにいるんだっけ」


 まるで靄がかかったように頭はぼんやりとしていた。


 たしかジェパーグの市場で、シルとお店を見ていたんだ。買い物を終えた父さんと母さんを見つけた途端、いきなり後ろから口を塞がれて――。


「そういえば、シルは!?」


 部屋には誰もいない。繰り返すけど、おれ一人だけだ。


 そうだ。おれは捕まったんだ。だから、こうして見知らぬ部屋にいるんだ。

 どうやら相手はおれを拘束しなかったみたいだ。手足は自由だった。子どもだと思って甘く見たんだろうか。

 どちらにしろ、かまわない。とにかく、一刻も早く逃げ出さなければ。父さんも母さんも、そしてシルも心配するに決まっている。


「なんなんだよ、もう!」


 当然だけど、部屋のドアには鍵がかかっていた。


 魔法で逃げるのも試してみたけど、精霊は応えてくれなかった。いつもならどこに行っても精霊はたくさんいて賑やかなのに、この部屋にいる子たちは少ないし大人しい子ばかりだ。

 唯一のおれの武器、魔法が使えないだなんて。

 こんなこと、初めてだ。


 いや、まだあきらめるのは早い。


「あきらめずにできることを探す。そうすれば、運命をつかみ取れる」


 少し前にシルが言っていた言葉を頭の中で巡らせた。

 大丈夫。たった一人きりでも、おれは頑張れる。


 顔を上げて、鍵がかかっている部屋のドアに近づいた。ドアノブを回してみたけど、やっぱり開かなかった。


「ねえ、誰かいるの!?」


 ドアは拳で強く叩いた。何度も、大人が嫌な顔をしそうなくらいにわめき散らす。


「いたら返事してよ! ここはどこなんだよ! 部屋から出せよ!」


 まるで駄々をこねる子どもみたいだけど、今回ばかりはわめき散らす権利があるはずだ。見ず知らずの部屋で、いい子にしてなきゃいけない理由なんかない。


 今までになく声を張り上げ続けること、数分。

 しばらくして、ドアの向こうから声が返ってきた。


「うるさいぞ。静かにしろ」


 大人の声だった。扉に耳をくっつけながら、声をあげる。


「起きたら知らない部屋にいたんだ。おれだってパニックになるよ。ねえおじさん、ここはどこなんだよ」

「セントラルという国だ」


 えっと、どこだったっけ。名前だけは聞き覚えがあるような。


 頭の中にある世界地図を検索する。

 たしか、東大陸の端っこにある小さな国だったはずだ。たぶん。


「じゃあ、ここはセントラルのどこなんだよ」


 どこの国にいるのか分かっただけじゃ、おおざっぱすぎる。もっと詳しい情報が欲しい。


「城だ」


 ――え?


 あまりに短い言葉で聞き取れなかったおれに分からせるように、扉越しにおじさんは言葉を重ねる。


「ここはセントラルを治める国王陛下が住まう城だ。あんたは陛下に選ばれたんだよ」


 何だって!? まさか、おれをこんなところまで連れて来たのはセントラルの王さまってことなのかよ。

 どうなってるんだ、この国は。


「選ばれたってなんだよ。おれは父さんと母さんのもとに帰らなきゃならないんだ」

「逃げようとか考えるだけ無駄だぜ。ウチは隣のイージス帝国に比べれば小さな国だが、守りは万全だ。国境付近と城門は、陛下が独自の研究で作り上げた強力なキメラで守られている。それに、この城全体ではどんなやつでも魔法が使えない仕掛けがほどこされているんだ。お前みたいなガキ一人が、どうにかできるわけがねえ」


 ここの王さまって、キメラなんか作っているのか。それは、人の手によって作り出されたモンスターじゃないか!


 どくん、と心臓が波打つ。


 無理だ。逃げ出せるはずがない。幸運がおれに味方して大人たちの目をかいくぐることができたとしても、キメラが持つ獣の聴覚や嗅覚から逃れられるはずがない。


 腕に覚えのある剣士一人でも、倒せるか分からないのに。

 おれみたいな非力な子どもが、どうやって逃げ出せばいいっていうんだ。


 鉛みたいに不安のかたまりが身体の奥に落ちていく。


 あきらめちゃ、だめだ。なんとか立って前に進むんだ。

 そう言い聞かせるおれに追い打ちをかけるように、おじさんは冷たい言葉を突き立てた。


「連れの銀竜もすでに陛下の手に落ちた。あきらめるんだな、坊主。こうなってしまったのも、お前の運命だ」






 なにが運命だよ。


 運命はつかみ取るものだ。シルはそう言っていた。人にはそうする権利があるって。

 だけど、おれもちゃんと運命のことを分かっているわけじゃない。


「おれも、シルと同じ無属性なのにな……」


 ベッドに寝転びながら、おれはぼんやりと天井を見上げていた。吊り下げられたシャンデリアはキラキラ輝いている。


 そういえば、おれを捕まえたというセントラルの王さまは、すでに気付いているんだろうか。

 おれが、無属性の子どもだってことに。

 父さんと母さんはいつも無属の子どもは狙われやすいから気を付けろ、と何度も言っていた。なんでも無属性のひとの身体は永遠の命を得るための糧になると、未だに信じているひとが多いんだそうだ。


「……って、ちょっと待て」


 頭の中での自分の想像に心臓が冷えて、おれはがばっと起き上がった。


 たしか、ここの王さまは研究をしていると言っていた。キメラみたいなモンスターを作るようなやつだ。もしかして、おれは食われるか実験材料にされてしまうんだろうか。

 そんなの絶対いやだ。おれはまだ死にたくない。


「入るよ」


 不意に、ドアの向こうから声が聞こえた。


 さっきのおじさんじゃない。

 大人というより、おれみたいな子どもの声だ。


 相手はおれが答えるよりも早く、部屋の鍵を開けた。ガチャリという音の後、ドアが開けられる。


「食事、持ってきたけど」


 入ってきたのは、予想通り子どもだった。


 耳がとんがっているから魔族ジェマだと思う。襟足まで伸ばした鳶色の髪と緑色の目の男の子だ。見た目はおれと同じくらいの年みたいだった。

 皺ひとつないズボンとシャツを身に着けている彼は食器がのったお盆を持っていた。


「……えっと、ありがとう?」


 って、なんでおれは捕らわれの身でありながら、律儀に礼を言おうとしてるんだ。

 でも向こうだって、同じ子どもだもんな。


「別にお礼を言われる覚えはないよ。ぼくはきみの世話係兼監視役だから」


 テーブルに盆を置いてから、彼はつった両目をわずかに細めてため息まじりに言った。

 世話係ってことは、彼は王さまの近親者ってわけじゃないのか。だとしたら、城の下働きの子どもなのかな。


「アサギ」

「は?」


 名乗る時は、まず自分から。それが礼儀だ。おれはずっと、父さんにそう教えられてきた。


「おれの名前はアサギっていうんだ。きみの名前も教えてよ」


 動きを止めて彼はおれを凝視した。緑色の両目をぱちぱちと何度か瞬きさせた後、ようやく口を開いた。


「……こんな状況で変なやつ」


 またため息。

 半眼でおれを見つめて、腕を組む。もしかして、呆れられてるんだろうか。


「ぼくの名前はクラース。たぶん、年はアサギと近いと思う。この通り、種族は魔族ジェマ。部族は歌鳥ハーピィ。属性は土。他に何か質問ある?」


 自己紹介のつもり、なのかな。なんて淡々としていて、感情がこもってないんだろう。


 迷惑に思われたのかな。

 捕まってる子どもの食事を運びに来たら、馴れ馴れしく名前を教えろとか話しかけたから引いてしまったのかもしれない。


「クラースは、ここで働くようになってから長いの?」

「それなりには。きみと同じようにぼくもここに連れて来られたクチだよ。それからは、ずっと陛下のそばで働いてる」


 おれと同じように……?


 思わず、目を丸くしてクラースの顔を凝視してしまった。


 よく考えれば分かることだった。

 セントラルの国王が子どもを連れて来たのは、おれが初めてじゃないんだ。だから、部屋の外にいた兵士のおじさんも慣れた感じで話していたんだろう。


「連れてこられたって……、きみの親は?」


 父さんと母さんから無理やりに引き離された。それなら、クラースだって同じかもしれない。

 おれのそんな思いを当然知るはずもない彼は訝しむような顔をして、眉を寄せる。


「知らないよ。物心ついた時からここにいるんだから。でも、今となってはどうでもいい。もう慣れたし」

「慣れたって?」


 なにに慣れたと言うんだ。

 答えを聞く前から予想がついていた。だからこそ、いやな汗が背中の上をすべっていった。


「親がいない生活に。だから、きみもすぐに慣れるさ」

「そんなわけないじゃないか!」


 ただ黙って聞いていることなんてできない。

 たしかに諦めかけていたけど、頷けるわけない。

「おれは父さんと母さんのもとに帰る。おれには帰る場所があるんだ」


 そうだ。おれは帰るんだ。シルと一緒に。

 やらなくちゃいけないことがある。

 ノーザンの賢王さまに家族みんなで会いに行って、お姫さまの目を治す手助けをしなくては。


「帰れると思ってんの?」


 何度目かのため息をついて、クラースはおれを睨んだ。ただ呆れていただけの目が鋭く細められる。


「きみもあきらめが悪いな。帰れるわけがないだろ」


 組んでいた腕を解いて、彼は両手を広げる。


「この城がどこに建っているのか、きみは知らないだろう」

「そんなの知るわけがないだろ。海が近いってことぐらいしか分からないよ」


 最初に窓から外を見た時に海がすぐそばにあった。波の音もよく聞こえてくる。誰だって、この城は海岸の近くに建っていると分かる。


「そう、海は近いよ。だってこの城は島の上に建っているんだから」

「え?」


 今、なんて言ったんだ。

 頭が真っ白になった。言葉は分かっているのに、理解したくなかった。

 けど、そんなおれの思いを踏みつけるように、クラースは冷たく目を細めて言い放つ。


「海に囲まれた島に僕たちはいるんだ。そして、この島には大規模な魔力不干渉の結界が敷かれている。万が一にもきみがキメラの目をかいくぐったとしても脱出することなんてできないんだ」


 島自体に、大きな結界。だから魔法は使えない。自分の足を使うよりほか、逃げられない。


 停止した思考の中で考えようと思ったけど、だめだった。

 無理だ。できっこない。おれみたいな子どもが、どうやって海を渡っていけるというんだ。


 おれは、ぼんやりと床に視線を落とした。

 身体の力が抜けていく。もう、クラースの顔を見る気力なんてなかった。


 上から、深いため息が聞こえてきた。


「悪いことは言わない。あきらめて、ぜんぶ受け入れろよ。その方がきみも楽になれるさ。僕もきみも、こうなることは最初から定められた運命だったんだ、とね」

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