Lesson9. JKはかわいそう。

 JKは机に伏せて寝ていた。ほかの現代文の先生は、煙草でも吸いにいってるのか、席を外していた。JKは、仮眠、とか、昼寝、というかんじではなく、いかにも爆睡といった様相で、ふごごという豚みたいな鼾がはっきりと聞こえた。机のうえには、コンビニのサンドイッチの空袋がくしゃくしゃになり、表紙のよれた教科書とか参考書が散らかってる。あ、村上龍だ。「限りなく透明に近いブルーは透明なのかブルーなのかそして今日の私のパンツはどちらか」というしょうもない一席で授業をつぶしたことを思いだす。

「ん……」

 呻き声を漏らして、JKが首をねじり、横顔を見せた。隙だらけの寝顔は、やっぱり化粧をしていなくて、ぜんぜん女子高生みたいに見える。ほっぺにへばりついた卵のくずが間抜けだった。ぺろんと食べちゃったらどうなるかな、とかやらしいことを思った。というのは、「好き」という気持ちを持て余すように考えていたからで、どうやったら確認できるのか、答えは高橋くんも福井さんも野間も甘井ちゃんですら持っていない気がして、今日JKに相談したかったのは、つまりそんなことなのかもしれない。

 職員室の壁にかけられたアンパンマンみたいに丸い時計を見あげると、昼休みも半分を過ぎようとしていた。話す時間もなくなりそうだったので、申し訳ないが起こそうかと思い、彼女の耳元でささやきかけた。

「JK、JK」

 いつもなら「先生」と呼ぶのだが、ほかの教師は見てないし、打ち解けたとき、打ち解けたいときはそう呼んだりもする。いかにも模範的な校則どおりといったかんじのおかっぱ髪からまるっこい耳が現われている。ピアスのしていない、したことのなさそうな、マシュマロみたいな耳たぶも「JK」だなと思った。もう一回、彼女はうめき声をあげて、さっきの甘かったそれよりはもうちょっと意識をつかまえたかんじの声で、ふっとスイッチがはいったみたいに上半身を起こした。ふるふると周りを見渡し、いっそう丸くした瞳で僕を見つける。

「そとで話す?」

 寝起きなくせ、まっとうで、先生らしい言葉に拍子抜けた。なんか僕は、先生にではなく、JKにそのことを相談したかったのかもしれない。JKとして、僕の話を聴いてほしかった。そのとき彼女は、好きという気持ちを仮託できるイデアみたいなものだっただろう、と、覚えたての倫理の言葉を意味もよく分からないまま使ってみる。

 空は青かったけれど、太陽は眩しくなく、いよいよこの町にも冬が訪れたのだと知る。いつものように自衛隊機が飛んでいく。耳馴染みの金属音が止むと、テニスコートから、ぽこん、ぱこん、というまぬけな音が響いてくる。僕とJKはその金網の手前に座った。茂みで周りからは隠れていて、まさしく重い話をするふうで、JKが話の内容を予感したわけじゃないんだろうけれど、勘の良さがうれしい。しかもあったかいミルクティーまで買ってきてくれた。JKが自分用に買ってきたのは背の高いカフェオレだった。僕とJKは同時にプルタブを引き、なんか照れくさいけど流れで乾杯をして、同時にのどに流しこむ。うっと声がでるぐらいミルクティーはあまったるい。地面に腰を下ろし、足を伸ばし、身体を弛緩させる。いかにもな四角形に剪定された茂みがちょうど背中を支えてくれた。JKはしゃがんだまま、制服姿で打ち合う女子たちのへっぽこなラリーを眺める。

「大学はいったらさ、テニスするといいよ。たのしいよ」

 JKはやわらかい口調で言った。風邪気味なのか、わずかに鼻声で、冬の空気によく似合っていた。また自衛隊機が空を飛んでいった。自衛隊機のシルエットは鋏に似てる。憂鬱をしゃくしゃくと切り裂いていく。

「JKは、大学のとき、何部だったの?」

 そう尋ねてみた。ほんとうは甘井ちゃんの相談をしたくて、余計な話題は避けたかったんだが、JKのつくってくれたいい雰囲気、というか、どうでもいい雰囲気に流されるまま、どうでもいいことを言った。

「高木ブー」

 つまんね。古いし。知らんし。とみっつのことを思ったけど、どれも口に出さない。ミルクティーをもうひとくち呑む。さっきほどあまくはなかった。意外といけるな。というか、たいていのことはそうなのかもしれない。甘井ちゃんも、おもったより傷付いたりはしてないのかもしれない。

「ティーチャーのことなんだけど」

 いくつかの言葉を思い悩み、どう話すのがいちばん適切かを考えて、とりあえず主語を「甘井ちゃん」か「僕」かで迷ったすえ、どちらでもないものを選んだ。

「ティーチャーって英語の?」

 JKがそう尋ねてきた。仲間うちでしか使わない呼称ではあるが、野間なんかはふつうに口にすることがあったので、担任のJKは知っているだろう。けれど、確かめるみたいに訊いてきた、のが、へんなところを触られたみたいで嫌だった。そこじゃない、といったかんじの。

「先生じゃねえよ、あんなやつ」

 吐き捨てるように言った。自分たちで呼んでおきながら、ずいぶん勝手な言い口だった。自分のものじゃないみたいな声が出て、むずがゆい。

「嫌いなの? 新立さんは、あのひとのこと」

 すでに冬の空気は、JKのあどけない声を乾かせる。

「エンコーをしてる先生なんか、好きな生徒はいないと思う」

 その言葉もまた、僕が言ったんじゃないみたいで、膝をかかえて顔をうずめた。二回目の予鈴がむかいの森に反響するのが消えたころ、JKの声がした。

「あのひとは、そんなことしないよ」

 これだけ時間をおいて、期待させて、言うのがそれかよというのは、怒りを生んだりはせず、むしろそういう熱のある感情が失われていく。

「誰に訊いたの?」

 僕がぐっと堪えるように黙り込んでいると、JKがそう尋ねてきた。その話を教えてくれた誰かというのがもし適切だったら、JKは考えを変えてくれるのかよ。エンコーのことを教えてくれたのは高橋くんで、裏付けは野間が与えてくれた。けど、「高橋くんに聴いた」とか「野間に聴いた」とか言っても、ふたりには申し訳ないけど、JKは信じてくれないような気がする。それは説得力というか、リアリティに欠けている。もっというと、「福井さんに聴いた」って言えば、ますます信じてくれないだろう。そこにはなんの生々しさもない。

「甘井ちゃんに聴いた」

 とうぜん、甘井ちゃんは僕にエンコーのことを教えてくれなかったどころか、匂わせすらしなかった。野間には話したんだろうか。高橋くんには話したんだろうか。

「嘘だね」

 JKはすぐに、切り返すように言った。間違ったことは信じるくせ、正しいことは信じてくれない。すごく理不尽だと思ったけど、単純に、ティーチャーのことを信じるくせに僕のことを信じてくれないのが嫌だったんだろう。それこそ、正しいとか正しくないは関係なく。だから僕はJKに嘘をついたのだ。ぜんぶひっくるめて僕を認めてほしかった。でも、それができたのは、僕ではなくティーチャーで、きっとそんなふうに甘井ちゃんもティーチャーを選んだんだろうと思うと、自分の思い込みでしかないのに自重で気持ちが沈んでいく。

「新立さんがさ、甘井さんのことを好きなのは知ってるけど、だめだよ、嘘はついちゃ」

 JKが声をひそめていった言葉で、今日いちばん僕の身体が熱くなった。JKのまえでそう振る舞ったことはないはずなのに。福井さんがなにかの拍子にJKにバラしたんじゃないのか。自衛隊機のいない空にあのムカつくぐらい罪のない笑顔が浮かびあがる。

「福井。あの野郎。ころす」

 耳のさきを火照らせたまま呟くと、JKは笑った。

「いや、福井さんが言ってきたわけじゃないから」

 言ってねえのかよ。むしろ言っとけよ。

「僕、甘井ちゃんのこと、好きなんすよ」

 福井さんにふいの対抗心が芽生え、強がりみたいに告白した。言葉にすれば、おもったより恥ずかしくなくて、気持ちよかった。それはたぶん、JKがぜんぶ受け止めてくれたから。ああ、僕は甘井ちゃんのことがほんとうに好きなんだな、と、からっぽの空を見上げていると、泣きそうになる。

「どこが好きなん?」

 JKはそう尋ねてきた。さっきまでの、これぞ先生ってかんじじゃない、くだけた言い方だった。冷やかすようにでもなく、ちゃんと興味を持ってくれてるみたいに、JKは僕に訊いた。

「だって甘井ちゃん、かわいそうだもん」

 ああ僕の甘井ちゃんにたいする気持ちは、そうだったんだな、と、あらためて確認した。そりゃ付き合えるはずもない。それでよかった。どうしようもないことはあるんだ。どうしようもないぐらい、僕は甘井ちゃんが好きだった。それでいいかな、と思う。あきらめることができるかもしれない。

 六限目には出よう、そう決めて、立ち上がった瞬間だった。JKが僕の手首をいきなりつかんだ。こんな力が出るのかと驚くぐらい強く引かれた僕は、しりもちをつくようにして再び地面に腰をおろした。見上げると、そこにはJKのしらない顔があった。

「甘井さんは、ティーチャーと、やったの?」

 訊かれると、わからなくなった。いきなりどうして、JKがそのことを確かめようと思ったのか、わからなかった。でも僕の答えが、僕の甘井ちゃんにたいするたしかな気持ちが、JKのなにかを焚きつけたことは違いなかった。

「Did a teacher sexually abuse students?」

 なんでいきなり英語なんだ。分からないまま、構文どおりに「Yes, they did」と答える。そのときだけは、JKが甘井ちゃんよりかわいく見えた。JKも、いつかどこかで「かわいそう」だったりしたんだろうか?

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