異世界ベンチャー 生存率0.3%の道

ろくろ

転生手続き編

第1話 勤め先のベンチャー、倒産する。僕は死す

 -またか。


 一体今年に入って何度目だ。陰鬱な雰囲気にうんざりしながら時計に目をやった。11時半を少し過ぎているではないか。

 午後の面接に備えて、午前中に事務仕事を全て終わらせたかったというのに。


 -フレックスの弊害だな。このクソ忙しい午前中に…


 朝会で集められた社員の目の前で、代表取締役が深刻そうな顔をしながら、よくわからない超理論展開を続けている。


 中途で入社してから早3年、入社当時は20名弱だった社員も今や150名規模まで成長し、良くも悪くもベンチャーならではの波は乗り越えてきた。


 はずだったのだが。


 □


 創業8年、不景気の最中に設立したこの会社は、ベンチャー企業、またはスタートアップと呼ばれる部類になる。


 世の人はなんと思うだろう。


 きらきらと眩しいほどの輝きを放つプレスリリース、ろくろポーズの代表インタビュー、優秀なマーケターが異業種コラボで執筆した書籍出版の実績。


 おまけに上場準備中とくれば、きっと誰もが、前途洋々と思うだろう。


 主義主張の激しい変わり種Tシャツを日替わりで着るエンジニア、対照的にオフィスカジュアルに身を包みきらりと微笑む広報担当、営業は適当な私服に商談の時だけ羽織るジャケットをハンガーにかけっぱなしにしている。


 フラットな人間関係、風通しの良い職場環境。自由で、そして自由な社風。


 実際、採用人事を担当している僕の決め台詞はこうだ。


「挑戦したいことがあれば、遠慮なくトライできます。」


 ここで満面の笑顔を忘れてはいけない。


 騙し半分、だが半分は本気でこの会社の成長を願う人事担当者だ。

 いつか、この会社の名前が世界に轟くまで、必死になって頑張っていきたいと思っているから。


 だから、候補者に笑顔で接することは忘れてはならない。


 □


「そのため、今月いっぱいで、スタープロ株式会社は、廃業となります。」


 巡る思考から現実に引き戻された。


「はあ!?」


 口をついて出たの素っ頓狂な声だけだ。


 しかしそれは、他の従業員も同じだったようで、どよめきが次第に広がる。眠気にのみ壊れそうになっていた者も、流石に目を覚ましたようだ。


 そんな中、スッと手を挙げ、質問をする猛者が1人。半年前に入社した営業部の片岡真紀子だ。


「それって、つまり、倒産ですか?」


 快活明朗、前職の経歴も申し分ない。自信を持って採用した彼女の痛烈な一言が会場に響く。


 すると、早々に引っ込んでしまった代表取締役に代わり、財務責任者が前に出て、その答えを口にした。


「そういうことに、なります。」



 僕は、その日の面接を全てキャンセルした。


 -他の候補者が確定したため、誠に残念ではございますが…


 嘘も方便、公にされていない情報を外部の候補者たちに伝えるわけにはいかない。


 胸の奥がチクリと痛んだが、そう言っていられる状況でもないのだ。


 デスク前のパソコン画面がやたらチカチカしている。


 □


 起業から5年以内のベンチャーの生存率は15%と言われている。


 僕が新卒入社した3年前が、ちょうど創業5年目だった。


 15%を生き抜いたこの会社は、目黒の一等良いビルにワンフロアぶち抜きで入居、窓からは御苑と東京タワーが見える。オフィス家具ひとつとっても、高価な物を惜しげもなく使っていた。


 それから、リラックススペースにはバーカウンターがあって、自由で、そして自由な社風を体現するかのように、日が暮れると手の空いた社員はコーヒーを片手に語り合ったりなんかしている。


 誰かが誕生日の夜には、有名店のケーキにろうそく、どこからともなくハッピーバースデーの歌声と笑い声が聞こえるのだ。


 たまにミニキッチンでお行儀よくカットされたケーキが社内に残ったメンバーに配られたりもする。


 -これが、15%を生き抜いた勝ち組ベンチャー…


 そう思っていたあの頃が懐かしい。


 だがしかし、ベンチャー競争は激化の一途を辿る。

 起業から10年以内の生存率は


「6.3%の壁、か…。」


 この数値を知っていたから、少しは冷静でいられたのかも知れない。

 あるいは途方もない離職率のせいで、会社事由の退職になった場合の手続き諸々に詳しくなっていたからかも知れない。


「職安、面倒だな…」


 とはいえ、3ヶ月間のらりくらりと転職活動しながら、国から手当をもらう生活も悪くない。


 そんなことを考えながら、タスクの潰えたパソコンを眺めていると、突然、あの営業部の片岡真紀子の罵声がリラックススペースから響き渡る。


「この、…大嘘吐き!!」


 慌てて執務室からそちらへ向かうと、髪を振り乱した片岡真紀子が罵詈雑言を並べながら絶叫している。


「会社が潰れたら、あんたが離婚したって意味ないじゃない!!」


 般若のような形相に、代表取締役は恐れ慄きながらカウンターの方へと逃げてゆく。


 □


 さて、途中から加わった僕は状況が掴めず、周りの野次馬から最も情報通な社員に声をかけた。


「ああ、あの子、社長と不倫してたみたい。結婚の約束もしてたらしいけど、ほら、今朝ので…」


「ああ、倒産のこと?」


「そう。しかも管理部の子に聞いたらね、社長の方も資金調達に失敗してたらしいんだけど、それも隠していたし、奥さんからは片岡さんに慰謝料請求、社長は自己破産。もうはちゃめちゃよ。」


 呆れて声も出せずにいると、情報通の社員は尚も続ける。


「ちなみに、だけどね-…」


 そっと耳打ちするように囁かれたその時だった。


 社長が猛烈な勢いで僕に激突し、その次の瞬間右手にきらりと光るナイフを持った片岡真紀子が僕に突進してくる。


 あの瞬間、僕は色々なことを考えた。


 片岡真紀子の一次面接を担当した日のこと、今朝の萎んだ社長の顔、候補者に送ったメール…


 -これ、走馬灯か…?ショボ…


 ああ、それから片岡真紀子が握りしめていたナイフで切り分けられた、キラキラのショートケーキ…


 この傷が治ったら総務のやつらに文句の一つでも言ってやろう。あんな鋭く磨がれたナイフを社内に置いておくなよ、と。


 頸動脈から血がどくどくと流れ出していく。次に寒気が襲いかかり、そしてなぜか眠たくなってきた。


 だから、頼むから、大声を出さないでくれ…。


 最後に耳に届いたのは、情報通社員の絶叫に近い悲鳴だった。


 こうして、僕は勤めていたベンチャーが潰れた日に、死んだのだ。


 □


「それにしたって、走馬灯がたった3年勤めただけの会社の事だけなんて、あんまりにも悲しくありませんか?」


 だから、この人生に続きがあるなんて少しも思っていなかったし、ましてや走馬灯に文句をつけられるなんて誰が想像できただろうか。


「…すみません、僕もしかして?」


「ああ、すみません。わたくし、エンジェル3課の転生担当です。」


 改めよう。


 僕は勤めていたベンチャーが潰れた日に、死んで、それから転生することになった。







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