第4話 立ち上がり、立ち向かえ

「成る程。君の呪詛は、実の叔母に仕掛けられたものだったのだね」


 晴明の言葉に、アリアネルはこくりと頷いた。


「そうか。うん、そうか。辛い思いをしたな、アリアネル。痛かったろう」

「……はい。1時間おきに激痛が走って、そのたびに気を失っていました」


 晴明が過ごした平安京にも、呪詛はあった。


 呪符を使うモノ。蟲を使うモノ。ヒトガタを使うモノ。多種多様な、人を苦しめるモノ。平安京において呪詛というのは重罪だったが、それでも呪いというものは後を絶たなかった。


 みんな、誰かを呪いたがっているのだ。


 離れた場所から、誰にも気づかれず、何の危険も負わず、加害者である自分は無事なまま、憎い誰かを殺してやりたいと思っているのだ。

 

「この世界にも、呪詛というものがあるか。そうか」


 晴明は軽くため息をつき、そして、


「アリアネル。屋敷の住人、そして君の姉さんは、まだバージャという女の支配下にあるのだな」

「そのはずです」

「そうか。なら、助けてやろう。今すぐに」


 涼しい顔でそう言った。


「──力を貸してくれるんですね、晴明さん?」

「おうとも」


 とてつもなく軽い口調だった。しかし、晴明の目は本気だった。


「呪詛という、祓うべきものが近くにあるのだ。祓わねばなるまいよ」

「あ……ありがとうございます、晴明さん!!」


 こうして、二人の目的は一致した。


 元・陰陽師と赤ずきんの騎士は立ち上がる。──呪詛に立ち向かうために。



 ◆◆◆



「しかし素朴な疑問なのだがな。なぜ私はこの世界の言葉を理解できるのだろう」


 晴明の疑問に、アリアネルはうーんと首を傾げながらも答える。


「聞いたことがあるんですけど……空の穴ってのは、この世界そのものが、何かを召喚してるんじゃないかって話を聞いたことあります」

「ほう、召喚……?」

「この世界は、どこかの国や、土地がピンチになった時、それを助けてくれる人をどこかから呼びよせるそうです。それが上手くいったとき、この世界はご褒美として、人の叡智である「言葉」を授けてくれるのだと」

「……なるほど。私は足を踏み外したのではなく、召喚されたというわけか」


 事実だとするなら驚きだ。だが筋は通っている。「世界」や「神」というような、人知を超えた存在からお呼びがかかるというのは、陰陽師である晴明にとっては理解できる現象だ。


(……いいだろう、やってやろうではないか)


 目の前の人を救う。晴明の理念はどこに行こうとブレることはない。

 

「ところで、改めて聞くがな。この国でも呪詛というのは違法なのだね?」

「はい。王都には呪詛を使った人を捕まえる専門の部隊もいます。ただ、それを頼っているヒマはないかもしれません」

「ほう」

「……私の家から村役場まで、徒歩で一日半。王都までは往復で何日もかかるんです。それまでに、姉さんがさらに呪詛をかけられてしまうかも」

「確かにな。速攻でカタをつけたほうがいいかもしれない」


 バージャも、自分が捕まるかもしれない危険性は理解しているはずだ。放っておけば、自らの保身のためにさらに手を打ってくるだろう。そうなる前にこちらから行動を起こす必要がある。


「了解した。君の家までは大体どれくらいかかる?」

「ここからなら、徒歩で半日くらいだと思います」

「よろしい。では、道案内を頼む。私の式神ならすぐだ」


 晴明が符を取り出す。すると符は空中で獣に変じた。


「う、うわぁーっ?!」


 アリアネルが腰を抜かす。そこには大岩のごとき巨大な狐が座っていた。


「キ、キツネ?! 一体どこから?!」

「私の式神……要するに使い魔だ。「北斗」という。ほら北斗、ご挨拶しなさい」


 夕焼けのように鮮やかな黄色い毛並みが、風に揺れていた。北斗と呼ばれた式神は、小さな瞳でアリアネルを見つめていたが、やがて控えめにお辞儀をした。


「あ、え、えっと、こんにちわ北斗さん。よろしくどうぞ!」


 アリアネルもつられて頭を下げる。北斗は凛とした表情でそれを見つめていたが、満足げに頷いた。


「北斗の背に乗っていけば早い。乗りたまえ」

「背中に乗ってもいいのですか?」

「大人しくするなら北斗は怒らない。さあ早く」

「……キツネの背に乗るなんて初めてだなー。なんかちょっとだけ心躍っちゃいます」

 

 北斗の背中はふかふかとした座り心地で、上等なソファのようだった。


「行き先を教えてくれ、アリアネル」

「このまま真っすぐでお願いします!!」


 その言葉に応えるように、北斗は小さくひと鳴きし、地を駆けた。


 森を抜け、見通しのいい草原を走り抜ける。


 疾駆。そんな言葉が相応しい、しなやかな走りだった。


「は、速い! 北斗さん、速いですね!!」

「怖いか?」

「いえっ、むしろ心地いいです! このまま全力で飛ばして下さい!」


 景色が次々と後ろに流れていく。体全体に風がぶつかってくる。


 黄金色こがねいろの狐は、まるで一陣の旋風のように、草原をひた走るのだった。



 ◆◆◆



 目的の建物が見えて来た。近くの林で北斗は足を止めた。


 二階建ての立派な建物だった。様々な貴族の建物を見て来た晴明も「ほう」と声を漏らす。これは間違いなく、土地を支配する者の建物だと感じ取ることができた。


「あれです。あの建物が私たちの家です」

「よし、ここまででいいだろう。北斗、ご苦労」

「ありがとうございます。北斗さん」


 アリアネルはその背中の毛並みをひと撫でする。北斗は満足げに「くぅ」と鳴き声を漏らした後、北斗は一枚の符になって晴明の懐へ戻っていった。


「あの中に、みんなや、姉さんや……バージャがいるはずです」

「そうだろうな。どれ、少しばかり様子を見るか」


 晴明の懐から一羽の符が飛び出てきて、肩に止まる。それは蝶の形をかたどっていて、本物の蝶のように動いていた。


「もしかして、それも使い魔ですか?」

「そうだ。こいつは揚羽あげはといってね。見ての通り紙だから、狭い隙間にも入っていける。よく斥候として飛ばすんだ」

「すっごい……晴明さんの懐は、もしかしてたくさんの式神でぎゅうぎゅうになってたり?」

「はは、そう言われると何だか楽しそうだな」


 揚羽はパタパタと飛び立ち、建物へ向かった。


 二階の窓の隙間から、するりと白鴉は体を滑らせて中へ侵入する。


 誰にも見つかる気配はなく、暗い廊下を進む。夜の闇にまぎれるように、式神は敵の本拠地を進んでいった。



◆◆◆


 

「それで、アリアネルはまだ見つからないんだね?」

「はい。現在、皆で捜索を続けておりますが……」


 食堂にて、バージャは巨大なハムをむしゃむしゃと食らいながら、使用人の報告を聞いていた。


 もちろん、洗脳して手駒にしておいた、この建物の使用人である。


「フン。さすがだね、逃げ足が速い。私の呪詛……「痛苦呪詛デンドロバテス」がきっちり効いてるから遠くまで逃げられるはずはないけど……念のためきっちりと殺すんだよ。いいかい、首を撥ねて確実に殺すんだ」


 食卓に置いてある、上物の酒をぐびりと一気飲みし、バージャは続ける。


「恐らく、アリアネルは村役場に逃げ込もうとするはずだ。追手に見つからないように森の中を通るはず。草原に出るほど馬鹿じゃない。森の中を徹底的に探しな」

「分かりました」


 使用人たちは虚ろな目で頷き、去っていった。


 椅子に深く腰掛けながら、バージャはウルスラの名を呼ぶ。


「ウルスラ!! ウルスラ、こっちに来な」

「はい、何でしょうかバージャ様?」


 仮面のような笑顔を貼り付け、下僕のようにうやうやしくウルスラがやってくる。


「替えの酒を持ってきな。とっとと今すぐに」

「はい、かしこまりました、バージャ様」

「おっと待ちな」


 バージャは立ち上がり、ウルスラの喉を鷲掴みにした。握力を込め、息を封じる。


「ぅぐッ……な……何でしょうか……」

「お前が持ってきたハムだけどね、もっと胡椒を振りな。スパイスが効いてる方が好みなんだよ。そのぐらい言われなくても気を利かせな、小娘」

「も、申し訳、ありませんでした」


 バージャの手から解放され、ウルスラはゴホゴホと咳き込む。が、何事もなかったかのように一礼し、台所へぱたぱたと駆けていった。


 バージャは満面の笑みを浮かべた。それは確実に暴力に酔っている表情だった。他人を支配し、理不尽に痛めつける快感に酔っていた。

 

「……さて。ウルスラを殺して私がここの主になってしまうと、流石によそから怪しまれるね。始末するのはアリアネルだけにして、ウルスラは生かしておこうか。私は裏方に回ったほうが良さそうだね」


 デザートのキャンディをかみ砕きながら、バージャは呟いた。


 まだ彼女は知らない。


 安倍晴明の式神が今のやり取りを全て聞いていたことを。


 ──バージャを打倒してやろうと決意を燃やす者たちが、建物の近くにいることを。

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