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「椿が紗里はここにいない、と言った瞬間、彼に霊は見えない、そう確信した」

「あなたには見えていたのね?」


 佐和子は言う。


「ああ、三宅さんに見せてもらった妹さんとよく似た少女が椿の横に立っていたよ。彼女は悲し気な瞳をして彼を見下ろしていた。あれだけはっきり見えていたのに、彼にはそれが見えていなかったんだ、その時点で偽物だって確信したよ」

「そう。本物にはそう簡単には出会えないものよ」

「分かってるよ、僕が知ってる本物は3人だけ。おばあちゃんと僕の師匠の琴吹さん、そして僕自身の3人だけだ」

「ごめんなさいね、私は非凡な人間で」


 幾分か佐和子の口調に厭味が混じっていたが、今更気にすることもない。

 霊能力を持った祖母のもとで普通じゃない暮らしをしてきたのだ、佐和子の苦労を想像するだけで気の毒だ。


「霊能力なんて持つもんじゃないよ。母さんみたいに何にも見えない、それが一番いいんだから。見えると気になる、気になると探りたくなる。悪循環だよ」


 ただし霊は喋るわけでない。

 何か言いたげな表情の霊とすれ違う時があるが、何をどうすればいいのか分からないので対処しようがない。


 相手は恨めし気な表情でこちらを見るが、私はあえて気にせず通り過ぎる。そうしなければこっちの身がもたない。


「紗里さんが床下にいると分かったのは、あなたの探偵としての推理力なの?」

「まさか。基本的に僕の本業は浮気調査だ。今回は依頼者が持ってきた本を読んで、椿本人に興味が湧いたから引き受けたにすぎない。本の内容からして紗里さんがあの家にいると推測してみたが、ちょっと相手と喋ったくらいで遺体のありかなんて見つかるはずないさ、金田一耕助じゃあるまいし」

「だったらどうして?」

「あまりにも紗里さんのビジョンが明確だったんだ。鮮明な姿となって椿の側に立っていたから、なるほどこの近くに潜んでいるのかもしれないと確信したんだ」


 椿の書いた小説では、紗里はいろんな場所に姿を現すが、それは彼の幻覚だ。実際に私が見た紗里はあの部屋から動けないでいるようだった。


 おそらく地縛霊の類なのだろう。

 彼女は場所に囚われている、そんな気がした。


「椿がやたらカーペットの染みを気にしているのは分かっていたけど、地下室だなんて思いもしなかったよ。ここで紗里さんを殺したのかもしれない、くらいにしか思ってなかった。でも、椿が俺を追い返そうとした瞬間、彼女がカーペットの染みの上に移動してきて地面を指さしたんだ。それではっきりしたよ。彼女はこの下にいるんだ、って」

「なるほど、紗里さんはあなたが本物だったから救われたってわけね」


 そう言いながら母がテレビの画面に目を戻すと、ちょうど三宅義孝の車が池から引き上げられるところだった。


 私は椿が紗里の兄に何かしたものと思い込んでいたが、ここは外れていたらしい。彼は椿の家へ向かう途中、単独事故で池に転落したらしい。

 昼間の見通しの良い時間帯だったにも関わらず、目撃者もおらず今の今まで遺体はあがらなかった。


「お兄さんの事件は不幸だったわね。長年探していた妹さんがようやく見つかったって言うのに。浮かばれないわ」

「そうだろうか。紗里さんにとってはこれが一番良かったのかもしれない」

「どういう意味?」

「いや、これは想像だけど、あの2人は実は愛し合っていなかったんじゃないかって思ってる。血の繋がらない兄妹、恋愛に障壁はないだろうけどお兄さんの妹さんに対する執着心が少し怖かったんだ」

「あら、誰だって家族が行方不明になったら血眼になって探すわよ」

「確かにね。ただ、椿さんの言うように、紗里さんがお兄さんの愛情を疎ましく思っていた可能性もあるよね。椿さんが犯人だから、三宅義孝の方が正しいって考えがちだけど、どちらの話にしてもそこに紗里さん本人の言葉がないんだから」


 そう、三宅紗里はすでにこの世にいない。

 彼女が椿風雅を嫌っていたことは間違いないだろう。兄の言葉だけではなく、知人たちの証言でも確認済みである。


 ただし、彼女が兄のことをどう思っていたかについては不確かなところが多い。

 紗里の親友の曽根も、椿のストーキング行為については熟知していたが、兄との関係については聞かされていなかったようで、ひどく動揺していた。


 紗里はイケメン好きで、とてもじゃないが紗里の兄は彼女のタイプではない、と断言さえした。

 外では同級生の存在に悩まされ、家では兄の好意に苦悩していたとしたら、紗里の心に休まる場はなかったといえる。

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