7話

 正直言って俺は満緒の話を全面的に信じたわけでもないし、義母が旦那を殺そうとしているなど荒唐無稽な話だと思っている。


 ポン吉なる狸の霊を供養したふりをしてお金だけもらって帰りたかったのだが、満緒と会話している最中に遠くからこちらの様子を伺っていた義母の顔がどうしても気になった。


 相手が満緒を憎んでいるのは間違いないように思う。


 もし満緒の予想が正しいのなら、住職が亡くなった後に狙われるのは満緒本人だ。

 もちろん旦那殺しが成功して次に息子も、とは短絡的すぎる発想だが、あの女の禍々しい表情が俺の中に暗い澱みとなって沈殿している。


 このまま帰宅すると後を引きそうだったため、2日間という約束で少しだけ満緒の妄想に付き合ってやることにした。


 というわけで、俺はこうやって住職と世間話を楽しんでいるわけだが、ストレス性の潰瘍というわりに、相手の様子はおかしかった。

 本人は元気いっぱいで俺との会話を楽しんでいるのだが、目は落ち窪み墨のようなクマが浮き出て、顔色も死人のような色をしていた。


 手は震えており、時々夢見心地の表情を見せたかと思うと、壁の一点を睨んでいたりする。幻覚でも見えているのだろうか。

 胃潰瘍というよりも癌だと言われた方が納得できる風体だ。


 満緒が言うにはポン吉は餌に毒を混ぜられて殺されたそうだ。


 死体を発見した地元の住民が言うには口から泡を吐いていたそうだから、良くないものを食った可能性はある。だが、それが毒薬で餌を与えたのが義母だと安易に結びつけてしまうのはどうかと思う。


 一度怪しいと思った相手に対し、人は全てのことに疑いを抱いてしまうのだ。先入観ほど恐ろしいものはない。


 俺はなるべくクリアな視点で満緒を取り巻く人間関係を観察しようと考えている。

 とりわけ、キーパーソンとなる義母の存在は重要だ。


「ところで、椿さんにはポン吉の霊が見えましたかな?」


 住職は痛いところを突いてくる。見えるわけがない。俺は迷いに迷ったが、正直に答えることにした。


「寺で狸を見ましたが、あれがポン吉の霊かと言われれば自信がありません。その辺にいる野生の狸のように思えます」

「なるほど、では今後どうするおつもりですかな?」

「満緒さんがポン吉のことで心を痛めているのは間違いないでしょう。私が供養することによって彼の心が少しでも平穏になるのであれば、例え存在しない霊であったとしても供養する価値はあるのではと考えています」


「椿さんは正直な方だ。私もそれがいいと思います。実は数カ月ほど前に満緒はポン吉に腕を噛まれてしまって、病院で3針縫ったんです。本人としてはそれがショックだったみたいで、しばらくポン吉に触れなかった時期があります」

「動物に悪気はないでしょう。犬や猫でも飼い主に噛みつくことがありますからね」

「ええ。ポン吉のことを可愛がっていただけに裏切られた思いがしたんでしょうね。しばらく落ち込んでいたのですが、ようやく気持ちに整理がついたと思ったらポン吉は亡くなってしまって。ものすごく後悔してるようなんです」


 なるほど、狸に噛まれて傷心してしまうとは、見かけほど突っ張った男でもないというわけか。

 だからこそ、狸の供養なんて考えつくはずだし、なんだかんだと父親のことも心配しているのだろう。


「大切な生き物を失くす悲しみは私も経験しています。中学生の頃にウサギを飼っていましたが、数年後に弱って死んでしまったんです。ウサギが死ぬ少し前に両親を事故で失くしていて、相次いだ死を前に精神的にきつかった時期があるんです」

「それは随分苦労されたんですね」

「ええ、まぁ」


 両親が死ぬ少し前に飼い始めた白いうさぎ。

 つぶらな瞳に可愛い口元、見た瞬間電気に打たれたような衝撃が走った。そう、一目ぼれに近かったのだ。


 家ではペットを飼えないため、親に内緒でこっそり連れ帰った。


 家に来た当初のウサギは不安そうに震えていたが、そのうち俺に甘え媚びた仕草を見せはじめた。しかし、俺の両親が死んだ後、何かを感じとったのだろうか、徐々に弱り始めた。


 餌を口にせず、声をかけても耳を動かさず、ずっと眠ってばかりだった。あれだけ美しかった毛並みはばさばさになり、弱っていく体を心配する俺に噛みつき反抗した。


 狭いところに閉じ込めているストレスからだろうか、よく「みーんみーん」と泣いていたが、ある日ポックリと逝った。


 あの時の俺の心は無だった。

 悲しみもなく、寂しさもなく、ただただ虚無だった。

 俺の心はマヒしていたんだろう。

 それ以来、安定剤が手放せなくなってしまった。

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