3話
依頼者の住む所は日本でも有数の温泉宿がひしめく地域にあるため、来る途中で何度も浴衣姿の観光客とすれ違った。
事前に調べた情報によると、依頼者の家がある辺りは車が往来できそうな場所ではない。そのため、少し離れた位置のコインパーキングに車を駐車して、土産物屋などを覗きながらゆっくりと目的地へ向かった。
そうしてちょうどお昼ごろ、予定時間の30分前に目的地へたどり着いた。
あちこちで観光客の笑い声が聞こえ、とても雰囲気の良い土地だった。
依頼者の住所を聞いて嫌な予感がしたのだが、こちらの取り越し苦労だったようだ。実際にこの地へ来てみると情緒あふれる場所で、気持ちも晴れやかになった。
俺は目の前にある幅広の石階段を見上げてため息をつく。
ゴツゴツした20段ほどの石階段を登った先に「安杜成寺」という寺標が建っていた。
そう、依頼者は寺の小僧なのだ。
俺みたいな怪しい奴を頼らずとも自分でなんとかできそうなものだが、どういうわけなのだろう。
依頼者と何度かメールのやりとりはしたが、とりあえず一度来てくれの一点張り。一抹の怪しさもあったが、実際に寺が存在していることはネット上でも確認できたし、地元住民のブログにもこの寺が多く登場していることから地域に親しまれている場所であることは間違いなかった。
問題は「本当に依頼者がこの寺の関係者なのか」ということなのだが、交通費だけは先払いしてもらったため、騙されたとしても温泉に浸かって帰れるという考えで、こうやってはるばるAまでやってきたというわけだ。
仕事前に必ず飲む安定剤は来る途中の茶屋で喉に流し込んでいる。坊主相手であろうと堂々と振舞えば詐欺であることは見抜かれないだろう。
こんな時こそ紗里にいてもらいたいが、ここ最近はあまり事務所に顔を出さない。
報酬も払っていないのだからこっちから「来い」とも言えない。
「紗里」というのは俺の中学校時代の同級生だ。彼女は中学生の頃、夏祭りの帰りに誘拐事件に遭い、2年ほど行方不明になっていた時期がある。
同級生に発見され身柄を確保されたが、当時のことは何一つ覚えておらず犯人の顔すら思い出せない状態だった。
紗里が受けた精神的ダメージは相当なものだったらしく、その事件から10年以上経った今でも声を発せず、他人を避けるようにして家に引きこもっている。
そんな状態の紗里だったが、俺にはよくなついていて、時々家から抜け出して遊びにきてくれていた。俺がお祓い屋という商売を始めたことをきっかけに、無償でサポートもしてくれるようになった。
紗里は妙に勘が鋭く、俺以上に強い霊感を持っている。紗里の様子を参考にして事件解決にこぎつけた依頼が多数あった。
俺は心の底から紗里に感謝しており、彼女自身も俺に会いに来るために自発的に外に出るようになった。
そのお陰とは言い切れないが、ほんの少しだけ彼女の表情が柔らかくなってきたように感じる。
俺としてはこのまま順調に回復に向かっていくものと信じているが、心の傷というのは一朝一夕だ。良い時期もあれば悪い時期もある。きっと紗里は今その悪い時期を乗り越えようとしているのだろう。
万が一紗里が事務所に来た時のために、この寺の住所だけは書き記しているが、おそらく期待はできない。
俺は石階段をスタスタと登り、本堂らしき建物の方へ足を向けた。
昼間ということもあり、そこには20人ほどの観光客が参拝に訪れていた。各々、ゆったりとした様子で寺を散策しており、スマホ片手に何やら楽しそうに笑い声をあげているカップルもいる。
「安杜成寺」は大正時代に火事に遭い一度全てを取り壊しているそうだ。現在の建物が再建されたのは昭和に入ってからのこと。
寺の歴史を調べるために市内の図書館に立ち寄り、そういった情報は入手したが、これ以外に目新しいエピソードは何もなかった。
過去に凶悪事件が起こったこともなく、土地の成り立ちにも考慮すべき点はない。
依頼者を怯えさせて金を引き出す舞台装置は揃ってないな、そんなことを考えながら寺を眺めていると、俺の目の前を太い尻尾を揺らした丸っこい生き物がのっそのっそと通り過ぎて行った。
俺がその様子をじっと見ていると、背後から声がかかる。
「もしかして、椿風雅さん?」
「え?」
振り返ると片耳にピアスを付け、少し長めの茶髪をピンピンに立たせたヤンチャそうなイケメンが立っていた。
誰だこいつ。
俺の表情が不愛想な面構えに変化する前に、相手が笑顔で挨拶をしてきた。
「どうも、安杜満緒(やすもり みつお)です。わざわざ遠いところからすいません」
「……安杜さん?……あ、ああ。これはこれは、どうも」
だめだ、こりゃ。
俺は心の中で盛大にため息をついた。
今回の依頼は冷やかしだ。
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