龍馬と梅太郎 ~二人で一人の坂本龍馬~
橋本洋一
第1話序文
私は常日頃から彼のことを『
だからこの独り言のような書き物でも、私は龍馬と記す。それ以外の呼び方をしたことがないのもそうだが、なんというか、前述した通りでもあるのだが、たとえ死んだとしても私にとっての龍馬は変わらないのだ。
明治の世となり日本が目まぐるしく変わっていく昨今、隠居の身である私がこうして龍馬のことを書き綴っているのは、龍馬のことを後世に伝えたいわけではない。私自身、忘れないようにするためだ。
そう。維新の英雄と言われた、維新の三傑にも劣らない業績を残した龍馬を忘れないようにするためだ。あんな強烈な印象を与える龍馬を忘れるなど、本来はあり得ないし、あってはいけないのだけれど、私も歳を取ってしまった。だからこそ、備忘録として残しておこうと思ったのだ。
それにしても、龍馬は不思議な男だった。人間的魅力に溢れていて、実行力もあり決断力もあった。しかし、どこか無鉄砲で判断が早いところがあった。いつ足元をすくわれるかと周りを冷や冷やさせることも多々あった。だからこそ、皆は龍馬を助けようとした。そうでないとあっさり死んでしまいそうだから。
無論、私もそのうちの一人で、ガラにもなく名前を貸してしまったほどだった。浅学非才な私の知恵を彼が欲しがったときも、惜しみなく差し出してしまった。いや、しまった、という言い方は適切ではない。自ら進んで差し出したと言い換えるべきだ。
とにかく、龍馬は日本という国では収まらない、破格の度量の持ち主で、あれほどの素晴らしい才能と才覚を持つ男が弱冠三十歳程度で死ぬとは思わなかった。私が龍馬の訃報を聞いたのは、近江屋で殺されてすぐのことだった。そのとき、短い悲鳴を上げたことは未だに覚えている。
そして、龍馬を殺した男と会話したのもその日のうちのことだった。
下手人のことは後に記すとして、私が今語らねばならないのは龍馬という男のことだ。先ほどから褒めてばかりなので、あたかも聖人のようだと思われるかもしれないが、案外俗っぽいところもあった。
意外かもしれないが、龍馬は臆病なところがあった。重大な決断をしようとするときは常に怯えていた。それでも突き進んだのはその怖れを消そうとしたのだ。これは姉の
私は時として龍馬に二の足を踏んでほしかった。もう少し思慮深くなってほしかった。立ち止まることも、迂回することも選んでほしかった。もしかすると、真っすぐな生き方だったから、維新を成し遂げたかもしれないけど、友人としては柔軟に対応してほしかった。
柔軟。頑固者が多い幕末の時代。龍馬はその中で柔軟に対応してきたけど、結局は武士だった。曲げられないところは曲げず、真っすぐに突き進むその姿に、私も他の連中も魅せられたのだけど、末路を思えば悲しいことはない。
今だから思うのだ。龍馬ははたして、明治維新を生き残った後でも生きていけたのだろうか。おそらく政治家としての才はなかった。龍馬はあくまでも英雄であって、保守的な考えなどできないだろう。傍で見ていた、そして話していた私には分かる。
やるとしたら商売人だろうけど、それも方々に迷惑をかけて失敗したかもしれない。そう考えると近江屋で亡くなったのは龍馬にとって幸運だったのか。私は否と思う。友人として今の明治の時代を龍馬に見てもらいたかったし、何より生きてほしかった。希望を言っても失望で返ってしまう現実に辟易してしまうが、私は龍馬のことが好きだったのだ。
当然、文句はある。私も多大な迷惑を被ったし、いろいろな人を巻き込んで運命を狂わせたのだから。それに勝手に死にやがってという気持ちもある。もっと生きられただろうに。それだけは許せなかった。
だけど同時に感謝もあった。龍馬の破格とも言える先進的な考えを知ることができたのは嬉しかった。毎回驚かされたのも記憶に新しい。そして何より、一緒にいて楽しかったのだ。粗暴で礼儀を知らなかった龍馬だけど、そんな飾らない彼が面白くて仕方が無かった。
さて。前置きが長くなってしまったのは汗顔の至りだ。そろそろ龍馬について記そう。私の知る龍馬という英雄を。私の知る龍馬という人間を。私の知る龍馬という武士を。何にもならない駄文になる可能性があるけれど、それでも記そう。
それとついでに私の名を記しておこう。誰も興味はないと思うけど、一応筆者として残しておかねばならない。明治の時代まで生き延びてしまった、ただの老人なのだけれど、知りたいという酔狂な人のために残しておこう。知りたいという欲求は龍馬の最大の武器だった。
私の名は
そして今も返してもらっていない。
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