第23話 馬鹿を取り戻せ

「ふっ! ふっ! ふっ! ふっ!」


 リズミカルに吐く息と吸う息は一定量を心がけ、全身をダイナミックに使いながら走る。それを意識しつつ走り込みを開始して三日目、倉持 一樹は全身を襲う筋肉痛に心を折られそうになりながらも、必死の努力を続けていた。


「ふっ! ふっ! ふっ! ふっ!」


 時間はあと四日しかない。炭水化物を減らして、高タンパク質の食べ物を摂取し、更にしっかりプロテインを取り入れる。元々無茶な肉体改造は役者時代にお手のモノだったから、ただ痩せる、ただ太るというのは得意な分野ではあるが、今回はそうじゃない。


「しゅっ! はっはっはっ! しゅっ!」


 一樹が調べた限り、VRのトップと呼ばれているプレイヤーは、現実でしっかり体を鍛えているのが普通であるらしい。それは現実リアル非現実ゲームとの差異が少なければ少ない程に、自分の分身であるアバターを思うがままに動かす事が出来るようになる、らしい。


「ふっ! はっ! ふっ! はっ! しゅっ!」


 そう解説していた動画を見つけた時、凄く半信半疑であった。本当かよ? とほとんど疑の方が強かったと思う。ただ、その動画の配信者が本物であったのなら、その内容は一気に信憑性が増す。


『トップになりたいにぇ? VRゲームを上手に遊びたいにゃ? ならリアルで一杯訓練するのが近道だにぃ』


 冗談のようなイケメンなのに、冗談みたいな口調でしゃべるその配信者は、VR界隈で絶対に知らぬ者がいない超有名人。良い意味でも悪い意味でもその二つ名を轟かせる、VRゲーム界の伝説。


 そのプレイヤーの名はデミウス。『大天災』などと呼ばれる、生きるトラブルメーカーにして、様々な伝説を残したゲーム『スペースインフィニティオーケストラ』のデビジョン・ファースト終了まで頂点に君臨し続けた絶対王者だ。


 なので彼を騙るアバターだけを似せたパチモノと言うのは多く、一樹も最初は偽物だろ? と疑っていた。だが、色々と調べていく内に、あれ? マジで本物? と思うようになる。


『まず必要な事はにぇ、下半身だにゃ! 走って走って走り込め! この時に意識する事はにぇ――』


 真偽の判断をする為に調べまくって、その過程で逸話とかを知ったが、動画の彼は知ってしまった逸話のイメージとは真逆で、懇切丁寧に解説してくれた。だからと言うわけでもないが、この動画はデミウス氏本人によるモノであり、本物であると一樹は信用する事に決め、彼の提唱する方法論をやり遂げてみようと決意したのだ。


「はぁっ! はぁっ! はぁっ! きっつぅ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!」


 デミウス氏が提唱する訓練方法の中でも一番ハードなトレーニングメニューに取り組む事を決め、まとまった時間を手に入れるために溜まっていた有給を使い訓練を開始した。三日目になって本当に少しづつではあるが、体感として動けるようになってきている実感はある。だがまだまだ足りない。


 あれからギルド『第一分署』の事を調べてみて理解したのは、彼らが確実にVRガチ勢であるという事実だった。


 動画を見た限り、もしも一樹が全くの素人で、ただただやりたいです! という気持ちだけで彼らと合流しても、彼らならば快く受け入れてくれるだろうという予感はある。だがそれではダメなのだ。あの動画を見て感じた嫉妬、渇望、欲求……それら全てを、あの時の心を満足させるには、彼らと全くの立場と能力で隣に立たなければならない。


 自分が役者を志す切っ掛けとなったドラマ、『危険刑事 ~ハードボイルド~』の登場人物になる為に? 否。


 捨て去ったとうそぶいた未練、まだまだやれたとグジグジと腐ったように心の奥底で膿んでいたそれを『ごっこ遊び』で満たす為に? 否。


 一樹が見たのは、役者の究極系。役になりきるのではなく、物語の中でしっかり息をし、その大地に立ち、自然体で自分を表現する……大田 ユーヘイというプレイヤーは、本当に自然な感じで、所々に大柴下 キョージの雰囲気を纏い、全く自然な形でキョージの癖やタイミング、それこそ呼吸すらやっていた。妬ましい位に、渇望するレベルで、そうありたいと欲望を掻き立てる自然さで。


「はぁ、はぁ、はぁ、彼の隣に立つには馬鹿が足りない」


 業界を追い出された時に投げ捨てた、自分の役者としての原動力。役者馬鹿という名の魂を取り戻していない。


 ヤベェDEKAの名コンビの片方、大柴下 キョージの相方、高嶺之宮たかねのみや イッキ。自分が役者を志した憧れの俳優、盾樹 弘喜が演じたそのキャラクターを、今度は自分が自分らしく演じる。こんなに心踊る事はあるだろうか? いや無い。


 ただ勘違いしてはいけないのは、これが芝居ではないと言う事。これはあくまでもゲームであり、自分が自分達が全力で楽しまなければならない『遊び』である事を忘れてはならない。


 猿真似でもダメ、物真似でもダメ、がっちがちの演技も当たり前にアウト。目指すべきはどこまでもリスペクト、偉大なる元ネタを尊敬し、その上で自分が求める高嶺之宮 イッキとなるのだ。なんとハードな要求だろうか。今までこんな無茶振りをする監督はいただろうか、そもそも監督に無茶振りをされるような役柄を貰えた事もないが。


「ふふふふふ」


 流れる汗をぐいっと拭い、再び走り出す。


 この困難な配役を全うするには、真っ向から挑戦しなければならない。体力も技術も覚悟も、全てを磨き上げて望まなければならない。


 だが実に幸運な事に、イエローウッドリバー・エイトヒルズは超抜本的アップデートを行うと言う事で、丸々一週間のメンテナンスに入った。これにより『第一分署』の一員として立つ為の準備時間が出来た。日頃の行いが良いとは言えないのだが、哀れな馬鹿に機会チャンスを何者かが与えてくれたのだろうと、その何者かに感謝を捧げてとにかく走る、走る、走る。


「ふっ! ふっ! ふっ! ふっ!」


 これが終われば次はVRシステムを立ち上げて、今度はVR内でのアバターとリアル体との擦り合わせを行う。そしてヤベェDEKAリスペクトするならば、射撃の腕も必須であるから、射撃を練習するアプリも導入してある。


「あと四日っ! ふっ! ふっ! ふっ!」


 彼らと一緒に遊んだからと言って役者に復帰出来る訳じゃない。もうあの世界へは二度と戻れないのだから、当たり前の事だ。ならばこれは代替行為だろうか? いや違う。これは一樹が見つけた新しい道。たぶん直感的には役者をただやるよりも高度であり、もっと難しい究極の演者の世界。そう思っているのは自分だけだろうが、だからこそ自分が見つけた世界で勝負したい。


 うまくやれるだろうか? 彼らは受け入れてくれるだろうか? 自分が感じた事は真実になるだろうか? それをやったとして何が始まるんだろうか? 等々、フラッシュバックするように頭には色々後ろ向きな気持ちが浮かぶ。だが、それを上回るやってみたいという気持ちの方が強い。ならばここはその気持ちのまま勝負するのが正しいだろう。


「それまでにっ! ふっ! ふっ! ふっ!」


 あと少しで届きそうな気がする。あの日、あの時、あの場所に捨ててきた、自分の原点。あのただひたすらに走り続けていた馬鹿な少年の心に。




ーーーーーーーーーーーーーーーー


 都内にあるこじんまりした喫茶店。たまの贅沢で大介が利用する、ちょっとお高いコーヒーや紅茶などを楽しむそこに、大介はオフ会のような感じでノンさんこと山西やまにし いずるとダディこと山西やまにし 広樹ひろきと食事を共にしていた。


 今回のこの集まりの目的は、『第一分署の事件簿』の案件を受けた事への二人の説明を聞くために開かれたのだった。


 まぁ傍目から見ると、ヤクザを前に脅されている若夫婦という感じではあるが……


 そのヤクザ、いや権堂 大介は特徴的なつり目と三白眼を細目、うんうんと頷く。


「なるほどねぇ」

「怒った?」


 こざっぱりしたナチュナルメイクの美女。さっぱりしたベリーショートの茶髪を揺らしながら、きつめの美人と言った感じのいずるが不安そうに聞いてくる。


「ああいや、別に怒ってはないよ? むしろ凄い納得した。あのHALとKENTがどうしてSIOのデビジョン・ファーストをやらなかったのか、ってね」

「そういうアンタも災難じゃない。馬鹿な上司の嫌がらせ呼び出しとか、あり得ないわ」

「ははははは……はぁ、その時に始まった事じゃないからね……」


 リアルでも美男美女なんだなぁ、などと関心しながら、彼らがどうしてお金が必要だったか、その理由を知り大介は納得したと頷く。


「体はもう大丈夫なのかい?」

「うん、もうすっかり」


 健康美人という感じのいずるが、力瘤を作るような動きを見せ、それは良かったと頷けば、彼女は呆れたような視線を旦那に向けて、口を尖らせて言う。


「最新のVRリハビリシステムなんか導入するからすっからかんになるのよ」


 貯金がかっつかつになった原因を聞いた大介は、盛大に空気を飲み込み、小さく咳き込む。それを横目で見ながら、高身長でカラスのように真っ黒な短髪、スラリとした細マッチョのイケメン旦那広樹が陽気に笑う。


「ははははは、君がこうやって動けるようになったんだから、安い安い」

「もぉ」


 惚気る二人に大介は、何回か咳払いをしてむせたのを治し、ついで乾いた笑いを向けつつ、いずるが言っている最新のVRリハビリシステムの値段を思い浮かべ、広樹の愛の深さを知る。


 あれは完全に法人であるとか、専門のリハビリセンターとかで購入するモノであって、個人が買う物じゃないはずだ。決して妻の回復の為に! と個人で手を出せる値段ではない。


「そこまでがっつかなくても、アンタのお陰で数字は伸びたから、それだけでも行けるとは思ってたんだけど。突発的な事っていつ何時起こるか分からないじゃない? だから備えておこうかなって」


 夫婦の愛って深いなぁ、と遠い目をしていると、少し顔を赤らめていずるが誤魔化すように早口で言う。


「確かにね。そんな体験をしたなら尚更だろうね」


 大介としても微妙な空気感は困るので、彼女の言葉に同意して場の雰囲気を変える協力をする。


「断り難い感じに誘導しちゃって、本当にごめんね?」


 そんな二人の様子を含み笑いを浮かべて見ていた広樹が、軽い感じに謝罪した。大介はへへと笑って肩を竦め、気にするなよと手を振る。


「大丈夫だよ。怒ってないから」


 もうこの話はお仕舞いな? と大介が宣言すれば、二人も了解と微笑む。そうなると話題は絶賛アップデート中の黄物の事が中心となり、三人はあーでもないこーでもないと盛り上がる。


「本当に広樹っつぁんの案を採用するんかね?」

「どうだろう。凄いやる気満々だったけど」

「やるんじゃない? クエストの難易度はバグってたけど、内容としては一クエストのモノとしては破格のクオリティだったし」

「「ああー確かに」」

「早くやりたいなー」

「だね」

「同意」


 大変だったし酷かったし、だけど最上級に面白くて楽しくもあった黄物のDEKAクエスト。現在はお預け状態だが、早くログインしてやりたいという気持ちが大きくなっている。ただそれ以上に思う事もあって、三人は全く同じ事を同時に口に出した。


「「「でも頭数がなぁ」」」


 三人は顔を見合わせ、そして苦笑混じりに溜め息を吐き出す。


「人、増えるかな?」

「今回のアプデで、どこまで緩和するかによるような気がするんだよね」

「でもでも、公式のあたしらのPV、えげつない再生数叩き出してるわよ? あれで増えたりしない?」

「「俺らと同じプレイヤースキル持ってる奴おる?」」

「……そこがあったかぁ……」


 ドラマPVと銘打たれた『第一分署の事件簿 ―ファーストファイル強奪―』は現在凄い勢いで再生数を伸ばしている。だがあれは、啓発動画と言うよりも完全に娯楽か、そうでなければユーヘイやノンさんのスーパープレイを見る為の動画と位置付けられている。あれを見てやってやるぜ! と決意するような奴は――


「馬鹿だな」

「馬鹿だよね」

「馬鹿よ馬鹿馬鹿」


 三人はふふふと笑い、それでも増えると良いねーと笑い合うのであった。

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