恩返しだなんて、おもってくれなくてけっこうです
◇
パン屋さんの手伝いは夏休みが終わるまでの十日間。
それだけあれば新しいバイトを雇い入れるまでの目途がつくらしい。
営業時間はだいたい朝から夕方まで。定休日は週一日……だったのが、叔母さんの事情によりしばらくは週二日になるそうだ。
俺のシフトは部活のない日はフルタイム、部活のある日は午後からとなっている。
短期間だし、お手伝いの身分でバイトの時間を制限していることに申し訳なさを感じたが、日生さんいわく“数時間でもはいってくれるだけでありがたい”とのこと。お店の規模が小さいため、必要人数もそんなに多くないが、それだけに一人いるかいないかで全然違うのだという。
長船も“いてくれるだけでありがたい”と言っていた。彼女のそれは少し意味合いがちがうとおもった。
なお、この話はリョウタたちや部活の連中にはしていない。
シフトを調整していただいたおかげで練習に
だが、早乙女だけはなにかを察しているようで、こちらを見る目が険しかった。
というか血走っていた。もともと
「あ、それ私です」
「おまえかよ」
けろっとした顔で
連絡先を交換したのは見ていたから知っているが、その後も交流がつづいていたとは。
他人の友だち事情に首を突っこむつもりはないけど、どうか加減にだけは気をつけてほしい。やつは、俺をヤりうる。
「野鳥の生態記録じゃないんだから。いちいち報告する必要もないんじゃねえの」
「甘いですよ、先輩。盤外でもつねに駆け引きは行われているんです」
「戦争でもしてんのか」
「言い得て妙ですね。人生、かかってますから」
またおおげさな、と呆れるも彼女の目は本気だった。
俺の知らないところで退けない戦いに身を投じているらしい。いろいろと忙しいやつだ。
パン屋さんでのバイトは大変だった。
素人ゆえ、早朝からパンを作るためのあれこれを手伝ったり、仕事があったりするわけではない。陸上部で走りこんでいるし、体力にもそれなりの自信はあった。
が、いくら体力に自信があるといっても、精神面ではまだまだ未熟だったらしい。
接客やパンの品出し……お店のたいせつな商品を扱うときは緊張する。仕事は比較的すぐにおぼえられても、慣れるということはなかなか無く。
自分でも気づかないうちに、気を張っている状態がつづいたのかもしれない。
「先輩、だいじょうぶですか?」
疲れが顔にでていたのか。パンをならべおわり、トレイを片手に考え事をしていると、うしろから声をかけられた。
心配そうに眉をよせた長船が、ひょこっと店の奥から顔をだしている。
パン作りの工程に
そんな彼女を見て、おもわずつぶやく。
「おまえって、すごいな」
「え、なんですか、もっとほめてください」
うれしそうな顔でとことこ近寄ってきた。彼女の心配は虫よけより効果の切れが早いらしい。
「カナのこと、けっして甘く見てたわけじゃないけど。これを高校に上がる前からやってたんだろ? とてもじゃないけど、俺ならつづかなかったとおもう」
「先輩だって部活、つづけてるじゃないですか。それと同じです。私にとっての好きが、ここだったんだとおもいます」
なんてはにかみながら、頭をこちらに差し出している。
つられて手をのばしかけた。油断も隙もない。
「私には趣味というか、のめりこめるようなものがあんまりなくて。中学まではかなり無趣味な子でした」
「……ほんとうに?」
「む、なんですか。その信じられないといいたげな顔は」
いや、びっくりというか。どちらかといえば目にうつるものすべてに手をだす印象だった。
「だれがミミックに引っかかるタイプですか、ひどい風評被害です」
「そこまではいってな───いや、あたらずともか」
直進タイプだし。迷路でいえば、
「出会いから今に至るまで、だいたいそんな感じだったかと」
「……好きなものにかぎり、です。なんでもかんでも手をだそうとか、関わろうだなんておもいません」
言って、すこしだけ目を伏せる。
どこか陰をふくんだ表情だ。それから彼女はおもいだすように、とつとつと語りだした。
「人とかかわるのがキライ、ってわけじゃないですけど。この見てくれですし、それなりの恩恵もあったけど、それなりの面倒も体験しました。しょうがないっておもう反面、自分からなにかをしようとしなくなったというか」
中学時代は部活にも入らなかったらしい。
“自分がいると迷惑がかかるから”なんて
そうやって目につく色々なものから距離をとっているうちに、自分はなにが好きなのかも分からなくなってしまっていたらしい。
「そんなとき、叔母さんが私に声をかけてくれて。“やりたいことが見つからないなら、いっしょにパンを焼いてみない?”って」
彼女の叔母さんには会ったことがないが、叔父さんと同じでもの静かな人なのだとか。
かわいがってもらってはいたけれど、そういう積極的にお誘いをするようなことはめずらしい。パンづくりにも興味はあったし、彼女たちのお店にも愛着はあるし、なによりやりたいことがないというのも本当だ。
怖さや、不安もありつつ、おもいきって誘いにのってみた。
そうしたら、
「おもっていたより、人と何かをするのは、たのしくて。働いてる人たちもみんないい人で、お客さんがありがとうって笑ってくれるのが、うれしくて。───おもったんです。ああ、私って人間だったんだなって」
「……いや、そんな死期を悟った暴君みたいな」
「おもいあがってたというか、特別あつかいみたいなのがあったのも事実ですから。まわりからいい子いい子されて、しょうじきうんざりだったんですけど……でも、発見もありました。かわいいとお客さんがパンを買ってくれて得だとか」
それはあまり教訓にしてほしい人生経験ではない気がする。が、経験というならそれだけではなく。
「仕事ができて褒められたり、ミスをして叱られたり、叔母さんたちやお客さんにたくさん感謝されたり───人間あつかい、っていうと大げさですけど、ここでは混じりけなく私が認められた気がして」
人の輪のなかにあって、ここにいていいのだとおもえるような感覚。そういう気持ちは、わかる気がする。
「私にとってこの場所は、第二の
好きなんです、と。
ほんとうにうれしそうに彼女は笑った。温かで、こちらもおもわず微笑んでしまうような笑みだった。
それくらい、彼女にとってこの場所が大切だという証のようにおもえた。
「だから、その」
黒く、細められていた両の瞳が、くい、とこちらを向く。
「その、まあ、はい……先輩には、感謝をしています」
「……ん、俺?」
はい、と、どこかぎこちない感じでうなずく長船。
「今回はほんとうに、困ってましたので。先輩が手伝いにきてくれて助かりました」
「どういたしまして、だけど。俺じゃなくてもおまえを助けてくれる人ならたくさんいたとおもうぞ」
「……それはそうかもしれませんが、大切な場所をあずけられるひとと、助けてほしいとおもえるひとの両方をもってる人物は、なかなかいませんよ?」
ほんのりと顔を赤くしながら、ふい、と視線をはずされた。それが限界だったらしい。
そんな彼女をみて、俺は今度こそ
「───よかった。少しは返せたみたいで」
「……? 返せた、ってなにをです?」
「いや、日頃の恩というか」
彼女から受け取ったもの。いまももらいつづけているもの。
正直に言うのは恥ずかしいし、ただしく言葉にするのもむずかしいが。たしかに在って、糧になってくれている。
それを返していくことは、俺としてはかなり重要なことなのだが。彼女にとってはそうでもないらしい。まじめですね、なんて呆れた顔をされた。
「あいかわらず律儀というか……前世はきっと
「いやでも、もらってそのままは人道に
言いながら、だんだんと語気が弱まってしまう。
自信がなくなってきた。感謝の気持ちも、行き過ぎればただのお節介になってしまうし。
そんな俺の弱気をぶったぎるように、
「恩返しだなんて、おもってくれなくてけっこうですよ。そもそもそんな話をするなら、私だってもうたくさん先輩からもらっているので」
「……なにを?」
「幸せを、です」
胸に手をあて、キメ顔でそう言いきった。
……あらためておもう。そう言いきれることが。
「……カナは、すごいな」
ため息とともに、知らず、ほほえんでしまう。
俺がうじうじと悩んで立ち止まっている間に、彼女はもう何歩も前をあるいているみたいだ。
歳がひとつ上なんて関係ない。互いに歩んできた道のりは違くて、俺には俺の、彼女には彼女なりの苦労がある。そうして良いところや悪いところを
彼女を形作る過去も、目のまえにある今も、尊重したいとおもう。
───また。どうにも俺はもらってばかりだ。
不要だと彼女はいったけど、やっぱり俺は、大切にしたい。
「ずっとおもってたけど。働いているときのカナはとくに、大人って感じだった」
「えっ! わたし、大人ですか! 大人の魅力むんむんですか!?」
人間的に、って意味だったんだけど。
言わなくてよかったかもしれない。ぺたぺたと自分の体をさわっている彼女を見ていると、そうおもう。
「いえ、なめないでくださいね。私のセクシーさはまだまだこんなものじゃありません。なんせ、あと二段階くらい
「カナはすごいなぁ」
もう違う生き物に見えてきた。
彼女に追いつける日はこないのかもしれない。物理的な意味で。
◇
ちょっとした後日談。
数日後、パン屋さんでのお手伝い期間を終えた俺は、
聞くところによると、この度のバイト募集では新たに三人がはいってくれることになったとか。ほかのメンバーも戻ってくるらしく、とうぶんは大丈夫そうだとのこと。
「まだいてくれたっていいのに」
日生さんは残念そうだったけど。申し訳ないが、はっきりと断らせていただいた。
「そう言っていただけるのはうれしいですけど……やっぱり、このままだと甘えちゃいそうなので」
はたして、伝わったのかどうか。
日生さんはびっくりしたような目で俺を見つめたあと、笑ってゆるしてくれた。
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