◇3 イメチェン

 次に起きたのは、2日後の朝。呼び鈴を鳴らして慌てて来たこの家の執事カーチェスにそう聞いた。2日も寝室から出てこなかった為この屋敷の皆が心配していたようで、疲れていたと言っておいた。


 そこまで寝ていたのかと自分でも驚いてはいる。寝すぎて逆に身体がだるいとかそういうのはなく、むしろスッキリして身体が軽かった。この身体に一番必要だったのは睡眠だったという事だ。てか、こんなにいい寝具使っておいて何であんなに疲れてる顔してたんだ? もしかして寝てなかったとか? 徹夜?



「朝食は如何いたしましょう」


「すぐ取る、用意してくれ」


「……え?」



 あぁ、そういえばこいつ朝食取らないんだっけ。でも2日も抜いて腹ペコなんだ、そんな事出来る訳ない。空腹過ぎて死にそうなんだから。



「ルアニスト侯爵令嬢から手紙は来てないか」


「は、はい、こちらに……」



 慌てて、持ってきていたらしい手紙を渡してくれた。おぉ、なんか金色の装飾がされてるぞ。このレターセット一体いくらなんだよ。


 しかもこの封蝋って言うんだっけ。これ見たの初めてだ。蝋燭垂らしてハンコ押すんだっけ。やってみたいと思ったけど、これから嫌というほどやる事になるからな。


 手紙の中には、婚約破棄の為の書類が3枚。本来ならこちらが用意し、サインをさせ皇室に出すのが普通だ。だが2日も待たせてしまいきっとしびれを切らしてあっちが用意した、という事だろう。


 したいならそっちが用意しろ、何とも失礼なやつだ。やってしまったのは俺だが。でも眠かったんだから仕方ないだろ。


 てか、日本語とかじゃないのに普通に文章が読めたな。この身体のせいか?


 令嬢のサインを確認した所で用意させたペンで自分の名前をサインした。自分の名前、というより、こいつの名前、が正解か。


 大丈夫かな、とも思ったけれど案外すらすらと名前がかけた。ちゃんと書けるしちゃんと読める。助かったな。


 これを入れて皇室に贈ってくれ、とカーチェスに指示した。



「……あの、ダンテ様、もしや、ルアニスト嬢と何か……」


「あぁ、婚約を破棄した」


「……え?」



 まぁ、信じられないだろうな。あんなに令嬢に付きまとわれていたのに、婚約破棄出来たなんて、と。だがこれは事実だ。令嬢のサインまであるのだから信じざるを得ないだろう。



「向こうがそう言ってきたんだ、第二皇子と婚約したいとな」


「な……なんと……」



 まぁ、その反応は正しいな。まさか乗り換えるなんて思っても見なかっただろう。人としてどうなんだ、と普通なら思うはず。俺だって思うし。



「あぁ、午後に理容師と洋装店を呼んでおいてくれ」


「……え?」



 眼、飛び出そうだぞ。まぁ気持ちは分かるけどさ。でもそれは良いから早く飯にしよう。腹が減って死にそうだ。



「カーチェス、準備してくれ」


「はっはいっ!!」



 朝から元気な事だな。カーチェスは72歳、そんなお年寄りでも真っ直ぐしっかりした姿勢でこんなに元気なんだ。若者の俺達は見習わなければいけないな。


 支度をして部屋を出た俺達を見た周りの使用人達は……驚いた顔をしていた。まぁ、2日間も引きこもっていたし、この道の先は食堂だ。カーチェスも驚いた通り、この時間にはダンテは食事を取らないからな。


 まぁ、気にするだけ無駄だな。そう割り切ってさっさと食堂の席に付き、食事を始めた。あぁ、俺にはダンテの記憶もあるし、身体が覚えてるって言うのか? なんかそんな感じだ。だから貴族の礼儀作法はきちんと出来ているし、それに俺も前世でテーブルマナーとかを習っていたからこれくらい楽勝だ。


 こっちの飯は、地球と同じ。それにここは公爵、しかも格上の家の屋敷なだけあって料理が絶品だ。死にそうなくらい空腹の俺の腹を十分すぎるほど満たしてくれた。


 周りの使用人達は、まぁ言わずもがな。目が飛び出そうだった。まぁ、目つきが変わったんだからそうなるわな。四六時中睨んでたし。




「え……バ、バッサリ、ですか」


「あぁ、ショートにしてくれ」



 午後に呼んだ理容師の人はすぐに来た。恐る恐る、といった感じの態度をとる40代くらいの女性。まぁ、理容師なんて呼んだことがないし、あの件もきっと噂になっているだろうからな。ほら、あの元婚約者が放ったあの言葉だよ。


 大勢が聞いていたし、2日間もあったんだ、もう既に広がっているに違いない。


 では失礼します、とパサ、パサ、と髪が切られていく。あぁ、これでこのうっとおしい髪とおさらばだな。食事中も本当に邪魔だったし。



「こ、こちらでよろしかったでしょうか」


「あぁ、ちょうどいい」



 さすが、カーチェスが呼んだ理容師だ。仕事が完璧。まぁ前世ではこれよりもっと短かったが、この顔にはちょうどいいか。



「さっぱりしたよ、ありがとう」



 その言葉に、彼女はタオルを落としてしまった。口をあんぐりさせて。それもそうだ。ダンテが目下の者に「ありがとう」だなんて一言も言った事がないのだから。


 つい自然と出してしまったが、出さない方が良かっただろうか。でも、俺はちゃ~んと人付き合いの礼儀作法を知っている。こいつとは違って。


 まぁ以前のダンテのように演技をしたところでどうせぼろが出るんだ、いつも通りにしていればいいだろ。変わりましたね、と言われても……まぁ、乗り切れるか?



「もっもっ勿体ない御言葉ですっ!」



 まさかの追い打ちに、彼女は顔まで赤く染めていた。そう、さっきつい笑顔も出してしまったからだ。いいな、やっぱりイケメンは得だ。こいつの場合はもっと。これは使えるな。



 次に来たのは洋装店。こっちも超有名、興味のないこいつの耳にも入るほどの人気店だ。よくここに連れてこれたな、とも思ったけれど頼んだのはこのブルフォード公爵家だからな、何事かと急いで来たのだろう。


 持ってきてくれた洋服を着たマネキンを並べられる、が……



「黒はいい、もう持ってる」


「……えっ」



 目の前の服は黒、黒、全部黒。そう、ダンテは何時も黒を着ている。クローゼットの中は全て黒だったから仕方なく今着ているのも黒だ。葬式じゃないんだから、他の色をさすがに着たい。



「派手なものはいらない。落ち着いたものを見せてくれ」


「はぁ……」



 装飾も控えめに、白、青、緑などの服を少し多めに購入した。この家には余るほどの財産がある。大量に入るがこいつは全く使わないからだいぶ溜まっているのだ。だったら、埃を被らせず使ってあげたほうがいいに決まってる。経済も回るってもんだ。


 これから、屋敷の中も見ていくつもりだ。もう屋敷の中はお通夜状態。こんな所で生活するなんて耐えられないだろう。使用人達も働いて楽しくないに決まってる。


 俺は労働者には楽しく働いてもらいたいと思ってる。あぁ、勿論甘やかすという訳ではない。必要な時には厳しくするつもりだ。ブラックな職場は俺は嫌いでね。もう経験したからよく知ってる。あの職場は本当に酷かった。


 まぁもうここに来てしまったのだから忘れよう、うん、それがいい。




 そんな公爵、そして公爵家の劇的な変化は瞬く間に社交界に広がっていった。


 皆思った事だろう。婚約破棄してからここまで変化してしまうなんて、一体どうなっているのだろうか、と。




「令嬢が離れていってからのイメージチェンジ、きっと令嬢の方に何か問題があったのでは? という考えが出てくるだろうな」


「公爵様……それは、令嬢への、その、言い方は悪いのですが……」


「腹いせのつもりか、と言いたいのか?」


「……」



 口ごもるカーチェス。まぁ、彼女は色々とやらかしてくれたからな。そう思うのも無理はない。



「あんなデタラメを言いふらしてくれたんだ、これぐらいいいだろ」



 あんなデタラメ、とは。不能男、と言い放った事だけではない。あれからある事ないことパーティーやお茶会で言いふらしているらしいのだ。


 今までだって、あんなに素っ気ないけれど本当は恥ずかしいだけで自分にご執心だとか、いつも時間が空けば私の元へ来てくれるだとか、いつも言い寄られるとか言っていたらしい。な訳ないだろ、この興味なしのクズ男だぞ? しかもそっちにだって非はあるだろ、本当にやってくれるな。



「……確か、ルアニスト侯爵の行っている事業は絹糸紡績ぼうせき業だったか」


「は、はい。……ま、さか、公爵様……」


「あぁ、その通りだ」



 あの貴族達の集まる中不能男だと言い放ってくれたんだ。そのお陰でこれから俺は貴族に会う度会う度変な目で見られる事になるだろう。なら、お礼はキッチリしなきゃなぁ?


 ダンテは仕事はするが領地事業は全くしないやつだった。事業をしなくても他から金がわんさか入ってきたからだ。なら、少しでもこの国の為に貢献するのも悪くないだろ。まぁ、それは建前だがな。



「カーチェス、領地にいる者にアレ・・を持ってくるよう言ってくれ」


「アレ、ですか……?」


「あぁ」



 さぁて、どうしてやろうかな。


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