Case.久我光正
「へえ、それで? お前は人外の女すらたらしこんだと」
「人聞きの悪い。向こうが勝手に来ただけだ」
本人は否定するが、少なくとも和良木ほか周りの人間はそうだそうだと同意するだろう。
四角四面の堅物にして、誠実さの塊。移り気の欠片も見えない。
しかしそんな紳士な久我は、今までに数度「このままじゃ私がダメになる」と、付き合った女に刺されている。和良木が知る限り、確か三度だったか。
大学から知り合い、それ以前のことを知らない和良木ですらそのことを知っているのだ、もしかしたらその前にも刺されているのかもしれない。
そんな無自覚な女たらしの久我が、今度は人ではない女をたらしこんだというのだから、友人の和良木としては周囲に人がいる食堂でなければ指をさして笑い転げていたところだ。
「顔は?」
「帽子をかぶっていてよく見えなかった」
「見た目は?」
「薄汚れた白いワンピースの長髪。それから俺より背が高い」
ワンピース! しかも白! なんて典型的な。さらに笑いが込み上げてきた。
「んぐっ、ふ、ふふ、お前。それで、なんて言って迫られたんだ」
「ただつきまとわれて、繰り返し笑っているだけだ。実害はない」
今のところは。
ふむ——和良木は今まで蓄積してきた怪談や都市伝説を探った。趣味と実益を兼ねて蒐集してきた知識は、すぐに答えを導き出した。
「ふーん、……八尺様ってところか?」
「はっしゃ……何だって?」
「八尺様。知らないか? ぽぽぽ、とか言って男を追い回す大女の怪異だよ」
「は?」
「でもお前は特徴的な声は聞いてないんだろう?」
「ああ」
じゃあ違うか。和良木は考えていた可能性を捨てる。
インターネットで発生した怪談とはいえ、本物が混じっている可能性だってある。けれど、今回はハズレだったらしい。
「おれが求めてるのは本物なんだがなあ……」
それからもう一つ、気に掛かっていることを聞く。
「で、お前にコンタクトを取ってきたラボ、っていう連中は信用できるのか?」
「……分からない」
久我は首を振る。表情に困惑の色が見えた。
「正直……混乱してる。怪物がどうとか、刀がどうとか」
「怪物? それに、刀、だって? 化物ハンターでもするのか?」
「あながち間違いでもなさそうだ」
正気か? と言いそうになってギリギリ耐える。いくら怪談や都市伝説を蒐集している和良木とはいえ、さすがに信じられない。
和良木は溜息を吐いて懐から携帯電話を取り出した。
「とりあえずそのラボって奴らの電話番号教えろ。なんかあった時は掛けてやる」
「……お前、スマートフォンにしないのか?」
「ガラケーの方が風情があって好きだ。閉じるの楽しいぞ」
「そ……そうか」
久我からラボの連絡先を得た和良木は、携帯電話を閉じ、懐にしまった。
**
「……それで、なんでついてくるんだ」
「その白い女を拝んでみたくてな」
外は光がしみるな、と和良木はサングラスの位置を直す。
「お前日光苦手だったろう」
「まあな。でも日焼け止め塗ってサングラスかけとけばなんとかなる」
「吸血鬼か何かか」
「可愛い子の血なら吸ってみたいもんだ」
「……」
久我が「なんだこいつ」とでも言いたげな視線を送ってくる。
「そもそも、なんでお前はそんなに怪談が好きなんだ」
「本物に会いたいからに決まってるだろ。もしかしたらお前の追っかけしてる奴が本物かもしれないしな」
「あの女が?」
「ああ。それが本物だとしたら——」
ぞくり、と背中に寒気を感じて立ち止まる。
「ふふ、ふふふ、ふ、ふふフふ」
笑い声。
和良木がゆっくりと振り返ると、そこには背の高い白い女が居た。顔はよく見えないが、口元が三日月に歪んでいるのだけは何故か判別できた。
「和良木!」
久我が和良木の背を叩く。現実に引き戻された和良木は、一瞬久我に視線を送り駆け出す。久我もほぼ同時に走り出した。
「っあれがお前の言ってた女だよな久我ァ!」
「そうだ! 歩きは遅いが……」
「ふふフふ、ふ、ふふ」
「なんっ⁉︎」
通り過ぎる角。視界の左の隅に、後方に居たはずの女が立っていた。
「いつのまにか移動する!」
「先に言え!」
二人はそのまま走り続ける。どこまで逃れればいいのかは分からない。
歩みの遅い白い女は時折和良木達の近くに移動しながら追ってくる。先に体力が尽きるのはこちらだ。
そんな二人の横を大きい車両を通り過ぎていく。悪態を吐きたくなった和良木だったが、その車両は予想に反して二人の前を塞ぐように停車した。
車両のドアが開く。黒髪の少女が顔を出した。
「乗ってください」
「お前は?」
「和良木、彼女は——」
「私はラボ東京支部の者です。乗ってください久我光正さん。そちらの貴方も」
**
白い女を突き放して停車した車両――どうやら装甲車のようだ――の広い内部で、和良木と久我は黒髪の少女と老紳士の二人と対峙していた。
黒髪の少女は見た目の年齢に似合わずスーツを身につけている。
「申し遅れました。私は
「……どうも、和良木柳だ」
機械的な印象を受ける少女だ、と和良木は思う。
「まず、こちらの対応が遅れたことをお詫び申し上げます。久我光正さん」
「いや……」
「あいつ、瞬間移動じみたことしてきだぞ。どうするつもりなんだ?」
和良木はまだラボを信用していない。もともと、久我から話を聞いた時点で半信半疑だったのだ。
「おびき寄せます」
「どうやって?」
「——
「はいよ」
鞍手と呼ばれたのはスーツ姿の老紳士だった。鞍手は彼の背中の中ほどまである高さの金属の箱をキャスターで転がして来た。
「この中には儂の武器が入っているんだけど、コイツは面食いでね。そっちの彼に心変わりしてねえ。長く連れ添ったのは儂なのに」
鞍手は箱をぽんと叩く。
「叫刀が騒げば怪物をおびき寄せることができます」
「さあ……開けるよ。久我くん、うるさくなるから早めに握ってね」
「うるさく?」
和良木の問いはスルーし、鞍手が箱を開ける。その瞬間、車内が絶叫で満たされる。
和良木は思わず両手で耳を塞ぐ。うるさすぎる! スーツの二人組は慣れているのか耳を塞いでいない――いや。耳栓をしていた。
和良木は久我を見ると、久我は顔を目一杯顰めながら箱の中の刀に手をのばし、その柄を握った。
するとあれほどうるさかった音がピタリと止んだ。一気に静寂に移ったせいか、少し呼吸がしづらいような気がした。
「君が握ったのは
鞍手は久我を見る。
「厄介なのに好かれたねぇ、君も」
**
作戦はこうだ。
久我と和良木が白い女の注意を引き、その間にラボが白い女を仕留める。
周りに被害が及ばないように、場所を郊外の森に移した。
二人は適当な木の根元に座り込む。和良木がタバコを一本取り出し咥える。
「お前、タバコ吸うのか」
「いいや」
和良木は懐からライターを取り出して、タバコに火をつける。浅く吸うと、ゆっくりと煙が立ち昇った。煙を吐き出す。
「うげ……魔除けだよ。魔除け。聞いたことないか?」
「いや……」
「ともかく、煙が魔除けになるんだよ」
手に持ったタバコから昇る煙を見ていると、ふと背中に怖気が走った。
張り詰めるような、この感覚。
「来たか……」
視線を久我に送る。
動くな。
和良木の視線の意を汲んだのだろう。久我は少しも動かないように、地面に視線を落とした。
「ふふ、ふフふ、フフふふ」
笑い声。
次の瞬間には、そこに白い女が立っていた。
ずり、ざり、と一歩ずつ一歩ずつ、白い女が和良木と久我の周囲を廻る。
ずり、ざり。ずり、ざり。
「みぃづ、まざ、ザァんん」
久我の名前だ。
和良木のタバコが、じりじりと短くなっていく。
残り五センチ。
「みぃィいヅまぁぁァ、ザあさぁああん」
白い女は、腰をぐにゃりと不自然な方向に曲げて、久我の顔をのぞき込もうとする。
残り四センチ。
「みぃいいぃいいいィい」
久我は視線を落としたまま、微動だにしない。
タバコの火がフィルター部に到達した。
ずり、ざり、ずり、ざり。
引き摺るような音が遠ざかっていく。やがて、和良木のタバコが指を焼きそうなギリギリまで短くなった頃、音は聞こえなくなった。
「……行ったな。ラボの連中はまだ来ないのか」
和良木はタバコとセットで購入していた携帯灰皿でタバコの火を消して懐に仕舞う。
「顔……」
「ん?」
「あの女……見覚えがあった」
「ほーう? 身に覚えがないって言ってなかったかお前」
「……一度、本当に一度きり、道で会った、と思う」
久我は一度、溜め息を吐く。
「転んだのか、荷物をぶち撒けていてな。その回収を手伝った。それだけだ」
「それだけ? 口説いたとかではなく? もしや褒めたりしたか?」
「口説くわけないだろ。褒めは……」
「したんだな?」
「……荷物の中に、写真があった。よく撮れてると言っただけだ」
ああ……。和良木は納得した。久我はそういうところがある。人の長所を見つけるのが上手いのだ。そしてそれをストレートに伝える。それが災いして白い女に目を付けられたのだろう。
「その時は人間だったのか?」
「ああ。あんなに背は高くなかった」
「ふうん。人から化け物になる……か。そん——」
ふと和良木は久我の居る方へ目を向けた。
こちらを向いた久我の横に、あの白い女が居た。
「っ久我!」
白い女の細長い腕が、久我を絡め取ろうとした時。
切り裂くように光が差した。
「!」
和良木は立ち上がり光の発生源に目を向ける。
「あの車……」
車両の強いライトを背に、誰かが立っている。
黒髪の、スーツを着た少女――黄鷺都稲だ。
その姿には不釣り合いな日本刀と思しきものを携えている。
「抜刀申請。黄鷺都稲、
カチッと何かの音がやけに大きく響く。
黄鷺の右手が、黒い鞘から黒い柄と黒い鍔、黒い刀身を引きずり出す。
刀身は何処までも暗く昏く黒く、影を凝縮したようだ。光を反射していない。
ぐりん、と白い女は黄鷺の方を向き、目を見開いた。ぎょろりぎょろりと動く視線が、刃を向ける黄鷺の姿を捉える。
「ミぃぃづぅゥうまざサぁああぁアぁ」
白い女は奇妙に曲がった細い腕を少女へと伸ばす。
黄鷺は最低限の動きで白い女の腕を避ける。すれ違い様に、黄鷺の刃が白い女を軽く撫でた。
不自然に白い女が停止する。
「み、……みぃぃい、ィ、イ、ィ……ぃ……」
びくりと一度体を震わせ、白い女は地に崩れ落ちた。
「対象、沈黙しました。業務終了」
黄鷺は無感動に刀を鞘に納めた。車両からは宇宙飛行士によく似た格好の者たちが降りてくる。
黄鷺はそのままつかつかと久我ではなく、和良木の方に近づいてくる。
「おい……あれで倒せたのか……?」
「はい。問題はありません」
白い女はピクリとも動かない。活動を停止しているようだ。和良木の前に黄鷺が立つ。
「和良木柳さん。あなたは部外者です」
「……何?」
黄鷺は懐から黒い銃を取り出す。
「本来、怪物や
撃鉄を起こす音。引き金が引かれる。
バチン、と和良木の意識は黒く塗り潰された。
**
「災難だったな、久我。ストーカーに付き纏われて挙句の果てに警察沙汰になるとは」
「和良木」
翌日。
和良木は大学の食堂で久我と会った。久我は少し驚いたような表情を浮かていたが、和良木は気にせず続ける。
「おれも事情聴取されたぞ。得難い経験だったな」
和良木はサングラスの位置を直した。
「背の高い白いワンピース姿の女を知らないかってな」
「……和良木、お前忘れてないだろ」
「なんのことだ?」
そうだ。
和良木は何も忘れていない。そして、記憶の消去は和良木には効かない。でもそれを、久我が知る必要はない。
久我はこれからあの怪物たちと関わっていくのだろう。それなら、余計なことは知らない方がいい。
「なんだか知らんが、気にするなよ」
ばしばしと久我の背中を叩くと、すぐさま小突かれた。
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