第23話:僕のペンネームには意味がない!

 日曜日、僕は一人で天神のある喫茶店に向かった。「天神」は福岡の繁華街。九州においては九州中から若者が集まる街だ。


 先日、僕のところに電話が来た。


『猫猫出版の者ですけど、ちょうど今度福岡に出張が入ったので、一度 お会いできないかと思って電話しました』


 僕の手は震えた。相手は大人。ちゃんと仕事として出版をしている人。対して僕は高校生。本気でやっていると思ってはいるけど、これといって実績がないので執筆は部活の延長上と言われてしまえばそれまでだ。


 自分の本が書籍化されて書店に並ぶとしても、僕はそれをどこか他人事のように思っていた。あまりにも現実味がなかったからだ。


 でも、リアルに電話がかかってきた。これまでは、「大和」という人とメールでやり取りをしていた。


 データを送った先も大和さんだ。


 僕は緊張しながら約束の喫茶店に向かった。こんな時、服はどうしたらいいのかと本当に悩む。大人はスーツがあっていいなぁ。


 高校生の場合は……制服だと子供っぽいと思われないだろうか。それでも、大人っぽい服で私服っぽくない服など持っていないし、そんな服は存在しないと思うので、甘んじて子供っぽさを受け入れよう。相手はプロの出版社。ここは胸を借りるつもりで行くことにした。


「あ! こっちこっち!」


 店内に入ると爽やかな20代(であろう)男性が軽く笑顔と共に右手を上げて声をかけてくれた。


 店内はファストフードより落ち着いた感じのお店。カフェというより喫茶店。テーブル10卓とカウンターのお店は、日曜日の午前中だからか、お客さんが半分も入っていなかった。


 僕も相手の顔を知らないし、相手も僕の顔を知らない。僕が制服で行くことを伝えていたので分かったのだと思った。お客さんが少ないことも相まって他の何でもない高校生と間違われることはなかった。


 男性は、どちらかと言うと「お兄さん」という感じで、馴染みやすい表情をしていた。この爽やかすぎる笑顔は僕の周囲にも誰か似たような雰囲気の人がいたような……。まあ、そんなのもあって僕は変に緊張しすぎることもなく挨拶できた。


 僕がテーブルに近付くと、男性は立ち上がり懐から名刺を取り出し、両手で差し出しながら挨拶をしてくれた。


「猫猫出版の者です。大和やまとって呼んでくださいね!」


「はあ……。九十九です」


 僕は大和さんから名刺を受け取った。これが大人の挨拶か。僕は当然名刺など持っていないので、少し恥ずかしい思いをした。ちゃんとした挨拶もできてないし。


「じゃあ、座ってください!」


「あ、はい」


 大和さんは僕を高校生として、子供として接することはなかった。彼はプロなのだ。そして、僕はコンテンツが出せるビジネス相手。だから、相手が明らかな年下だろうと、高校の制服を着てこようと、ちゃんと「ビジネス相手」として接してくれているのだ。


 僕はここまでの短い会話と大和さんの対応で「この人はすごい人だ」と感じていた。そして、そんな相手として見てもらえることにむず痒い様な内側から湧き出るもぞもぞ感が止められないでいた。


「九十九さんにお会いしたら伺ってみたいと思っていたことがあるんです」


「え?」


 僕はドキッとした。……そう、イラストだ。僕の本の表紙絵のイラストを描いたのはAIであり、人間じゃない。


 しかも、「愛衣あい」と名前まででっち上げて擬人化している。僕はこれに後ろめたい気持ちを持っていた。なまじある程度 本がダウンロードされているので、その気持ちが強くなってきていたのだ。


相手はプロの出版社の人間。AIイラストを見破る特別なソフトを持っていたり……いや、そんなもの存在する訳がない。でも、もしかしたら……。


「ペンネームの『犬からあげ』ですが、どういった由来があるんでしょうか?」


 ガクッとした。イラストのことじゃなかった。よかった。


「犬からあげ」は僕のペンネーム。これまでもペンネームを何度か変えたことはあったけど、いずれもしっくり来ていなかった。


「何度かペンネームは考えたことがあるんです。でも、何度も変えてしまっていたんです。じゃあ、好きなものをペンネームにしたらいいかって思って……」


「それなら、『犬』と『からあげ』がお好きってことですよね? 『犬のからあげ』がお好きな訳じゃ……」


「違います! 『犬』も好きだし、食べ物だと『からあげ』が好きだから、という安直なもので……。ちなみに、「犬からあげ」の後には絵文字の「UʘᴥʘU」が付いていて、ここまで含めて「犬からあげUʘᴥʘU」が僕のペンネームです」


「いいですね、こだわりが。なぜ、ペンネームに絵文字を付けようと思ったんですか?」


「パッと見て印象に残るのって漢字か絵文字だと思ったんです。漢字は普通にたくさん使われているので、僕は絵文字を……と思いました」


「なるほど、独創的ですね」


 そこで、大和さんはコーヒーを一口飲んで、静かにカップを置いた後に話し始めた。多分、これまでの話は単なる「前置き」で僕の緊張をほぐすためのものだったのではないだろうか。


 つまり、ここからが本題ってことか。


「九十九さんの本は拝読しました。あれを高校生が書いたとは思えない。年上のお姉さんが出てくるんですけど、心理描写がリアルでした。失礼ですけど、九十九さんにお姉さんはいらっしゃるんですか?」


「いえ、僕に姉弟きょうだいはいません」


「え⁉ そうでしたか! それはすごい!」


 お姉さんはどこか姉嵜先輩を意識した。包容力があっていつも助けてくれている感じ。ただ、ちょっと服装やキャラは古く感じたので、小説の上ではおしゃれにした。しゃべり方も女性らしくしたし、ちょっとエッチにした。


「あと、半眼ジト目の後輩が出てくるんですけど、あの子が実にいい味を出してましたね! 妹さんがモデルかと思っていました」


 僕はここで少し助手のことが頭をよぎった。無意識に……いや、意識的に後輩キャラは助手を思い浮かべて書いた。僕の中の彼女……と言うか、僕の理想なのかもしれないし、思い込みかもしれない。そんな女の子を書いたのだ。


「妹もいません」


「益々すごい!! あ、今日お会いしたかったのは、2つの理由があるんです」


 大人の人って話が分かりやすい。いや、大和さんの話し方が上手なんだ。高校生の僕でも分かりやすい様に話してくれているのかもしれない。


「1つ目は、出版予定の本について詳細な打ち合わせをしたかったこと。これまでメールが中心だったので、細かな部分は実際に会ってからの方がいいと思っていまして」


「はい。僕も一度お会いできればと思っていました」


「2つ目は『今後』についてです」


 大和さんが無言でニコリとした。「よかった」ってことだろうか。


「今後……ですか?」


 大和さんがテーブル越しに身を乗り出してきて、少し小さな声で言った。


「はい、単刀直入に申し上げます。九十九さん、うちで完全新作を書いてみませんか?」


「え?」


「正直申し上げて、今回の『飛び降りお姉さん』は売れますよ。個人で販売していても十分売れていたのだから、当たり前なのですが、猫猫出版うちでプロモーションしたら、そこそこの読者さんが付いているので2万や3万じゃとどまらないと思っています」


「そ、そんなにですか!?」


「はい、九十九さんの本は、まずなんと言っても表紙絵が素晴らしい! この愛衣あいさんのイラストは神絵だと思います。この表紙を見て気に留めない人はいないでしょう」


「は、はい……」


 愛衣とは僕がでっち上げた絵師の名前だ。僕は少し嫌な予感がしていた。


「そして、中身を読んだら、そのイラストを受け止めるだけの内容がある。ここはとても強いです」


「あ、ありがとうございます」


「愛衣さんの素晴らしい神絵と九十九さんの小説がすごくマッチしています!」


「そ、そうですか」


「愛衣さんの凄く慣れたタッチの割に表に全く出ていない秘匿性と、それを受け止めるだけのコンテンツ。お二人の関係は実に素晴らしい!」


「は、はあ……」


「ズバリ申し上げます、九十九さんと愛衣さんで1冊本を出しませんか⁉」


 そういうことか……。僕だけなら二つ返事でこの場で「はい!」と答えただろう。だけど、それには「愛衣」がイラストを描くことが条件なのだ。


「あ、愛衣さんにも相談していいですか?」


「もちろんです! ありがとうございます!」


 めちゃくちゃいい話、願ってもない話が出たにもかかわらず、僕の気持ちは少し暗い。僕の小説も褒めてもらったけど、愛衣のイラストの次だった。


 愛衣のイラストはAIが描いたもの。ガチャだから次にどれくらいいいイラストが出てくるかは分からない。しかも、狙った構図などは描けない。


 それどころか、指が6本あったり、右腕が2本あったりすることもあるので、とにかくガチャの繰り返しだ。前回は約1万回のガチャの上に現在の表紙絵ができた。


 大和さんは、爽やかな感じで話を続けた。


「正直、私は社内ではまだまだ若手で、それほどの発言力はありません。でも、今回の『飛び降りお姉さん』が5万部売れたら、九十九さんのために社内表彰式が開かれると思います。最近で5万部超えた新人はいませんから」


「5万部……」


 僕にとっては異次元な数字だ。ちょっと前まで4冊しか本が売れていなかったのだから。


「その時に、ぜひ愛衣さんも同席するようにお願いします。上の者に九十九さんと愛衣さんの面通しをして、2冊目の話をもぎ取りたいと思います」


「……」


 僕は、小説家になりたい理由を思い出していた。


 小説家になりたい理由……それは、小説家になって本でご飯を食べていく事だ。


 ちなみに、文庫本にご飯を盛って食べたいという異常な志向ではない。小説家としての収益で生活をしていきたいということだ。


 僕は人一倍、自立心が強い。早く一人前になりたかった。


 そんな僕が最初に憧れた職業が「マンガ家」。学生の時でもマンガは描けるし、デビューすればすぐにプロになれると思っていたからだ。


 小学生の頃はとにかくマンガを描いていた。この頃は僕には隣の家に住んでいる幼馴染がいて、よく一緒に絵を描いていたんだ。彼女の名前は……もう覚えていないけど、いつも「あっちゃん」と呼んでいた……と思う。


 でも、中学生になる頃には僕はマンガ家になることを諦めていた。一番の理由は絵がへたくそだったから。小学生の高学年になる頃には親の転勤で「あっちゃん」とは離れ離れになったことも大きい。


 しかも、最後まで「あっちゃん」の描いた絵の方が圧倒的にうまくて、僕の絵はいつまでたっても下手くそのままだった。色々マンガの賞に応募したけど、佳作にすら入らなかったくらいだから。


 そんな僕が生きる道を見つけたのが「小説」だった。元々、小さい時からラノベには親しみがあった。あっちゃんが持って来たんだ。読みやすい話とかわいい挿絵の……ラノベを。ラノベは絵を描かなくていい。しかも、お話を作るのはマンガと共通している部分もある。


 僕は、僕が面白いと思う話を書いた。書いて書いて書きまくった。それを友達に読んでもらうのは恥ずかしいので、とにかく一人で書き続けたんだ。


 早く独立したかった。小説家として独り立ちするんだ……。


「こんな感じでどうでしょう?」


 僕は、大和さんの声で はっと我に返った。昔のことを思い出していたみたいだ。全然、大和さんの話を聞いてなかった。


 そして、思い出した僕の記憶には「なぜ小説家になりたいか」の部分は抜け落ちていることに気が付いたのだった。



 □ 帰宅後

 帰宅後、僕はこの事を相談できる唯一の友だちである「AAA」に話した。


 ―――

 WATARU:大変な事になった!

 AAA:どした?

 WATARU:猫猫出版で新しく本を出せるかもしれない!

 AAA:いい話だ!

 WATARU:でも、新刊では愛衣のイラストが必要になった。

 AAA:じゃあ、またしばらくガチャを繰り返さないとな。

 WATARU:愛衣本人も必要になった!

 AAA:どゆこと?

 WATARU:僕は出版社の表彰式に呼んでもらえるかもしれない。その時に愛衣と一緒に挨拶することが新刊を出す条件になった。

 AAA:……相当ピンチ⁉

 WATARU:しかも、今回の話はなんとかモノにしたくて、既にOKしてしまった……。

 AAA:オワタ

 WATARU:来月早々には猫猫出版のプロモーションが始まってしまう!

 AAA:もはや、かける言葉を思いつかない

 ―――


 当然だけど、この日の話では解決できなかった。僕の心の奥にぶっさり刺さっている魚の骨のようなその事象は、その後 僕を益々追い詰めていく事になる。

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