第五章 宙の聖域、幻夢の魔法

[5-1]きみのぬくもり、非力な僕


 僕はこちら側の記憶を体感として覚えているわけじゃない。夢で見たこと以外はプレイヤーとしての記憶が強く、匂いや肌感覚など知っているはずがなかった。

 なのに、やわらかでふかふかな獣毛独特の滑らかさとか、肩に爪が食い込む感覚とか、自分自身の記憶みたいに懐かしいのはどうしてだろう。ずっと寂しかった胸の内側も、イーシィの体温であたたかく満たされていく気がした。


 無事で良かった、元気にしててくれて良かった。僕の胸に頭をぐいぐいと押しつけながら泣きじゃくる様子に僕の視界も潤んでくる。

 ずっと寂しかったよね。あんな別れ方をしたから、優しいイーシィはきっと自分を責めたりもしただろう。それでも僕の約束を信じて、僕がのこした店を守りながらここで待っていてくれた。そのことが、とても嬉しかった。


 ふわふわであったかい身体をずっと抱きしめていたかったのに、情けないことに僕の腕のほうが限界だった。

 おかしいな、イーシィってもっと小さくて軽かったような。昔は楽々と抱えていられたような。とそこまで考えて、残念な現実に気づく。

 今の僕は生身そのままでこっちに来ているから、CWFけいふぁんのキャラ補正があった昔の僕――運動不足であっても体格や腕力には恵まれていた西洋系成人男性――よりずっと小柄だし、筋肉もないってことでは?


 まさか女の子に「重いから」とは言えないので、僕はイーシィを抱えたままカウンターの横にある椅子へ腰掛けることにした。革製の座面はほこりもなく綺麗で、普段から使われているのがわかる。この店は有名になっていたという話だから、訪ねてくる人が多いのかも。

 椅子に座り、イーシィを太腿の上に乗せて、悲鳴を上げていた腕を休ませる。その頃にはイーシィも泣き止んでいて、夢から覚めたみたいに自分の両前脚を見つめて言った。


「あれ、ぼく、クジラしゃんどこやったのですかにゃ」

「クジラのぬいぐるみなら、さっき勢いよく放り投げたの見たよ」

「にゃ!?」


 どうやら、片時も手放さないクジラを投げ飛ばすほど夢中になって、僕に飛びついてくれたみたい。

 嬉しくてちょっとこそばゆい気もしたけど、気づいてしまったイーシィ自身は途端に落ち着きをなくし、おろおろと周囲を見回し始めた。


「たぶん、カウンターの裏じゃないかな」

「にゃにゃ、捜してきますにゃっ」


 僕の太腿を肉球で蹴って床に飛び降り、カウンターの裏をがさごそしだしたので、座ったまま見守ることにした。

 僕のスマートフォン依存症よりも、イーシィのはたぶんちょっと深刻なのだろう。僕に専門知識はないし、どういうふうに接するのが正解かもわからない。それでもできる限り寄り添ってあげたい。

 ただ、僕には神様候補をさがすという使命もある。竜の王様を候補にと考えているけど、執筆で施設を修復する権能を託されているのは僕なので、丸投げはできない。


 旅が続くのなら、イーシィをまたここにひとりにしてしまう。それでは彼女との約束を守ったことにならないし、僕もつらい。どうするのがいいか、イーシィにも僕の事情を教えて話し合わないと。

 でもその前に竜の王様が僕の考えに賛同してくれるか確かめなきゃいけないので、王様に会うのが先決――?


「こーにゃん、見つかりましたにゃん」


 袋小路ふくろこうじに入りかけた思考が嬉しそうな声で引っぱり上げられた。カウンターの裏から出てきたイーシィは太い前脚にしっかりとクジラを抱え、瞳をキラキラと輝かせていた。しなやかな尻尾が上機嫌に揺らめいている。


「見つかって良かったね。しぃにゃん、あれからずっとここで、クジラと一緒に店を守ってくれてたの?」

「ですにゃん。ご本は灰になっちゃたですけど、ぼくはこーにゃんの読んでくれたお話なら、ちゃんとおぼえてましたのにゃ」

「そうなの!? すごいよ。ありがと、しぃにゃん」

「えへん、ですにゃん」


 後脚で立ち、得意げにクジラを掲げる姿が愛おしすぎて泣けてくる。姿も変わって前より頼りなさそうな僕なのに、こんなに帰還を喜んでくれるなんて嬉しすぎる。

 イーシィがクジラ捜しをしている間に腕の力も回復したので、僕は椅子から立ち上がった。郊外のここからお城までは結構遠い。そろそろ行かないと、遅くなってしまう。


「話したいことは沢山あるんだけど、僕、王様にも呼ばれていて。しぃにゃんは、ここで待ってる? 一緒にいく?」

「うみゅ、ぼくも一緒にいきますにゃん」


 尋ねた途端、一気に不安そうになったイーシィは、まだあの日のことを引きずっているに違いなかった。離れ難い気持ちは僕も同じだったので、店には『closed』の札を下げ、外で待ってくれていた銀君と合流して一緒に徒歩で向かうことにする。

 見栄を張ってイーシィを腕に抱えた僕は、すぐに自分の無力さを痛感することになった。以前の時とは違い、今回は言葉通りの意味で。

 数分も経たないうちに指の先に力が入らなくなり、腕が震え出した。重い、なんて口が裂けても言えないけど、これじゃお城に着くまで保ちそうにない。

 イーシィは見た目ほとんど雪豹の子供だから、猫よりずっと大きいんだよね。小型犬くらいだと考えれば……七、八キロってところ?


「こーにゃん、疲れてますにゃん? ぼく、歩きますにゃ」

「疲れてないよ、大丈夫だよ!」


 見栄を張り続けても、僕が腕をプルプルさせているのは伝わっていたんだろう。というか、支える僕の腕が頼りないからずり落ちそうで怖かったのかも。

 イーシィは僕の腕の中でクジラを器用にくわえなおし、腕からするりと抜け出して軽やかに地面へ飛び降りた。ふわふわの温もりが消えた寂しさにちょっと落ち込んでいたら、一部始終を見守っていた銀君が尋ねてくる。


「僕が抱えてあげよっか?」

「……うん、それが、いいのかも」

「こーやん、落ち込むなってー!」


 イーシィが大きなぬいぐるみを手放さず地面を歩くのは、ちょっと難しい。咥えて引きずればクジラが傷んでしまうし、両前脚で抱えて後脚歩きはそう何歩も進めない。

 結局、協議の末に銀君がイーシィを抱えて運んでくれることになった。魔狼の姿になれば速いけど、街中では怖がる人もいるかもしれずリスクが大きいので、避けたほうが賢明という判断だ。


 自分の非力さにがっかりしたけど、銀君の腕の中に安定した足場を確保したイーシィとゆっくりお喋りできたのは良かったのかもしれない。龍都が思った以上に復興されていて、生き延びた人が多くいると確認できたことも。

 そうしてたっぷり二時間以上も掛けて、僕たちは龍都の主城――『そらの聖域』と呼ばれる結界の中心地へ辿り着いたのだった。




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