第069話・寝返りコロリンすっとんとん


「おかえりなさいナナシさん。首尾はどうかしら?」


 と、僕らが帰還したことに気づいたお嬢様。


 足元で正座している見知らぬ女の子などそこにいないかのごとく、僕たちに労いのお声をかけてくれました。


 ひとまず僕は、お嬢様に報告します。


「はい。おかげさまで、無事ティラノ君を狩ることができました。これでしばらくはティラノステーキ用のお肉に困ることはないでしょう」


「そう。さすがナナシさんね。褒めてあげます。ジェニカさんとレミカさんもご苦労様。たいへんだったと思うけど、無事でなによりだわ」


 ジェニカさんは「めちゃくちゃ大きくて怖かったですよー」と疲れた笑顔を浮かべ、レミカさんは「私もまだまだだって分かったよ」と清々しげな笑顔で言います。


「つきましてはお嬢様、今晩の晩ご飯でさっそくティラノステーキを焼くことにしたいのですが、よろしいでしょうか」


 僕が許可を求めると、お嬢様は「ええ、そうしましょう」と仰います。


 正座している見知らぬ女の子の後ろで仁王立ちしているナルさんが、嬉しそうに頷きました。


「美味い肉が食える。素晴らしいことだな。それも特上に美味い肉なら、なおのことだ」


 ナルさんは相変わらず肉食ですね。

 けど、今日は付け合わせのお野菜を食べ切るまではお肉のお代わりは出しませんからね。


「なんだと……」


 好き嫌いは、少しずつでいいのでなくしていきましょう。

 いろんなものを美味しく食べられるほうが、豊かな毎日を送れますよ?

 

「……なるべく、苦くない味付けにしてくれ。それが無理なら、とびきり辛いほうがいい」


 んー。それなら葉物野菜をキムチ風にするか、ニンジンとかブロッコリーをめいっぱい甘く煮るか、でしょうかね。


 お嬢様は、どちらがお好みですか?


「そうね。どちらでも良いけど、どちらかを選ぶなら甘いほうが良いわ」


 それならハンバーグの付け合わせ風に、にんじんグラッセをいっぱい作りましょうか。


 ジェニカさん、調理を手伝っていただいてもいいですか?


「いいよー」


 ありがとうございます。


 さてさて。それじゃあぼちぼちお聞きしたいのですが。


「お嬢様。先ほどからそこで正座しているその人は、どこのどなた様でしょうか?」


 僕が問うと、お嬢様とナルさんが目を合わせました。

 そしてナルさんが正座している女の子の肩にポンと手を置きます。


 女の子の肩がびくりと跳ねました。


「自己紹介を、するんだ」


 ナルさんが低い声で言うと、女の子は泣きそうな顔で僕を見上げ、それから身体を折って土下座をしました。


 あの、ちょっと?


「……お初にお目にかかります、ナナシ様。わたくし、グロリアス王国で王族直轄の密偵をしているヨークと申します。このたびは、ま、ま、まことに、申し訳ありませんでした……!」


 ……???


 いったい何の話でしょう?


「ええっと。こちらこそ初めましてです、ヨークさん。あの、初対面の人に土下座謝罪をされても、僕には何のことやらさっぱりなのですが」


 ヨークさんは頭を下げたまま、うかがうような上目遣いで僕の顔を見てきます。


 なにやら、壁にクレヨンで落書きしたのがバレた小学生みたいなお顔をしていますね。


「それは、その……。わたくし実は、そちらのハローチェ様のお兄様から依頼を受けてこの森に来た次第でして……」


 ……ほほう?


「依頼内容としましては、その、ハローチェ様の現状確認及び偵察。状況によりますが、可能ならをと……っ!? ひいいっ!?」


 突然ヨークさんがひっくり返って尻もちをつき、アワアワと慌てふためきます。

 お嬢様とナルさんもどことなく険しい表情を浮かべます。


 ひょっとしたら僕、今ちょっと顔が強張っているかもしれませんね。


 ヨークさんのこの後の発言次第で僕も対応を変えなくてはいけなくなるので、当然ではあるのかもしれませんが。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! ごめんなさいぃぃ……!!」


 ヨークさんは、ひたすら謝り倒してきました。


「そもそもが、元王族の暗殺任務なんて受けるべきじゃなかったんです! けど、お父ちゃんが帰ってこなくなって代わりにわたくしが頑張らないといけなくなって、今までお父ちゃんが受けてきた任務をわたくしが引き受けざるをえなくなって、断りきれなかったんですぅ! ごべんなざいぃぃ!!」


 ……お父ちゃん?


 そう聞いた僕は、ヨークさんのお顔を見ていてある事実に気が付きました。

 お嬢様に目を向けると、お嬢様も頷きます。


 お嬢様、もしかしてヨークさんって。


「そうよ。以前兄たちが送り込んできた刺客たちの中で、唯一貴方の結界をすり抜けて侵入してきた男がいたでしょう」


 いました。

 影の中に潜って移動できる忍者みたいな人ですよね。


 あれには驚きました。

 当時の僕の結界はまだまだスキル対策が徹底されていなかったので、するっと結界内に侵入されてしまったんですよね。


「ヨークさんも、あの男と同じように影に潜るスキルが使えるわ。だから少なくとも血縁関係である可能性は高いと思うの」


 なんとなんと。

 そう言われた僕は、ヨークさんのことをじっと見つめました。


 なるほど、あの人の娘なんですか。

 確かに、あの時の人の面影があります。


 後頭部の下のほうで三つ編みに纏められた、肩甲骨の少し下ぐらいの長さの青藍色の髪。自信なさげに揺れている薄茶色の瞳。


 全体的に暗めの色合いの服を着ていて、首周りには覆面用のバンダナが巻かれています。


 歳は、僕やお嬢様より少し上ぐらいに見えますが、全体的に痩せていて背丈も低めです。


 それに青褪めたお顔を見ても肌にツヤがないですし、顔立ちは整っているのに覇気がないので少しやつれて見えます。


 普段はあまり美味しいご飯を食べられていないのでしょうか。


 いやまぁ、僕が襲ってきたヨークさんの父親をパンッてしちゃったせいなのかもしれせんが。


 一家の大黒柱が突然いなくなったら、そりゃあ食うに困って危ない仕事にも手を出すようになりますよね。世知辛い話です。


 まぁ、それはそれとして。


「で、ヨークさんがここにいて、こんなふうになっているということは、お嬢様たちが返り討ちにしたということですか?」


「そうよ。突然襲ってきたからナルさんが蹴り飛ばして、そしたら慌てて影の中に逃げ込んでね。それで、ナナシさんが以前にやったように潜んでいる影を結界で囲んで全力で結界壁を光らせて影を消したの」


 なるほど。

 影がなくなったら潜んでいられなくなりますもんね。


「あとはもう、結界で閉じ込めたまま一方的に小突いてたら泣き出しちゃって。泣きながら命乞いをしてきたのよ。何でもするから殺さないでくださいって」


 ……うーん、なんとも。


「で、今後のことを色々考えた結果、ヨークさんにはグロリアス王国に帰ってもらったほうがいいと思うの。私たちのことについて偽の情報を伝えてもらって、こちらの足取りを追えなくしたいのよね」


 いわゆる偽計というやつですね。

 あるいは二重スパイですか。


 定期的に刺客が来るのは面倒ですものね。

 あまりにも鬱陶しいと、こちらのストレスにもなってきますし。


「ううぅ……、本当にごめんなさい……。ずっとこの森に潜んで怪物たちに怯えているぐらいなら、一か八かで暗殺を成功させて国に帰ろうと思ったんです……。あまりにも短慮で無謀でした……」


「そういうわけだから、ヨークさんには数日以内にグロリアス王国に帰ってもらうわ。無事に帰ってしっかり話を伝えてもらうために、森を出るまではある程度の支援もします」


 まぁ、お嬢様にお怪我がなくて、お嬢様がそのようにすると仰るのであれば、僕はそれに従いますが。


 ……しかし、


 僕はなおのことヨークさんをじっと見つめます。


「お嬢様。命惜しさに簡単に寝返る方がこちら側についたとして、それはまた後で相手に寝返るおそれがあるのではないですか?」


「別に良いのよ寝返っても。どうせ今後またヨークさんに会う可能性は極めて低いのだし、またヨークさんがここに来た時には、私たちはすでに次の場所に移動しているでしょうから」


「も、もう寝返ったりしないですよぉ……」


 うーん、そうは言われても……。


 と、その時僕は、あることを思いつきました。


「そうだ、お嬢様。僕に良いアイデアがあります」


「……聞かせてちょうだい」


「このまま帰したら、また裏切られても分からないじゃないですか」


「う、裏切りませんって……」


「だから、僕の結界術で……、ヒソヒソヒソ……」


 僕は、僕のアイデアをお嬢様に耳打ちしました。

 お嬢様は驚いたように目を見開きます。


「そんなことできるの?」


「理論上はできると思います。ちょっと練習と準備の時間が必要ですが」


 お嬢様は少し考える様子を見せました。


「……分かりました。何日必要かしら?」


「一週間あれば形になるかと」


「それなら、やってみせなさい」


 了解です、お嬢様!


 僕の結界術にお任せください!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る