十二、チョコミント

 第三都市は守衛軍中央基地、その敷地内に建つ女子寮。昼はほとんど誰もいない中、渡貫わたぬき千衣ちえはシャツと作業着のラフな格好で自室に籠り、凛々しい眉を寄せながら情報を睨みつけていた。

 気鋭を伴う黒い視線に晒されているのは、机上のパソコンに表示された情報と、印刷した紙媒体に収められた情報。ぎっちり詰め込まれた情報は、現在捜索中の卯木淳長に関するものばかり。

 情報収集はメールやビデオ通話といった間接的な方法だけでなく、数百キロ離れた第六都市までわざわざおもむいて入手してもいる。千衣をそこまで駆り立てたのは、やはり、東丘総合研究所による卯木淳長の身柄引き渡し要請があったからだ。卯木淳長捜索に当たっている軍内部の人員からも、何か裏があるとささやかれるほど、淳長の件は怪しまれている。


 現在、千衣の管轄下にある啓一郎と重満も、淳長が何の変哲もない一般人と言い切るのは無理があるとの同意見。傭兵の二人は都市圏外を走り回らされているため、千衣が都市圏内を走り回ることになるのは必然だった。下手をすれば戦友と戦友の師匠の首が物理的に飛ばされてしまうため、慎重さを手放すことはできなかったが。

 そもそも、千衣が担当しているのは逃亡中の改道光理と草加新の追跡であり、卯木淳長の捜索はそれと兼ねているだけのついでに過ぎない。だが、光理と新は痕跡らしい痕跡を全く残さないため、千衣以外の人員も手詰まりなのが現状だった。一向に進まず暇とさえ言えるなら、別の捜索もできるだろうという判断で、淳長捜索にも携わることとなっている。


「……うーん、やっぱ、何かあるなぁ」


 真っ黒なベリーショートに加え、一部を刈り上げ灰色にした頭を掻いて、千衣は椅子に背をもたれかからせた。その後、一旦パソコンを閉じて立ち上がると、長い手足とセットの長身を思いっきり伸ばす。特徴的なヘアスタイルに、百七十センチ後半の高身長を誇る千衣は、第三守衛軍の中でも極めて目立つ存在だった。

 モデルルームより味気ない、最低限だけで構成された室内は、移動が数歩で事足りる。千衣が向かった先は、シンクと壁の間に挟まる冷蔵庫。取り出したお目当ては、買っておいたチョコミント味のアイスバー。少し待ってから引っ張り開けてみたところ、袋が上手く口を開けて、その時点で良い気分になれた。


 霜に覆われていない爽やかなミントグリーンは、噛り付いた断面から、苦めなチョコチップと共に覗く。合わさっている味はどちらも個性的で、胸を張っているかのようなプライドがある。しゃっきりと背筋を伸ばしてくれる味は、学生時代からのお気に入りだった。その頃いつも隣にいて、今も戦友の啓一郎は、シンプルな果物味のアイスが好きだったっけ。

 そういえば、と。思い出したついでに、いつかの夏の記憶も顔を出す。啓一郎が暮らしている防壁外の家で、みんなでアイスを買ってきて、食べたことがあった。千衣は今と同じチョコミントのアイスバーで、啓一郎はフルーツ味のアイスバー。光理と新はステレオタイプなバニラ味のソフトクリーム。重満もバニラアイスを食べていたが、ウイスキーをかけて楽しんでいたから、ほろ酔い状態だった気がする。

 千衣と啓一郎は価値観が似ていて、お互いのエネルギーに感化され合う仲だったが、光理と新の仲は爽やかだったように憶えている。軽快に風鈴を鳴らして通り過ぎてゆく清風のような。青春効果が掛かっていたからこそかもしれないが、二人の透き通るような雰囲気も作用していたように思う。


 思い出せば出すほどに、二人が逃亡している現実が、偽りであってほしいと願ってしまう。

 先月頭の二十時半過ぎ、軍部へ通報が飛び込んできた。東丘総合研究所の一角に、銃を所持した女性が乗り込んできたと。身元が割れ、改道光理という名前が明らかになった瞬間、構えていた千衣の頭は真っ白になった。聞き間違いだと考える間もなく、草加新の名前も飛び込んできて――そこから先は、よく憶えていない。


 仕事に際して感情が切り離されるのは、何らおかしなことではない。啓一郎たちも同じだった。光理と新を案じながらも、犯罪者として追っているのだから。

 アイスはほとんど食べ終えられ、口内ではすぐ溶けるミントの爽やかさより、わずかに固形として残るチョコの苦さが勝っている。特に何も書かれていない平たい棒を捨てた後も、千衣はしばらく椅子へ戻らず、シンクに寄りかかっていた。


「はぁ。……見つけなきゃな。光理ちゃんと新くんも、卯木淳長も」


 声に出すことでモチベーションを上げ、千衣は勇ましくパソコンと紙資料たちが占領するテーブルへ帰還。自らの手で追えて、現地を駆ける啓一郎と重満の手が回らない場所。卯木淳長の素性調査を自由に実行できるのは、軍部にいる千衣しかいない。

 これまでに分かっていることは、卯木淳長は研究所と関わるような一般人ではないこと。平々凡々な新卒社会人で、誘拐される理由さえ、相手側に見境がなかった他に見当たらない。


 ところが、経歴や所属に違和感はなくとも、周囲の人間から見た淳長の人物像には不可解な点がある。特にそういった意見が集まっていたのは三年前、卯木淳長が大学二年生の時期だった。

 卯木淳長は平凡な一般人だが、やりたいことに対する意欲と達成させる力に定評があり、計画性も高い方だったという。就活も早めに進めていたようで、大学二年生時点で学校内の就活支援センターへ頻繁に顔を出していた。しかしながら、夏から秋の間にはぱったりと途絶えている。


 この期間、淳長は変わらず大学へ通っていたが、友人たちとの連絡が滞ったり、取っている授業に出席しなかったりといった行動も目立っていた。連絡も学業もおろそかにするような人柄でなく、秋以降は周囲が見知った人格に戻っていたことで、余計に違和感として印象付けられたのだろう。

 何らかの病気を患っていたという線も考えられたが、実家暮らしだった淳長に、家族から見ても不審な点は無かったという。しかしながら、長年見続けてきた計画性や意欲性などが欠如しているように見えた、との証言もしている。家族もそこで病気の可能性を考慮し、淳長を病院へ連れて行こうとしたが、結局行くことはなかったらしい。


 淳長は一人っ子で、同居していた家族は両親のみ。そちらも研究所との関わりはなく、せいぜい病院への通院歴がある程度だ。成人済みながら一人息子が誘拐されたとあって、双方ともに精神が追い詰められてしまっているため、直接訪問して話を聞き出す強引な手法は取れなかったが。

 卯木淳長個人の情報を辿ると、手に入る情報と推測はこの辺りで天井に当たる。そこで千衣が方向転換した調べ先は、淳長が就活で情報収集をしていた企業だった。ここを掘り出すと、だんだんと研究所の影が見えてくる。


 淳長が専攻していたのは現代社会学で、就活では社会福祉に携わる企業を探していたらしい。主にピックアップされていたのは、安全生活都市圏の新規開発や改良を担う企業。中には、脅威物によって壊滅した旧都市圏跡地から得た情報を元に、防衛機能の開発改良に特化した企業もあった。

 この企業のいずれか、特に旧都市圏とも関わりを持つ企業で、淳長が研究所の関係者と接触した可能性は高い。そして、仮に接触していた場合、淳長に何らかの影響を及ぼした可能性も。


 恐らくだが、研究所は淳長の所在をリアルタイムで把握していた。そうでなければ、軍部に捜索願まで出して探し出そうなどと考えないはず。その一点こそ、軍部の面々が研究所を睨む動機だった。

 だが、淳長が研究に巻き込まれていたとして、その研究はどういうものだろう。さすがにそこを探るとなると、千衣の手に負えなくなってくる。


 と――集中の海を泳いでいた千衣の意識に、パソコンの通知音が落ちた。


 右下の通知欄を素早くクリックしてみると、メールが顔を出す。差出人名は表示されず、アドレスも見覚えがない。セキュリティチェックを通して開かれたメールの件名は、『第六都市東丘総合研究所異物研究科の特定異物研究について』。ご丁寧に渡貫千衣様と宛名から始まったメールは、件名通りの内容を並べ、書かれていないと思われた送り主の名前と現状報告で終わっている。


「……世界って狭いのね……」


 タイミングの良さも含めて、たった一件の中に数多の驚愕事項を詰め込んだメール。何とか読み終えた千衣は、目元を手で覆って宙を仰いだ。研究所が裏で何か動いていると疑って動いていたが、裏ですべてを引き、アクシデントさえ絡めとって操ろうと試みる差出人こそ、この事態を丸ごと掌握してしまうのではなかろうか。


「――渡貫千衣より改道啓一郎へ、応答願います」


 驚愕の余韻を引きずりながらも、千衣は耳に付けっぱなしの通信機を起動させる。ザザ、とノイズの風が吹く中、少し間を空けて戦友の声が返ってきた。


『こちら改道啓一郎。現在、旧第二都市圏跡地近辺にて待機中。前回群れを成して現れた異物以外の反応はなし。どうぞ』

「……啓ちゃん。これから話すこと、落ち着いて聞いてくれる?」

『何よ、そんなにひっどい研究所の所業にでもぶち当たっちゃった?』

「いや、まあ、研究所はいつも通り酷かったわけだけど……あたしが答えに辿り着く前に、リークがあったの。嘘の可能性も捨てきってはいないけど、リークしてきた相手が相手だから、恐らく正確な情報だと思う」

『あら、そんなに? 自覚があるかどうか分からないけど、今の千衣、かなり声色が深刻よ』

「今に啓ちゃんもそうなるよ。良い? 情報をリークしてきたのは草加新。草加新と改道光理は、卯木淳長を保護した上に同行させていて、第六都市へ送り届けようとしてる」

『……はあ!? あの子たち何やってんのよ!?』

「色んな意味でそうだよね。こっちだって聞きたいわ。しかも、しかもよ。卯木淳長は単なる誘拐被害に遭った一般人じゃない。未だ情報の少ない異物に憑依されているか、あるいは異物そのものが淳長に擬態している。だから研究所が身柄を欲しがっているの」


 唖然を示す沈黙に、あんぐり口を開けたのだろう啓一郎が容易に想像できる。何をやっているんだという叫びなど、完全に保護者のそれだった。何をしているも何も、二人は逃亡犯だというのに。


「二人は逃亡より、卯木淳長の身柄を送り届ける方を取ったみたい。卯木淳長引き渡しを要請してきたわ。三人は旧第二都市圏跡地近辺の山中にいる。改道啓一郎と炭田重満は、そこへ行って卯木淳長を確保して」


 逃亡より、身柄を送り届ける選択。言いながら、千衣は己の口角が上がるのを感じた。東丘総合研究所への不法侵入、研究所及び第三都市防壁への爆破行為、研究所からの窃盗。そういった罪状を背負い逃亡している光理だが、断じて悪人ではないし、悪に堕ちたわけでもない。

 それはそれとして、と。千衣は通信相手とのやり取りを継続したまま、引き続き軍部で手を回し続ける。事態の進展は喜ばしいが、新たに懸念事項が増えたのもまた事実。油断を許さない流れに頬を叩いて、再度気合を入れ直した。

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