第40話-幼い恋心を侮ることなかれ

「はあ、それより外してくれないか?」


そう言って、手首に張られている符を教えるように、その場で動かせる掌を振る。


「もう、外すのか?」


「もう、ってつけたままだと体を起こせないだろう?」


「いや、まだ兄様を堪能していないんだが」


「え、ちょ、動くな! 近づくな! ま、」


善晴は何を考えているのか分からない真顔のまま近づいてくる。


俺の上に跨った善晴の顔を、先ほどと同じように下から覗く羽目になった。


こいつが何をしようとしているのか、本当に分からないわけではない。


あかねが言っていた 行い と、こいつが 未遂 だと言い切ったこと、そして、俺を見るこいつの目は獲物を捕らえた狐のように瞳孔が開いていることから想像はつく。


瞳には興奮しているのだろう熱を帯び、目が赤くなっていた。


ん? 目、充血? もしかして……こいつ眠っていないのか?


「……善晴、お前いつ最後に眠った?」


「ん? さあ、忘れたな」


「まさか、いやさすがに」


「ああ、でも、貴方を私の結界の中に入れた時から、寝顔を眺めることが出来て幸せだったな」


嘘だろ、いつから俺はこいつの結界の中に入ったんだ?? もしかして、俺が倒れた時から?


「……寝ろ」


「はあ?」


「良いから、寝ろ」


「こんな機会逃す訳ないだろう」


こいつ、今、こんな機会って言ったな!? なんで、そうガツガツしてんだよ! ああ、小さい善晴は可愛かったのに。


「こんな機会なら、寝た後でも巡って来るだろう」


「……そういうが、寝たら兄様はいなくなった」


え?


善晴は、俺の髪を一束掬い取ると、唇を押し当てた。


「お、ま」


「なあ、兄様、私はもう貴方を放さない、二度と外に出られないように」


射抜くような目で見つめてきながら、衣の裾の合わせ目から手を侵入させる。


熱い掌が内側の太腿の緊張して張っている筋をなぞる。


「ん、」


心臓が激しく波打ち、喉は枯れたように声が出ない。


そんな俺をよそに、善晴は俺の胸の上に顔を横に向けて耳を置いた。


やばい、そんなことされたら、心臓の音が聞こえる。


善晴は顔をあげ、満足そうに頬笑むと、恐ろしいことを口にした。


「ふふ、愛おしい、やはり、この脚を折ろうか、……ああ、だが、駄目だ」


もう最初の言葉はスルーだ! そうそう、脚を折るなんて普通に駄目だ、分かっているならどうか正常に戻ってくれ!


「脚を折っただけでは、兄様はあいつらに連れていかれるな」


ヒイ……嘘だよな? ふざけてるだけだよな?


「そうだ、式札を持つこの腕もいらないよな?」


善晴はそう言って、空いている手で俺の掌まで腕の血管を指でなぞり、掌が重なると指が食い込むくらい強く握った。


もう、本当にごめんなさい、ああ、どうして俺がこんな目に……。


「それだけだと、まだ不安だ」


まだ駄目なのか!?


なら、と言って善晴は脚から手を離し、そのままその手を俺の首に回す。ふざけではない恐ろしさから喉仏が上下に揺れる。


それが掴んでいる掌に伝わったからか、善晴はその手に力を込めた。


「この、喉も潰してしまえばあいつらにはもう……」


善晴のその言葉を聞いた俺は頭の中で、プツンと線が切れた音がした。


喉を掴まれるがそれほど痛くはない。だが、今のこいつは何をするか分かったもんじゃない。俺は善晴の顔を睨みつけた。


「そ、んなこと、してみろ、おまえをのろってやる」


「ッ、」


善晴は目を見開いて驚いた表情を浮かべた。


泣いているのか?


一瞬、涙を流したように見えたが、それは気のせいで、善晴の顔を見ると雫どころか、涙の痕さえその綺麗な肌にはなかった。


「冗談だ、兄様の美しい声を失うのは惜しすぎる」


ホッ、なんだ、冗談か。良かった。


冗談と聞いて安心していると、善晴は急に俺の腰を持ち上げた。


「イッ!」


「ああ、慣れていない体勢で、手足を張り付けられているから痛いのか」


「クッ、分かってるならとっとと解けよ」


「……分かった」


え、なんだ? えらく、従順じゃねえか。ハッ! これなら脱け出せるんじゃ!


善晴は口の間に二本の指を翳して符に込めた力を解いてくれているようで、徐々に符の力は弱まり肢体に自由が戻ってきた。


よし、これなら!


俺は善晴の体を突き放さそうと、力強く前に手を出す。


「そう、やすやす体をあけ渡せるかよ!」


これでも左大将から逃げた体だぞ、そんなかん、た、……は?


善晴が符を解除する呪を唱えていると思ったら、なぜか急に俺の身体が重くなり、力強く前に出た勢いで善晴の体の方に傾いた。


善晴は俺の体を抱きかかえるように、腰に手をまわした。


「おや? 兄様は口の割には積極的だな」


「クソ、善晴ッ!」


腰を支えらながら行われていたせいで、俺は善晴の太腿の上に跨いで肩にしがみつく形になってしまった。


俺はどうにかして立ち上がろうと体に力を入れるが、その度に善晴の細い両腕に力が入っている気がした。


「兄様、諦めてくれ、貴方を私にくれないか?」


「なにが諦めろだ、俺はお前とこうなりたいわけじゃない」


「……ほお」


「うわ! はっ、やめ」


暗くなった顔のまま、善晴に体を持ちあげられ、そのまま押し倒された。


その時、股間に感じた違和感、いつもならそこにある布……、


やっぱり! 俺が普段履いていたふんどしがやっぱり無い! 現代人としてあれを履いていないのは恥ずかしい!


「ああ、兄様の大事な貞操をお守りしていた、あの布なら寝苦しいと思って燃やしておいた」


「な、燃やさなくても! って、違う、そ、それを、押し当てるな、」


両足を持ちあげられ、間に挟むように立膝になった善晴は、布に遮られた自身のを俺の尻に押し当てる。


嘘だろ、そんな、こいつ女のような顔をして、凶悪な妖刀をぶら下げてるだと!?


善晴は自身の狩衣越しにソレを強調させながら、割れ目の間に押し込んでくる。


「や、衣が捲れてる、待て、って!」


「無理だ、私はこれでも我慢しているんだ」


「どこがだよ!」


羞恥からそう怒鳴ると、どこが? と怒気を含んだ善晴の声を聞いて背筋が伸びた。


え? また、怒らせた?


善晴は重たく張り詰めた声で言った。


「なあ、兄様、どうしてあの鬼に、忠栄に、東宮様に、……あの阿保にまで心を許されたのか」


「は?」


あの阿保? もしかして、静春の事か? でも、なんで雅峰のことまで。


「私は、毎日毎日、貴方のことを考え、ずっと扇を通して見ていた」


「そ、それじゃあたまに勝手に動いてたのって」


「……修行中で全てを見ることは出来なかったが、兄様が彼らの前では、よく貴方の素顔を晒していたから」


「そ、れは、しょうがないだろう!? それに、あいつらに顔を見せたところでお前みたいにすぐ欲情しない!」


「本当にそうか? 兄様は今の自身の顔を見てもそう言えるか?」


そう言って、善晴から妖力の気配がしたと思ったら、善晴の後ろから銅鏡が浮かんで俺の顔の前まで移動した。


その鏡に映る俺の顔は、下がった眉に、うるんだ目、睫毛は濡れ束になりはっきりと存在を放ち、緩みそうな唇を必死に噛んでいる、その欲情した顔は、俺が恐れていた傾国の男の顔だった。


俺は鏡から顔を背ける。


あ、ああ、転生した時に自分が想像した満成の顔がまさか自分の身に起きるとは……。


「どうだ? 貴方のその姿を前にしたら、あいつらも獣のように飛びつくだろうな」


「……こんなこと、お前以外のやつとは起こらないといっているんだ! ッカハ!」


いきなり、善晴は俺の頬を挟むように掴んだ。顎の骨が軋むような音が聞こえた。


「当たり前だろう、私以外にこんな姿を見せたら、ただで済むと思うな」


「クッ、」


クソ、華奢なくせして力が強いな、こいつ!


善晴の額には、白い肌だから余計に濃く影を作った血管が浮かんでいる。


「ああ、だからな兄様、先に私があなたの体に深い契を印してしまえば、他の者は寄って来ないだろう?」


「おまえ本気か?」


「俺は兄様が嫌がることはしたくないんだが、先に勝手にいなくなったのは貴方だ」


善晴の顔は悪夢に魘される子供の様だが、さらに見るに忍びないものだった。


こいつは、あの時、俺に置いていかれたことで、こんなにも苦しんでいたのか。


俺は幼い善晴と真摯に向き合うことから逃げるように、あの屋敷から去った。


別に苦しめるつもりはなかった、だが、結果幼い善晴の心を苦しめることになってしまった。


まだ、幼い子供だった善晴を、ここまで追い込んだのは俺、か。


償い、そんな大層なことではないが、ここで善晴に抱かれることでこいつの気が晴れるなら、俺は受け止めるしかないのか……。


ああ、あんな夢を見た後だというのに、なぜか善晴に触れられたところは気持ちが悪いと感じない。


……俺は、善晴に抱かれても良いと思っているのか?


「そのように他のことを考える余裕をもって、黙っていられるのだな」


「ちがッ!」


兄様、と言って善晴は俺の目に白い長紐を巻き付けた。


「おい! 善晴何を、んむぅ、」


突然自分の唇に生暖かい薄い唇が混ざり合うように押し付けられる。隙間を嫌うその唇の主は、背骨、胸骨、さらには内臓まで潰しかねない強さで体を密着させる。


あ、クソ、絶対骨一本逝った。


「……兄様はそうやって他のことを考えていればよい、私は自分の好きなようにさせもらう」


善晴のぶっきらぼうなその声が聞こえてから、視界は意味を持たず感覚だけ研ぎ澄まされていく。

……

――――――


俺は重たい体をだらりとさせているだけで、止まらない快楽にのみ込まれ、最後は善晴に首を噛まれた痛み快楽を感じながら意識を手放した。


夢の中、白狐の屋敷で寝ている俺の傍に子供がいた。

その子は額に触れ、「兄様、兄様、ごめんなさい」そう謝る。子供姿の善晴の手を、謝らないでと強く願いながら握った。


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