第37話-夢に落ちていく

俺らは人通りが減った路を急いで車を走らせ高階邸に着いた。


〈──姫が、お前を待ち焦がれているぞ〉


やはり、露影とあの女は共謀者だったか。


あの女に会った時に感じた違和感。


手に触れた髪は貴族の姫らしからぬ手入れをされていない髪質と櫛から感じた霊魂とは別の残影。


さらに、邸内だったとしても、簾越しでもなく、檜扇で顔を隠さずに俺らの前に現れた。


だが、俺はあの女が落としていった櫛に残った霊魂を、どこかで感じだ事があった気がした。


しかし、思い出せないまま、屋敷に着いてしまった。


「クク、満成、緊張しておるのか?」


「お前でも緊張するのか?」


「そうじゃない」


本当に良佳を高階の屋敷に入れるべきか、文章博士はこいつの正体に気付いているだろう。だから、不安が倍になる。もし、右大臣側が良佳の正体と二人の関係を知っているとしたら、ここに俺らが来ることも想定内だろう。


「良佳、お前も来るのか?」


「ん? 当たり前だろ?」


「良佳さんを置いていく気か!?」


「お前も置いていく気だったが」


そう言うと、静春は怒っているような表情をする。


「ぜぇっったいついていくからな!」


「ああ? お前がいても邪魔になるだけだ」


「なんだって! た、たしかに俺には陰陽道の心得はないし、武人のような力もないかもしれないが、お前を、一人で行かせるわけないだろ!」


「だから、余計に連れて行きたくないんだが」


「……でも、秋時雨の姫を探してくれと頼んだのは俺で、お前にばかり問題を押し付けたままは嫌なんだ!」


はあ、酒のことと言い、確かに出会って一日しか経っていないにも関わらず、こんだけの問題を起こした静春には確かに責任を取ってもらいたいところだが、危ない事には合わせたくない。


だが、今のこいつは何を言っても付いてくるだろう、それだったら目の届く範囲にいた方が安全か?


「はあ、良佳こいつの御守りを頼んでも良いか?」


「御守り!?」


「ああ、構わんぞ」


しょうがない、二人を連れて屋敷の中に入るしかないな。


「行くぞ」


「おう」


良佳はククと不敵に笑ってから主の許可を得ずに門を開ける。


「あらぁ? 思ったより早かったわね」


門を開けたその先には女が一人立っていた。


女の姿ははじめて見た時とは違い、市女笠を被りむしの垂れ衣を手で避けている。


中から見えた女は目に黒い長紐を巻き付けている。


髪が肩までの短さで、肩まで開いた袿に単袴、こちらを妖しく光る紅色の唇を歪めて見ている。


その姿は、妖艶でいて、しかしコロコロ変わる口の動きは子供の様な無邪気な笑みを浮かべ、その姿を見る者の思考を止めるような魅力があった。


「どこで気づいたのかしら? 文章博士の屋敷? それとも、おせっかいな男と会ったとか?」


露影と会ったことはすでに知っているのか。


「いんや、屋敷についてお前に会った時にはうすうす気づいていたよ」


「へえ」


「まあ、確証したのは文章博士の話を聞いてからだったけどな」


の変装は上出来だったと思ったんだけど」


「それだ、お前が使っていた鬘、死人のモノだろう?」


女は袂から鬘を取り出した。


「よく気づいたわね」


「ああ、お前の落とした櫛とその鬘からは別の霊魂を感じたからな」


「死人の髪にもまだ霊魂が残っていたなんて」


そう言って、女は鬘を地面に投げ捨てる。


「死人だとしても、髪には強い呪が残る」


「そうね、それは初めてあの御方に教えてもらったことよね」


あの方? 誰のことだ?


すると、女は体の後ろ隠していたらしいソレを前に持ってくる。


ソレは、彼女の妖美な雰囲気を恐怖へと変えていった。


公卿が嗜む実戦には不向きな刀とは違い、より実践的に打たれた太刀。


女は月の光を受け輝く鞘を地面に投げると一直線に俺らに向かって走ってきた。


俺は、懐に手を入れ双葉火玉の召喚を試みるが、間に合わないと思った瞬間。


「貴方には傷をつけないわ」


「え?」


女はそう言って俺から視線を隣にいる静春に移し、太刀で斬りかかった。


静春ッ!


女の長紐が視界の端で揺れ、キィ―――ィインと音が空気に乗って響く。


「あら、丈夫なのね?」


「良佳!」


良佳は静春に覆い被って自分の腕で女の攻撃を受けていた。


だが、刀があたっている腕からは血が流れていない、その事実を見ると、本当に鬼なんだと実感した。


良佳が刀を掴もうとすると、女は後ろに飛んで良佳から距離をとった。


「良佳さん!」


「大丈夫だ、それより静春後ろに下がれ」


「ああ」


良かった、良佳を連れてきて正解だったな。


「へえ、まさか、鬼が紛れているとはねえ」


女はそう呟くと、後ろを睨んで舌打ちをした。


「チッ、なんで教えてくれなかったのよ」


良佳も今気づいたのだろう、女の後ろには男の影があった。


……露影。


露影は女に優しく微笑むと落ち着いた声で言った。


「三毒、お前を一人で残す訳ないだろう?」


三毒? 仏道か、やはり寺関係の者だな。まさか、人間の根本悪であるとんじんの煩悩を毒として例えた語を名とするとはな。


「へえ、よく言うわ五濁、あなたが離れて見ていたことぐらい気づいていたのよ」


「五濁?」


俺がそう呟くと、露影と名乗っていた男は俺の方を向く。


「ああ、俺は五濁、露影は……古い名だよ」


隣にいた良佳が顎に手を添え、ほおと感嘆した。


「法華経、五濁悪世か、なかなかの名だな」


「俺らの名は俺らの目的を示す、あの御方が待っているから戻るぞ」


そう言うと、三毒の肩をむしの垂れ衣の上から掴むと、彼はまた築地の上に飛び上がった。


三毒は五濁に抱えられたまま、呪を唱えた。


「女の呪は強力すぎるのが、難だが、仕方ない」


五濁はそう言って溜息をついた。


何が始まるんだ!?


しかし、呪を唱え終えてから何も起こらず、三毒は別れを悲しむかのような声で言った。


「菊……またしばらくあなたと離れてしまうのね」


また俺の幼名を、俺のこと知っているのか? だが、


「俺は、貴方を知らない」


その言葉を聞いた三毒は唇を震わせた、しかしそれはすぐに笑みに変わる。


「ヒヒ、じきに私たちの事も全部思い出すわ」


「……私たち?」


「ええ、五濁もあの御方もあなたが帰ってきてくれることを待ち望んでいるわ」


こいつらが言っているあの御方は、やはり右大臣と関わりがある法師と呼ばれている男か?


「あの御方とは誰だ!?」


「本当に忘れてしまっているのね。良いわ教えてあげる、あの御方はね菊が大好きな ××法師様よ」


な、なんだ? 頭が上手く働かない。


彼女が名前を口にした途端、頭の中に蟲が蔓延るかのような感覚に襲われる。


「う、うああ、」


蟲が脳の中を這いずり回る。


俺の身体が地面に倒れたと同時に目の前が暗くなった。


最後に目にしたのは、白狐から貰った銀砂子の扇。


「満成!」


俺を呼ぶ声が遠くなる。


俺を呼ぶのは誰だ?


「みつ、り」


靄がかかるように、誰かの叫ぶ声が耳に届くのを防ぐ。


「み……り」


ああ、誰だ? その名前は誰の事だ?


「き……き、く」


優しい声、体がふわふわする。


「きく、菊?」


若い青年の声だ。静寂を破らない、低く落ち着いた声。


俺は知っている、この声の主を。


「菊? 大丈夫かい?」


木洩れ日の光が、温かく体を照らしている。

それに影を作るように顔をのぞき込む、若い穏やかな顔立ちの青年。


袈裟姿の彼を見て俺は記憶の中に入るかのように、彼の名前を口にする。


「か、いとく、法師様?」


「そうだよ、菊。戻りましたよ」


そう言った海徳法師様の温かな陽だまりのような笑みは、心を落ち着かせる。


これまで起きたことが全て夢だったかのように、俺は気持ちよく体を起き上がらせた。


「海徳法師様!」


「法師様」


元気な声で海徳法師様の後ろから二人の子供が顔を出す。


「菊が起きたよ」


海徳法師様は嬉しそうな声で二人に言った。


「菊! やっと起きたのね」


「ぐっすり眠ってたみたいだな、菊」


俺の名前を呼ぶ二人の子供。


「ああ、おはよう、鈴、露」


いつもの退屈な日常に大好きな海徳法師様が戻ってきた。


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