第19話

「ルル姉! 絵本読んで!」

「おままごとしよう、ルルお姉ちゃん」

「ボクもボクもっ!」

 黒髪の少女に集まる少年少女。背景には教会に似た建物が寂れた草原の中心にポツンと立っていた。

「……ん、順番に、ね」

「「「「はーい!!」」」」

 愛おしそうに彼らの頭を撫でるルルの姿。

 それは見た目とは裏腹に姉の姿であった。


「あんたたち! ご飯できたよっっ!」


 恰幅のいい女性が建物の扉から声を張り上げる。

 それに返事して子どもたちは一斉に食堂へと集まっていく。

「いつも悪いね、ルル」

「私がやりたいから……いいの」

「そうかい」

 そう言って女性はルルの頭をガシガシと掻き回す。

「じゃあもっといっぱい食って大きくなりな!」

「カボンさんがそうするから身長が縮むんだよ」

「ははははははっ! それは悪かったね!」

 豪快に笑うカボンと小さく微笑むルル。


「「「「いっただきまーす!」」」」

 香ばしい香りが広がる食堂で子供たちの声が響き渡る。

「おかあさん、あした街にお出かけするんだよね?」

「ああ、そうだよ」

 一人の少女が尋ねてそれに答えるカボン。

 血のつながりはないが彼らは最年長のルルを除いて等しく彼女を母と呼ぶ。

 だがルルにとっても育ての親として、彼女は母であった。

「一つだけなんでも買っていいからね!」

「「「「はーい!」」」」

 花畑のように笑顔を咲かせた子供たちは心底幸せそうであった。

 そう、これから起こることからは無縁のものだったのだ。


「うわあ、おっきい!」

 翌日、初めて街に出た少女が道の真ん中で感嘆の声を上げる。

 すると街行く人々は微笑ましそうに彼女らを眺め、自分の買い物籠に入れていた果物などをあげたりしていた。

「ありがとう!おねえさん!」

「あらあらおねえさんだなんて……ありがとうね」

 四十代頃に見える女性に満面の笑みをたたえてお礼を言うと、彼女は嬉しそうに返した。


「おかあさん、アイスクリームほしい!」

「何味がいいんだい?」

「ん~バニラ!」

「はいはいバニラ一つね?」

「ぼくチョコレート!」「焼き鳥たべたい!」「焼き芋!」

 次々とリクエストする子供たちに苦笑しながらも応えていくカボン。

 されどそこに面倒だとか負の面は見られなかった。

「ルルは何もいらないのかい?」

「ん……大丈夫。夜ご飯の材料買ってくる」

「助かるよ、終わったら洗濯とかあるから先に帰ってるよ」

「了解」


 市場いちばに来るとルルは見知った顔と交流を深める。

 八百屋だけでなく魚屋や雑貨店、金具屋など行き先は多岐にわたる。

「ルルよ、鍋の調子はどうだ?」

「ん、まだ大丈夫」

「そうか。そういえば聞いたか? 大工のハムゴが腰やっちまった話」

「どうかしたの?」

「それがよお────」


 賑わう活気溢れる市場いちば。昼に近づくと人ははけて動きやすくなる。

 その市場いちばが急に騒がしくなった。

「何かあったのか?」

「わかんない……」

 眉を寄せて首を傾げて二人は騒がしい方を向く。


「おい、ルルっ! 大変だ!」

「どうしたの?」

 焦った様子で額にはちまきをした男が走ってきた。


「孤児院が! 孤児院が!」

 そう言われてその方向を見たルルは、

「…………え?」

 瞳を揺らして動揺した。


 煙が上がっていくのが見えた。

 ピザを焼くときに出る煤とは違って白っぽい灰色のその煙は。

 彼らをあざ笑うように高く高く。

 龍が滝を登るようにそらを貫いていた。

「待って、待って……」

 左腕に抱えた買い物袋を地面に落として彼女は一歩二歩と前に進み出た。

 そして彼女は走り始める。

 信じられないものを見るような顔で金具屋の旦那は煙を見て口を開けていた。

 野次馬のように何だ何だと騒ぐ民衆。

 心配そうに様子を見に行こうとする人。

 市場は混乱に陥っていた。


 そしてそれはルルも同じだった。

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」

 どうか自分の思い違いであってくれと心で願い、きっと大丈夫だと心を落ち着かせようとする。

 それでも、現実は無慈悲にルルの前に姿を現した。


 燃える思い出の家。焦げ臭い炭の臭い。

 妹と弟たちの姿はどこにもなく。

 血まみれで倒れ伏すカボンだけが視界にあった。

「カボンさんっっ!」

 息を荒らげてルルは近寄る。

「ルル……かい?」

 虚ろな目で起き上がる気力は当然なく、切れた口の端から血を流しながら彼女は何とか喋った。

「カボン、さん?」

「子ども……たちが……」

 彼女は指で指した。港の方角を。

 それが意味することをルルは瞬時に判断した。

 しかし足は動かなかった。目の前にいるカボンの裂けた腹を見てしまったために。

「あとは頼んだよ、ルル……」

 ルルは別れの言葉すら言えず、彼女の指先から力が抜けていく様子を見ていた。

「〜〜〜〜〜!」

 言葉にならない悲鳴が草原を突き抜けた。

 彼女の苦しそうで悔しそうな顔がルルに怒りと悲しみと恨みを同時に想起させた。

 悲しみの跡は絶えず頬に残り続け、怒りと恨みは彼女を港へ歩かせる。

 一歩一歩と怒りを増幅させて彼女は幽鬼のように瞳から生気を失わせる。

 苦しみは果てしなく続くとわかっていても、彼女は必死に足を動かした。



「おい、嬢ちゃん。ここに何の用だ?」

 港に着くと明らかに異質な船が一隻あった。

 大型船ほどあり、あまり訪れることはないものだった。

「返して……」

「あ? つーことは……ああ、そうか。あいつらの"お姉ちゃん"ってやつか。いいぜ、入れよ」

 大柄の男があっさりと通した部屋に子どもたちは居た。

「ルル姉!」「お姉ちゃんっ! 助けて!」

「ギャーギャーうるせえぞガキども」

 一人だけ椅子に座ってワインを飲む男が居た。

 身なりは整っているが海賊のような野蛮さが残っている。

 金髪をオールバックにして赤く鋭い目をした男だった。

「皆を返しなさい」

「……これだから嫌なんだよガキは」

「返しなさいっ!」

「はっ俺の一張羅を汚したんだから罰を受けても仕方ねえだろ?」

 そう言って男は後ろに吊るされた服に親指を向けた。

 確かに黒服に白い斑点がシミとなっていた。

「そんなことで……?」

「蚊に刺されれば殺してやりたくなるだろ? それと同じだよ。のせいで苛々してたっつうのに余計にムカつくことしやがって」

「…………?」

「まあちょうどよかった。最後に顔合わせできて良かっただろ?」

「なっ────?」


 男は立ち上がって首を鳴らす。すると彼の腕が徐々に変化していった。

 それは人間にはないもの。

 そして────。

「なんで、どうして……?」

 理解が追いつかない。

「やめて、やめて……」

 何故ここに居るのかわからない。

「助けて!お姉ちゃん!!」

 どうあがいても勝てる要素が見当たらない。


 それでも彼女は男に飛びかかる。が、

「よえーな」

 足蹴りで大きく壁まで叩きつきられる。

 立ち上がろうにも息ができない。

 守りたくても守れない。

「無駄なあがきだったな」

 男は残酷にもその鋭い爪先で子供たちの首を一閃した。

 泣きじゃくる顔が、恐怖に怯える顔が。

 生きたいと、死にたくないと願った。

「いや、いやああああああっ!!」

 どうしてこんなことができるか、そう彼女はぐるぐると乱れる思考の渦の中で考えた。

 しかし答えが出るはずもない。

「許さないっ! 絶対に許さないっ!!」

「お? じゃあどうすんだ?」

「殺してやる! あなたたち全員地獄に叩き落してやる!」

「おいおい、面白えこと言ってくれるじゃんかよ。退屈してたんだよ、本気で殺しにきてくれるやつがいなくてよ〜」

「たとえこの体がなくなっても! あなただけは絶対に許さない!」

 その言葉に満足したように男は手を叩いて大声で笑う。

 

「いいぜ、それなら次は祭りの場で会おうじゃねえか。ルルっつったか?」

「コイツどうすんですかい?」

「捨てとけ。それで死ぬならそれまでだ」

 部下らしき者がルルの服を掴んで引きずっていく。

 最後に扉が閉まりかけるそのとき、男は自らの名を名乗った。


「俺はルーク・ガランドルフ。最終試合で待ってるぜ」

 

 

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