第6話

 都市の空気は自由にする、という言葉がある。

 誰でも条件を満たせば市民権を得られるという趣旨のものだが、では人間の尊厳を踏みにじられている現状において、一体誰が本物の自由を有しているというのか。


 奴隷に身分を落として必死に主人にびへつらうものか。

 小さな島国で束の間の平和を過ごす人々か。

 街の外れで絶望と諦観に明け暮れるものたちか。

 違う。そうではない。

 誰もが夢見た自由はどこにも存在しない。

 未来でさえも、ないかもしれない。

 それでも、一寸先の未来のために最善を尽くすことが未来のためになると信じて。

 青年は動き出す──。



 ♢♢♢



 世界が明るくなると、スラム街の人々は活動を始める。

 第一の朝である。

 綺麗な川がないためにドブのような水を集めに行く人々。

 どうやらセダイラが昨夜青年に与えたお茶はこの街では結構な高級品だったようだが。

 そんなこともつゆ知らず、青年は一晩泊めてもらった小屋から顔を出す。

「やっぱ風呂に入りたいなあ」

「悪いな。ここにそんな贅沢品はなくてよ」

 何気なく発した言葉を拾ってセダイラが返した。

「いや、すまない。悪気はないんだ」

「正直でいいじゃねえか。習慣ってのはなかなか捨てられるもんじゃねえからな」

 だとしても無用心だっただろう。

 教養のないものに知識をひけらかすようなものだ。

 だが本当に気にしていないようで、セダイラは朝食の準備にとりかかった。

 白いパンのようなものと、小魚、少々の野菜という質素であるが栄養で困ることはあまりなさそうなものだった。

 タンジーは昨日自分の家に帰ったため用意されたのは二人分。

「できたぞ。つっても料理はしてねえがな。作り置きだ」

「それでも有り難いよ。これを食べたら早速案内してほしいんだが……」

「もう少し居てほしいが時間がねえんだったな」

「ああ。それじゃいただきます」

「いただきます」

 食事が違えば文化も違うと思っていたが常識そのものが違うのだからそんなものかと思って食事に取りかかる。

 朝食後、早々に青年は片づけを手伝い服装を整える。

 といっても掛けておいたジャケットを羽織るだけだが。



 ♢♢♢



 スラム街のとある道。

 くちゃくちゃと音を立ててグレーの髪の男が地にひれ伏す男たちを踏みつけていた。

「ちっ」

 短く舌打ちする男の名はアゲリア。

 首元まで伸びる長髪を垂れ流しながら彼は宙を見上げていた。

「君がアゲリアか?」

「誰だテメエは……?」

「私はグノスィ。天上の祭りヘブンズ・フェスタに出る予定の者だ」

「──失せろ」

 感情の籠らない声を耳にしてグノスィは少しだけ嬉しくなった。

 無視すればいいのに彼は返事をした。

 それはまだ対話が可能であることを示していた。


「そのゴロツキを……幾らぶちのめしたところで君の心は満たされまい」

「何が、言いてえ?」

「私と……決闘してくれないか? 私が勝ったら君には私の仲間になって欲しい」

「……俺が勝ったら?」

「私を好きにしていい。殺そうと裸で市中に野ざらしにしてくれようと何でもいい」

 その言葉は一種の侮辱であった。

 まるで自分が負けるとは微塵も思っていないという自身の表れか。

 その事実は彼を激怒の渦に落とし込んだ。


「──心配すんな。今すぐ……殺してやるよ!」

 大地を全力で蹴るアゲリア。

 一方構えをとることもなくただ手をぷらぷらとさせて悠々とするグノスィ。

「死ねやあ!」

 みぞおちに向かってアゲリアは打撃を放つ。


 が、青年は荒れ狂う炎を洗い流す水の如く、その拳を受け流してアゲリアの顔面を床に叩きつけた。

 虚法を使わずに、だ。

 その技量は既に達人の域に迫っており。

 その冷静さは歴戦の猛者を彷彿させるもの。

 出任せではないことを証明していた。


「なあ、アゲリア。私は命を懸けてやっているというのに……君は虚法も使わずに私に勝てると本気で思っていたのかい? もしそうなら救いようがないほどの馬鹿だね、君は」

 アゲリアの体に腰を下ろして膝に肘をつく青年。

 どちらが強者かは明白であった。

「て、てめえ──────っ!」

「まだ元気があるようだね」

 青年はアゲリアの長髪を鷲掴みにする。

 それにアゲリアは痛みで顔を歪める。

「もう一度だけチャンスをやる。二度はない」

 そう耳元で囁いたあと、彼は髪から手を離して距離をとる。


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」

「口だけじゃないことを見せてくれ」

「「【一の法・飛脚のしるべ】」」

 二人の光が足元に集中する短い時間で、青年はアゲリアの一挙手一投足を観察し分析していた。

 無意識だろうが全身を均等に鍛え上げた体。

 動きにくくなるような無駄な筋肉はなく。

 ただ、使い方は知らないようで。

 洗練された動きでは全くなかった。

 安易に懐に飛び込むアゲリアを軽くいなして遠ざける。

 その応酬を繰り返すにつれ、徐々に成長する彼を見ながら青年は思う。


 ──本能型か。

 

 戦闘において理性だけで闘うことは真に危険である。

 意図的に行うならまだしも、それしかできない場合、技が体に染み付いていないということになる。

 一般的に瞬間瞬間で人は考える。

 訓練の記憶をトレースし、相手の動きに合わせようと技をぶつける。

 だが、アゲリアは違った。

 考えるより先に手が出る癖からの延長線か。

 少なくとも彼の頭の中で考えたことの未来を行動は進んでいた。


「らあああああ」

 吐き出す荒い息にも負けず猛攻を続ける。

 だが悲しいかな、それら全てグノスィの足元にも及んでいなかった。

 彼の動きはあまりにも──直線的過ぎた。

 相手のミスを誘うものは何一つなく、フェイントもない。

 行動に裏がない表側だけであった。


「もう十分だ」

 彼は最後にそう言って指先を噛みちぎり、初めて構えをとった。

 右腕を斜め左下へ向け、手刀の形を。

 それは剣の幻影が見えるほどに手先に殺気が集中する。

 大きく後ろへ跳躍し、彼は祝詞をそらんじる。


「【二の法・虚ろのつるぎ】」


 体内の光は出口を見つけて溢れ出す。

 その光は凝固し、水色の輝きがそこに。

 舞台ステージは次へと動き出す。

 鋭い西洋剣は蔦の紋様が浮かび上がり、彼は片手間でアゲリアの攻撃を捌いていた。


「狂犬は一度挫折しなければ治らない──」


 グノスィの言葉にアゲリアの手が止まる。

 彼の言葉に感化されるかはまた別の話であるが、

「成長は自分でするから意味がある。他人の言葉で君を説得できるなんて思っちゃいない。だけど……」

 聞かなければならないと感じた。それだけは事実だった。

「君だから私は言う」

 誰の言葉か忘れてしまったけれども、青空の下で放ったその言葉は史実に残る、最大の激励であった。


「少年よ、大志を抱け」


 一言に詰まった思いに気づき、アゲリアは再び手を止める。

 グノスィは右手の剣の峰で横腹を叩き、アゲリアを吹き飛ばす。

 

 青年の顔は、見事に晴れ渡っていた。

 

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